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2006年2月の21件の記事

2006年2月24日 (金)

★ 不器男忌

 朝からしょぼしょぼと雨が降っています。
 少し寒いものの春雨の雰囲気が感じられます。

 今日は
 「丈草忌」 江戸前・中期の俳人で蕉門十哲の一人・内藤丈草の1704(元禄17)年の忌日。
 
 そして「不器男忌」 芝不器男の1930(昭和5)年の忌日です。
  芝不器男は「彗星のごとく俳壇の空を通過した」と言われるように27歳で夭逝した俳人でした。

    あなたなる夜雨の葛のあなたかな  
    人入つて門のこりたる暮春かな
    白藤や揺れやみしかばうすみどり
    寒鴉己が影の上におりたちぬ               〔己(し)〕

等が有名ですね。

 不器男は愛媛県松野町出身ですが、愛媛県文化振興財団が3年毎に「芝不器男俳句新人賞」を催していて最近30名の一次選考通過句が発表されたところです。
 40歳迄 100句の応募条件にて「新鮮な感覚を備え豊かな将来性を有する若い俳人に賞を贈ります」と載っており、3月19日に東京の砂防会館で最終選考会及び授賞式が開催されます。

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2006年2月22日 (水)

★ 風生忌

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 今にも降り出しそうなどんよりとした午前中でしたが、少し明るくなってきました。
 天候や気温に拘らずここ一週間程で少し春めいてきたような感じがします。

 今日は「風生忌」。 富安風生先生の忌日です。
 昭和54年2月22日午後1時6分に逝去されました。

      九十五齢とは後生極楽春の風  富安風生

が辞世句ですが、生涯の高弟であった岸風三楼先生が遺された風生先生の句帳から抽いて発表されたものです。
 まさに数え年95歳が享年となりました。

 風生先生は岡本眸先生の師と云う事だけでなく、愛知県三河のご出身ですから、毎月我が結社「朝」の東海支部句会出席の為に岡崎市を訪れる私にとって孫弟子と云えどもとても親しみを覚える先師です。

      岡崎に師縁俳縁風生忌  暢一

 風生先生は中学生の頃 「名も聞かぬ片山里や梅林」 を新聞に投稿して入選された事もあったのですが、東大から逓信省に入省しての暫くは短歌の方に興味を持っていたようです。
 為替貯金局長として福岡に赴任して俳句と縁が出来る事になります。当時の九州俳壇は錚々たる俳人が競い合っており学友などの影響もあり朝から晩まで俳句三昧だったそうです。独身の地方支局長ですから暇も十分にあったのでしょう。
 30歳半ばの事ですから当時の著名俳人としては随分と晩学だった訳です。
 その頃の初心時代の句です。

      籾筵大河のへりに広げけり          初めて注目を浴びた句
      鍛冶の火を浴びて四葩の静かかな     ホトトギス初入選句
      朝寒の機関車ぬくき顔を過ぐ

 3年で東京に戻り「ホトトギス」でめきめきと実力を発揮して重鎮となり、やがて俳句結社 「若葉」を創立主宰等の以降は周知の事ですね。
 「若葉」創立後9年目52歳の時に逓信次官をあっさりと退官して以降一切の役職を辞し、本人曰く 「風鈴の下にけふわれ一布衣たり」 の生活に入ります。
 
 以上は岡本眸先生のお話からですが、眸先生が抽出した風生先生の代表句をほぼ年代順に記してみます。

      再びの春雷を聞く湖舟かな
      大文字夏山にしてよまれけり
      蝶低し葵の花の低ければ
      まさをなる空よりしだれざくらかな
      街の雨鶯餅がもう出たか
      退屈なガソリンガール柳の芽
      すずかけ落葉ネオンパと赤くパと青く
      夕顔の一つの花に夫婦かな
      蟻地獄寂莫として飢ゑにけり
      緑蔭を襖のうしろにも感ず
      秋風は身辺にはた遠き木に
      
      老いはいや死ぬこともいや年忘れ     古希の句
      生くることやうやく楽し老いの春
      勝負せずして七十九年老いの春
      一生の疲れのどつと籐椅子に       「傘壽以降」
      微笑もて戒めたまふ墓拝む         奥比叡の虚子塔にて
      立冬の月皎々と朴の槍
      数え日の欠かしもならぬ義理ひとつ
      こときれてなほ邯鄲のうすみどり
      余花の雨八十路の老のかんばせに
      野牡丹とかけてこころは濃むらさき
      朴落葉古き手摺に夫婦倚るり
      郭公のさも郭公といふ遠さ
      しみじみと年の港をいひなせる
      
      見つめをる月より何かこぼれけり      昭和52年作
      何かしら遠し遠しと年暮るる         以下昭和53年作
      凍蝶の縋りし石の動ぎなし
      妻よ生きよみんな生きよと笑ひぞめ

 ホトトギス時代以降の活躍もさる事ながら、老年期に於いても風生先生は魅力的な句を発表しつづけ、山本健吉に「老艶の世界」と称されました。
 以下掲句の他の代表句も少し抽いてみます。

      稲かけて天の香具山かくれたり
      一もとの姥子の宿の遅桜
      みちのくの伊達の郡の春田かな
      よろこべばしきりに落つる木の実かな
      籠にさせるものゝ意に秋深し               〔意(こころ)〕
      何もかも知つてをるなり竈猫
      この道の欅の落葉はじまりぬ
      きびきびと万物寒に入りけり
      萩枯れて音といふものなかりけり
      枯るるもの枯れ枯れ残るもの残る
      人われを椋鳥と呼ぶ諾はん
      本読めば本の中より虫の声
      一生の楽しきころのソーダ水
      わが生きる心音トトと夜半の冬
      夏山の立ちはだかれる軒端かな
      泡一つ抱いてはなさぬ水中花
      わが机妻が占めをり土筆むく
      山を見る一つ加えし齢もて

 こうして改めて眺めてみると何と多彩な句風なのだろうと感嘆しますが、表現の真摯に またしみじみと ある時は軽妙にと、そのさりげない捻り 句姿の美しさ リズムの確かさ等まだまだ学ばなければと思わされます。          
      
 尚、10年前に寄稿した「一もとの姥子の宿の遅桜 富安風生」の鑑賞文を「句評・鑑賞」サイトに載せていますので宜しければ下記タイトルをクリックの上 ご覧下さい。
           ↓
  ‘「句評・鑑賞」 姥子の宿’

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2006年2月21日 (火)

★ 鳴雪忌

 昨日になってしまいましたが2月20日は俳人の内藤鳴雪の1926(大正15)年の忌日である「鳴雪忌」です。
 鳴雪は老梅居と号していたので「老梅忌」とも言いますが、偶然とは云え忌日との符合には驚かされます。
 鳴雪忌は簡便な歳時記にも載っていますから、内藤鳴雪は俳句の歴史上欠かせない存在の俳人と云う事になるのでしょう。

 内藤鳴雪は子規門ですが子規よりも20歳の年上でありながら、松山藩士弟の寄宿舎の監督をしていた折に一舎生に過ぎなかった子規の影響を受けて46歳で弟子となります。
 以来その学識と人柄から子規の後見役とも目されて、子規の没後もホトトギスのみならず俳壇の徳望を集めた俳人にて、白髭と懐に何時も三オンスの酒瓶を忍ばせていた事などが有名で中々洒落た魅力的な人物であったようです。

 鳴雪の古希の折に虚子と碧梧桐その他の錚々たる俳人が能を演じて祝賀したのも有名な話ですが、俳人池内たかしは能家の出身にて叔父である虚子が能を演じる際にはらはらと気を揉んだ逸話が残っています。
 また普通であれば俳人の祝賀は何であれ句会を催すものですが、能会としたのには虚子と碧梧桐が俳句信条に於いて決別していたからなのです。
 鳴雪を祝うのに虚碧と並び称せられた二人が参加できるようにとの配慮からだったのですが、それ程に鳴雪は当時の俳壇で一番の重鎮だったのでしょう。

            おほかたの故人空しや鳴雪忌    高浜虚子
            この道をふみもまどはず鳴雪忌    富安風生

と流石に虚子も風生も主情的な句を詠んでいます。
 下記に内藤鳴雪の句抄を少し記してみます。

           したゝかに雨だれ落つる芭蕉かな
           稲妻のあとは野山もなかりけり
           屋根越に僅かに見ゆる花火かな
           花木槿弓師が垣根夕日さす
           寒声は女なりけり戻橋
           暁や溲瓶(しびん)の中のきりぎりす
           湖に山火事うつる夜寒かな
           後の雛うしろ姿ぞ見られける
           砂浜や松折りくべて蒸し鰈
           初冬の竹緑なり詩仙堂
           女一人僧一人雪の渡し哉
           人うめし印の笠や枯芒
           折りくべて霜湧きいづる生木かな
           滝殿に人あるさまや灯一つ
           朝寒や三井の仁王に日のあたる
           朝寒や通夜から戻る二人連
           灯のさして菖蒲かたよる湯舟かな
           盃の花押し分けて流れけり
           鳩吹の森の中道分れ行く
           矢車に朝風強き幟かな
           美しき蒲団干したり十二欄
           貰ひ来る茶碗の中の金魚かな
           爺婆の蠢き出づる彼岸かな
           輪飾や我は借家の第一号

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2006年2月17日 (金)

★ 西行忌

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 暖かい日が続きますが、週末にはまた冷え込みそうです。
 一昨日2月15日は『西行忌』ですね。享年73歳でした。歳時記に2月15日と載ってはいますが旧暦での事ですから、新暦に当て嵌めると今年の場合3月14日となります。
「新古今和歌集」などで皆さんもご存知の平安時代の旅の歌人ですが、芭蕉が終生敬愛し憬れた歌人ですから俳人にとって最も近しい歌人なのでしょう。


        願はくば花の下にて春死なむそのきさらぎの望月の頃


と釈迦入寂の2月15日頃に没したいものだと詠み、この歌の通りに亡くなった事から西行崇拝が往時の全国に広がったとの話はあまりにも有名です。
 

        花あれば西行の日とおもふべし  角川源義


 西行忌を詠んだ俳句では、「願はくば…」の西行の歌を踏まえて詠んだ角川源義の句をまず思い浮かべます。

 松尾芭蕉が

        旅人と我名よばれん初しぐれ
        野ざらしを心に風のしむ身かな


等と詠んで旅に後半生を委ねたのも西行の生き様 和歌に憬れての事である事はよく知られていることですが、それだけに西行の和歌にちなんだ句を芭蕉は多く残しています。

 西行の和歌とそれを踏まえて詠んだ芭蕉の俳句の内から私の身近な伊勢と吉野で詠まれたものを併記してみます。

 まず伊勢での句

       何事のおはしますかはしらねどもかたじけなさに涙こほるる  西行
       何の木の花とは知らず匂哉  芭蕉

       吹きわたす風にあはれをひとしめていづくもすごき秋の夕暮  西行
       秋の風伊勢の墓原なほ凄し  芭蕉


 芭蕉は伊勢に5度以上訪れています。西行は伊勢に2年程庵を結び住んでいて、二見の近くに「西行谷」の地名が残っています。

 西行が一番愛したのは吉野と桜にて3年間過ごして多くの句を残し、芭蕉も西行を慕って数度訪れています。


        み吉野の山の秋風さ夜ふけてふるさと寒く衣うつなり  西行
        碪打ちてわれに聞かせよ坊が妻  芭蕉

        とくとくと落つる岩間の清水くみほすほどもなきすまいかな  西行
        露とくとく心みに浮世すすがばや  芭蕉

        吉野山こぞの枝折の道かへてまだ見ぬ花の花を尋ねむ  西行
        よし野にて桜見せふぞ檜の木笠  芭蕉


 (掲載写真は2年前に吉野を訪れた折に撮った「吉野山…」の西行歌碑です)

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2006年2月 9日 (木)

★ 余寒

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 まだまだ厳寒の候ですが、立春を過ぎると気分的に余寒・春寒の感じがしてきます。
 心理状態にて同じ気温の寒さでも違ったように受け止められるのは面白いものです。
 季節の移り変わりに敏感にならざるをえない俳人の余禄と言えるのでしょうか。

           文机の下の余寒の膝頭  暢一


 今の時期を表現する季語には
 
 「早春」
 「浅春、浅き春、春浅し」
 「春寒、寒き春、春寒し」
 「余寒、残る寒さ」
 「冴返る、冱返る、しみ返る、寒返る、寒もどり」

とこれらも又多彩にて作句の折に句意・句姿・文字数により使い分けるのも楽しいものです。

 「早春」は大体2月一杯の時節を指します。
 「浅春」は春になってもまだ春色の伴わない感じを表します。
 「余寒」は寒が明けてからの`寒さ`を主に表現した季語です。
 「春寒」の場合はまだまだ寒い`春`を主としています。
 「冴返る」は暖かくなってから又寒さがぶり返す事を指しますから、春寒や余寒とは少し違います。

と言った具合にそれぞれの季語にはそれぞれの持つ意味合いがあります。
 これらの意味は私が指摘するまでもなくご存知の事ですが、短い俳句では季語の選択によって句意が微妙に違ってきますから、ぜひ留意の上使わなければならない事なのでしょう。
 また句を鑑賞する際も同様ですね。
 
           鎌倉を驚かしたる余寒あり 高浜虚子

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2006年2月 4日 (土)

★ 句集「春風の量」 広渡詩乃氏

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 「朝」の平成14年度飛燕賞を受賞された広渡詩乃氏が句集「春風の量」を上梓されました。
 家庭、仕事関係の身辺句が殆どであった初期、中期に比べて写生句も増え、また実力を感じさせる後期に注目しました。
 眸先生が共鳴句として挙げられた句ですが、半分が17年間の内の最後3年間に詠まれた句です。(・の句)
 俳句とは長い年月コツコツ積み上げて花開くものと感じ入りました。

   子を置きて働けば北風激しかり
   洗ひ髪振り向きて子を驚かす
   スカート揺らし春風の量計る
   冬に入る仕事の手帳角ぼろぼろ
  ・恪勤は競歩に似たり花は葉に
   吊革に眠つてしまふ秋の暮
  ・産声と聞く暁の蝉の声
  ・門柱に倚りて話して盆の客
  ・望の月更けて浴後の手の匂ふ
  ・実家方の小春眠たき籐寝椅子
  ・下向きに咲き上向きに落椿
   島唄のつぶやく如く秋の暮
   川波のめくれしままに氷結期
  ・出雲いま夏草を焼く煙かな

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★ 立春

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 今日は「立春」。暦の上では春に入った訳ですが、実感の上ではまだゝゞ一ヶ月は厳寒の候が続きますね。
 今朝の冷え込みも厳しいものがあり水道の漏水が凍っていましたので写真をパチリ。
 寒冷地の方々には何でもない景でしょうけれど伊勢市内在住の私には珍しい事ですので…。

 今日2月4日を表現する季語には
 「立春」「春立つ」「春来る」「春に入る」「春迎ふ」「春になる」、古い感じのでは「春かへる」「春さる(`さる`は来るの古語)」。
 「寒明」「寒の明け」「寒明ける」「寒過ぐ」「寒終る」等と多彩にて句意・句姿・文字数によって使い分けるのに便利ですね。
 ただし上記に挙げなかった「今朝の春」「今日の春」は今では新年の季語として使われるので要注意です(旧暦時代は立春が正月前後でしたから問題にもならなかったのでしょうけれど)。
 「今朝の秋」「今日の秋」等の季語が「立秋」等にあるのでうっかりと使ってしまいがちです。ご存知とは思いますが念の為…。

      立春の言葉にすれば躬に添ひぬ  暢一 

 
 岡本眸先生が一昨年ふらんす堂のHPで一日一句の俳句日記を掲載しておられましたが、それが纏められて句集「一つ音」として発行されています。
 
 その2月4日のお句

      振り払ふパセリみどりに寒明けぬ  岡本 眸 

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2006年2月 3日 (金)

★岡本眸先生 各誌新年号詠

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    岡本 眸先生 
     各総合俳句誌平成18年1月号掲載句のご紹介です。

    【 俳句研究 】

           風の木

     残る葉の葡萄棚らし枯れいそぐ
     風の木に見えて刻過ぐ冬夕焼
     覚えなき書込みひとつ古暦
     道白く陸橋なせり冬の晴
     花買ふて冬日もろとも抱へけり
     藪巻や湖上の星の出揃ひし
     友等若し焚火囲めば胸の照り
     枯深き日射しに噎せてをりにけり
     石蕗の黄や去年病みてより旅遠く
     我にあと幾たびの冬葛湯溶く


         【 俳句 】

                冬日

          枯草を紙縒のごとく指に巻く
          胸もとに冬日溜まれば噎せにけり
          土地の子に道聞くひまも暮れいそぐ
          十字路に冬の満月パン買ひに
          マンションの柱状灯る夕しぐれ
          裏道と呼び慣らされて霜の菊
          星寒し今年喪ひしひと幾人(いくたり)
          文具屋に子と混じりをる年の暮


    【 俳句朝日 】

          枯深し

     歌ごゑのごとく八つ手の咲き揃ふ
     枯深し足向くままの道なれど
     ゆふやけの一部始終を冬の崖
     街川に朝の日跳ねて年詰まる
     冬ごもり机上の夕日またたく間
     外灯にひかる靴先坂の冬
       回想
     年の夜の鼠入らずの前に母
     破魔矢もて星指してふと遠き日を
       一月六日
     生まれし日の崖に対へり息白く

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★草城忌 <2006/01/29>

 暖かくなるとの予報にもかゝわらず、室内は結構冷え込んでいます。正午現在9.3℃です。 しかし無風好天にて日射しを歩くと快適です。

 今日1月29日は草城忌。日野草城の1956(昭和31)年の忌日です。住まいは大阪・池田。
 モダンな作風で新興俳匂の一翼を担った俳人にて
 「ミヤコホテル」の連作で賛否両論が噴出した事は有名です。
 それもそのはずで、新婚の夜はかくもあろうかとでっちあげた想像句なのですから。

     けふよりの妻と来て泊つる宵の春
     夜半の春なほ処女なる妻と居りぬ
     枕辺の春の灯は妻が消しぬ
     をみなとはかゝるものかも春の闇
     麗かな朝の焼麺麭(トースト)はづかしく

なんて読んでるほうが恥ずかしくなってしまいます。

 しかし草城は大正7年三高入学時の若さで沈滞ぎみのホトトギスに彗星の如く現れ、従来の古風な客観写生に軽快で斬新な風を吹かせた才人でした。

     物の種にぎればいのちひしめける
     春暁やひとこそ知らぬ木々の雨
     春の蚊のひとたび過ぎし眉の上
     春の夜やレモンに触るる鼻の先

 現在に於いて詠まれている斬新と思われるような句柄の中にはとうの昔に草城が詠んでいたりするのです。
 ただ才気走った技巧で詠む句風には限界があったようで、以降 連作俳句や新興俳句で活躍したものゝあまり評価はされていないようです。
 終戦後の晩年病臥の身になってより地に足のついた境涯的な句風となり再評価される事になります。
 山本健吉は草城を「極端な早熟型の極端な晩成型」と評し、病気が彼にようやく句境の沈潜を与えたとすれば 何と云う長い才能の放浪時代を経てしまったのだろうと嘆じています。

     てのひらに載りし林檎の値を言はる
     夏蒲団ふわりとかかる骨の上
     朝顔やおもひを遂げしごとしぼむ
     咳やみて寒夜ふたたび沈みけり
     肌寒や貝にぎやかに蜆汁
     高熱の鶴青空にただよへり

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★久女忌 <2006/01/21>

 今日もどんよりと曇って寒い一日でした。東京では初めて積雪が見られたようです。

 今日1月21日は「久女忌」、俳人・杉田久女の1946(昭和21)年の忌日です。
 高浜虚子との確執・精神を病んだ晩年等と不幸なイメージの強い俳人ですが、
 女性俳人活躍のパイオニアと云うだけでなく、俳句に新しい可能性もたらし、秋櫻子等にも影響を与えた優れた俳人と評価されています。
 
 以前 嫁ぎ先である愛知県小原村の杉田家代々の墓地に建つ久女の墓を師と訪れた事があります。
 杉田家跡には長屋門のみが遺り、それを潜ると久女の句碑と観音像が建っていました。
 句碑には
    灌沐の浄法身を拝しける 久女

 その他下記の句等がよく知られているのは皆さんご存知の通りです。
 
    虚子ぎらひかな女嫌ひのひとへ帯
    ぬかづけばわれも善女や仏生会
    足袋つぐやノラともならず教師妻
    朝顔や濁り初めたる市の空
    紫陽花に秋冷いたる信濃かな
    谺して山ほととぎすほしいまゝ
    風に落つ楊貴妃桜房のまゝ
    花衣ぬぐや纏る紐いろ~
    首に捲く銀狐は愛し手を垂るる

 久女が小原村にいたのは長女出産の折一年間だけでしたが、
 その長女とは石昌子氏。やはり俳人です。久女をモデルとした小説「菊枕」の作者 松本清張を訴えて裁判を起こしたり、虚子が許可しなかった久女の句集を上梓したりと久女の名誉回復に奔走した人です。
 また田辺聖子が「花衣脱げば纏わる…私が愛の杉田久女」を書いた事によって久女のイメージも好転したようです。

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★今日 1月20日に関する季語について <2006/01/20>

 ◇まずは「大寒」。
  二十四節季の一つにて、その内に冬季は「立冬・小雪・大雪・冬至・小寒・大寒」の六節気がありますが、大寒は冬季最後となり次は2月4日の立春ですから暦上で今日は冬もあと僅かと云う事になり、実感とは程遠いものがあります。
 「大寒」の句で一番有名なのは

     大寒の一戸も隠れなき故郷  飯田龍太

 ◇乙字忌
  大須賀乙字の1920(大正20)年の忌日。 新傾向俳句運動のロ火を切りましたが、後に伝統を尊重するようになっていった東北生まれの俳人です。ま~ 金子兜太氏のような人物だった訳です。

     干し足袋の日南に氷る寒さかな 大須賀乙字  が絶句です。

 ◇義仲忌
  源義仲(木曾義仲)の1184(元暦元)年の忌日。昨年のNHK大河ドラマでも印象深い登場人物でした。

     紅梅を近江に見たり義仲忌  森澄雄

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★初閻魔 <2006/01/16>

 薄曇りの肌寒い日となりました。
 今日1月16日に関する新年季語に「薮入」「閻魔詣」「念仏の口明」等があります。
 「薮入」はお馴染みですが、他は私も知りませんでした。面白い意味のある季語ですのでご紹介をば…。

 「念仏の口明」:新年初めて仏事を行い、墓参りをすること。
 <正月の神様(年神様)が念仏が嫌いであるということから、12月16日の「念仏の口止」からこの日までの正月の間は念仏は唱えないこととされています>
 神様の方が仏様より威張っていたのでしょうか。

 「閻魔詣」:閻魔王の縁日に参詣すること。正月のものは特に「初閻魔」と言う。
 <仏教では1月16日と7月16日を「閻魔賽日」とし、地獄の釜のふたが開いて鬼も亡者も休む日とされ、そのためこの日に寺院の閻魔堂にお参りします>
 鬼や亡者にも休日があるのですね~。

   その街に遊女の墓も初閻魔  黒田杏子

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★岡本眸先生のお誕生日 <2006/01/06>

 今日は予報通り厳寒の一日にて氷が張っていました。今夜から明日に掛けて三重県も北部ではかなりの雪が降りそうです。

 1月6日は「消防出初式」の日。
 忌日では 「良寛の1831(天保2)年の命日」ですが、陰暦ですので新暦では2月3日にあたります。

   ぬばたまの黒飴さはに良寛忌  能村登四郎

 伊勢関係では「佐久鯉誕生の日」。ご存じない方が多いでしょうから下記に一寸説明を…。
 『1746(延享3)年、信州佐久の篠澤佐吾衛門包道が伊勢神宮の神主に鯉料理を献上した日。この記録が「佐久鯉」の最古の記録とされている』
現在でも信州佐久の名産として有名らしいです。興味のある方は下記にアクセスしてみて下さい。
     信州佐久・佐久鯉ガイド

 何といっても1月6日の特筆すべきは「岡本眸先生のお誕生日」です。

   生れし日の崖に対へり息白く  岡本 眸

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★青々忌 <2006/01/09>

 1月9日は「成人の日」。何か15日でないとピンときませんね。
 神戸在住の折の今日9日の夜は「宵戎」、10日は「十日戎」に出掛けたものでした。
 愛称で「えべっさん」と呼びますが、恵比寿祭は関西方面で盛んなようです。
 特に兵庫県西宮市にある「西宮神社」は全国の恵比寿宮の総本社にて『商売繁盛でササ持って来い』と商売繁盛を願い 笹や熊手を求めてそれは賑わいます。東京の「酉の市」に匹敵するでしょう。

 10日に私の勤めていた会社では飾ってあった鏡餅を割って ぜんざいを作り社員一同で頂いたものでした。当時の暖房はまだストーブでしたから その上でコトコトと…。

 俳句関係で今日は「青々忌」。
 ホトトギス派の俳人 松瀬青々の1937(昭和12)年の忌日です。
  青々の新年の句を幾つか下記に。
 
   四方拝禁裡の垣ぞ拝まるる
   ひとり寝の一枚かふや宝船
   初夢の吉に疑無かりけり
   年棚はやや筋違にゆがみけり
   歯固やかねて佗しき飯の砂
   うかとしてまた驚くや事始
   七草の粥のあをみやいさぎよき

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2006年2月 2日 (木)

★一碧楼忌 <2005/12/30>

 今日12月30日は俳句関係では一碧楼忌。中塚一碧楼の1946(昭和21)年の忌日です。
  碧梧桐と俳誌『海紅』を創刊して自由律俳句の創始者とも云われる俳人ですが、功績としては口語を積極的に取り入れた事でしょうか。

   鏡に映つたわたしがそのまま来た菊見 一碧楼 

 他に寺田寅彦(物理学者・随筆家)1935(昭和10)没。
 横光利一(新感覚派文学)1947(昭和22)没。の忌日。

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★冬至 <2005/12/22>

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 夜通し寒風が吹き荒れていましたが、今朝起床してみると無風快晴です。家内の気温は6.5℃と流石に冷え込んでいます。

 今日12月22日は冬至ですね。南瓜を頂き柚子風呂で身体を暖めたいものです。

   柚子湯出て夫の遺影の前通る  岡本 眸

           第三句集「二人」(昭和54年)所収。

 岡本 眸先生は同句集に 先月私が訪れた富安風生先生の有名な枝垂桜句碑について、真間山弘法寺「さくら句碑」まつり と添え書きの上で下記四句を所収しておられます。

   いちにちのはじまる冷えの初桜
   つなぐ手のやや冷たくて花爛漫
   ひとり身にしみじみ深し花の傘
   師のさくらしだれて天地睦むかな


   亡き父の息災問はる冬至風呂  暢一

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★終い弘法 <2005/12/21>

 12月21日は京都「東寺」にて「終(しま)い弘法」と言って今年最後の縁日が開かれています。お昼のニュースで放映していて懐かしく見ました。
 屋台の数は1,200とか! それでも東北からの出店が少なくて例年より200程減っているそうです。
 こんなところにも記録的な雪の影響が出ているのですね。

   暮れかかる川見て納め大師かな  岸田稚魚

 歳時記では掲句のように「納め大師」とも載っています。

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★赤穂義士 <2005/12/14>

 12月14日は「赤穂義士祭」。303年も前の事件になるのですね。
 私が毎月訪れる岡崎から 吉良上野介の国元の吉良町はごく近くですが、ここ吉良町では上野介の命日であるこの日を「吉良祭」として盛大な法要を行います。
 上野介は地元ではその優れた統治から名君として親しまれ尊敬されているのだそうです。

 俳句に関連した話としては、赤穂義士の中で「大高源吾」が赤穂藩中で俳人として一家をなしていて、蕉門の宝井其角とも親交があり吉良の様子を俳句仲間から収集して討ち入りの日を決めるなど重要な役割を果たしていた事はよく知られています。
 しかし討ち入り前日に

   ゆく春やあした待たるるこの宝船

と源吾が詠んで其角に討ち入りを暗示したと云う有名な逸話はどうも芝居上の創作のようです。
 実際の大高源吾の句としては討ち入り後に詠んだ

   日の恩やたちまちくたく厚氷

の句碑が両国橋のたもとにある公園に今も残っているそうです。

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★波郷忌 <2005/11/21>

 11月21日は石田波郷忌(惜命忌,忍冬忌)1969(昭和44)年 57歳没。
 
    霜柱俳句は切字響きけり  波郷

等と詠みつつ句の姿勢を正すことに功大なりの俳人でした。
 また生活に即した人生諷詠に活眼して「俳句は私小説だ」と言い、草田男、楸邨と並んで人間探求派と称されましたが、意外と早世だったのですね。

    鰯雲ひろがりひろがり創痛む    波郷     <創(キズ)>

 しかし掲句のように中八の句も詠んでいますが、繰り返しの表現が中八の乱れを感じさせません。
 私も

    花屑にぶつかりぶつかり水馬  暢一

と今年詠みましたが、今気が付いてみると波郷と同じような詠み方をしていました。中八は今迄詠んだ何千句の内この一句だけにて、やはり中八は俳句本来の韻ではありませんから避けるべきなのでしょう。

    波郷忌のはたと昏れたり石蕗の花  皆川盤水

 また今日は二の酉と載っていました。
 丁度5年前、私の所属俳句結社「朝」の20周年記念大会出席の為に上京した折、二の酉で賑わう夜の鷲神社を訪れた事が懐かしく思い出されます。

    東京の思ひ出を買ふ熊手買ふ  暢一

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★蛇笏忌  <2005/10/03>

 10月3日は蛇笏忌(山廬忌)です。昭和37年77歳没。
 最近も藤田湘子氏、福田甲子氏の訃報が相次ぎましたが、飯田蛇笏等の後の時代を担った俳人にも故人となる方々が増えてきました。淋しい思いがします。

    蛇笏忌の岩うつ滝の音聞ゆ     飯田龍太
    蛇笏忌の田に出て月のしづくあび  福田甲子雄

 飯田蛇笏は格調の高い滝の句を多く残しており
    
    冬滝のきけば相次ぐこだまかな
    葛の葉や滝のとどろく岩がくり   

等が知られていますが、龍太氏の句はそこらを踏まえて詠まれたのでしょう。

 蛇笏は自宅の裏だったか近くだったかにある滝を詠んでいたそうですが、当時の俳人が蛇笏の滝の句から想像してさぞかし素晴らしい滝だろうと実際に訪れたところ、チョロチョロとした貧弱な滝だったと云う逸話を聞いた事があります。虚と実を詠み込む参考になりそうです。

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★千代尼忌 <2005/09/08>

 9月8日は「千代尼忌」。幼少期から天才と称された加賀の千代女の忌日です。

   朝顔やつるべとられてもらひ水

と昔なら子供でも知っていた句が有名ですね。
 芭蕉の高弟、支考に十代から見出されて花芙蓉に例えられた美人俳人です。
 朝鮮通信使に千代女の句を書いた掛け軸、扇が贈り物に選ばれた程ですから、当時では国を代表する女流文化人であったようです。
 「欧州で『女詩人チヨ』の名は芭蕉、小林一茶、蕪村と並んで有名です。昨年、松任で開かれた世界子どもハイクキャンプに参加した各国の子どももチヨは知っていました」とある新聞に記述があったそうです。

 7歳の句
   初雁やそのあとからもあとからも
 17歳の句
   稲妻の裾をぬらすや水の上

と恐るべしです。
 
 「朝顔や…」の句は「朝顔に…」で我々は覚えていたり載っていたりしますが、地元の石川県白石市(元加賀国松任)のHPや文献には「朝顔や…」となっていますから「や」が正しいのでしょう。最も現代の俳句界では俗に落ち過ぎた句と言われたりして余り評判が良くありません。特に子規は「人口に膾炙する句なれど俗気多くして俳句といふべからず」と手厳しい。
 
 今の時代でも通じる平易な言葉遣いの句が特徴です。
 
   秋風の山をまはるや鐘の声
   池の雪鴨遊べとて明てあり
   塚に一首おそれがましき蛙かな
   百生や蔓一すじの心より
   おしめども春はとまらで啼く蛙
   それぞれに名乗つて出づる若葉かな
 辞世の句
   月も見て我はこの世をかしく哉

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