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2006年10月の3件の記事

2006年10月30日 (月)

★ 重陽の節句

1ddc 穏やかな好日です。 室温は20℃とこの晩秋の日中の気温としては一番低いですが快適です。

 今日は旧暦で9月9日にて 「重陽の節句」です。
 俳句総合誌付録の俳句吟行手帳などのカレンダーでは9月9日のところに「重陽の節句」 と記しているものがありますが、「菊の節句」 「菊の日」 とも呼ばれる重陽ですから、今日の事として晩秋の季語と認識するべきでしょうね。
 重陽は陽の数字である九が重なる事をめでたいとしたもので「重九」とも言います。 


          重陽の山里にして不二立てり   水原秋櫻子
          重陽や椀の蒔絵のことごとし   長谷川かな女
          重陽や冷き茣座を抱いてゆく   飯島晴子
          重陽の日や琴出して妻老いぬ   岸風三樓
          重陽や舌にさぐりて鯉の骨    能村登四郎


 中国では重陽の節句に丘などへ登り菊を浮かべた酒を飲む宴を催す風習がありました。 これを 「登高」 と称して歳時記にも載っていますね。 「菊の宴」 「菊酒」 もまた重陽の節句の傍題季語です。
 俳句で詠む折、本意から言えば 「登高」は今日の事として詠まなければならない訳ですが、秋に山へハイキング等に行く事とゝして詠まれる事が多いようです。 陰暦3月3日の季語 「踏青」 にも同じような事が言えますね。


          登高や妹もしてみる股覗き       阿波野青畝
          登高や秋虹たちて草木濡れ      飯田蛇笏
          登高や一曲見せて千曲川       鷹羽狩行

          菊酒や粧ひ匂ふ女の童        吉田冬葉
          菊の宴いまのわが身にはれがまし  松尾いはほ


             母米寿なり真似事の菊の宴  暢一     


 序でにもう一つ。 「温め酒」は秋の季語ですが、これも重陽の節句に酒を温めて飲むと無病に過ごせるとの言い伝えからのものです。 温めた酒だけの意味で使うのは本意から言えば間違いです。
 でも登高の拡大解釈しての使い方と同じく、温め酒が恋しくなる晩秋に健康を願いながら飲むと言った意味で使ってもよいのではと私は思います。


          嗜まねど温め酒はよき名なり  高浜虚子
          温め酒雀のこゑもなくなりぬ  石田波郷
          火美し酒美しやあたためむ   山口青邨
          妻と酌む妻は佛や温め酒    森澄雄
          老らくの憂ひも恋も温め酒    阿波野青畝


 序での序でですが、 「菊の着綿。菊の綿」 と云う季語があります。 
 これだけでは何の意味かさっぱり判りませんが、これも重陽の行事の一つ。
 菊の露は長寿の薬とされていたそうで、重陽の節句の前日に菊花の上へ綿を置き、節句の当日露がおりて菊の香の染みたその綿で身体を撫でると老いを拭い去る事が出来るとの風習です。
 昔の人々は実に様々な思いを様々な工夫で自然に願いを託していたのですねぇ。


           綿きせて十程若し菊の花  小林一茶
           枯菊に着綿程の雲もなし   正岡子規

 
 一茶の句も子規の句も 「菊の着綿」 の季語の知識がないと理解し難いですね。

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2006年10月 4日 (水)

★ 素十忌

 今日も曇り。 明日はまた崩れそうです。 ここのところ室温計も23℃前後で推移しています。 仲秋真っ只中と云った感じです。
 最も11月初旬に立冬を迎えますから歳時記で10月は晩秋に分類されていますが。


 今日10月4日は 「素十忌」 。 俳人 高野素十の忌日(昭和51年)です。 
 秋櫻子・誓子・青畝・素十で4Sと言われ活躍した俳人ですね。


            方丈の大庇より春の蝶  高野素十


は誰でも知っている名句ですが、京都の竜安寺での作と言われています。


            甘草の芽のとびとびのひとならび  高野素十


 虚子は絶賛しましたが、草の芽俳句、ただごと俳句と揶揄されたりして賛否両論の極端な評を得ている句です。
 

 素十は明治26年茨城県山玉村生まれ。 本名 興己。
 一高を経て東大医科卒。 新潟医科大学長、新潟大学医学部長、奈良医科大教授等を歴任した医学畑の俳人です。

 彼の有名句を少し挙げてみます。

            
            蟻地獄松風を聞くばかりなり
            歩み来し人麦踏をはじめけり
            門涼みかかる夜更に旅の人
            街路樹の夜も落葉をいそぐなり
            打水や萩より落ちし子かまきり
            くもの糸一すぢよぎる百合の前
            朝顔の双葉のどこか濡れゐたる
            まつすぐの道に出でけり秋の暮
            ひつぱれる糸まつすぐや甲虫
            づかづかと来て踊子にささやける
            翅わつててんたう虫の飛びいづる
            また一人遠くの蘆を刈りはじむ
            蘆刈の天を仰いで梳る
            生涯にまはり燈籠の句一つ

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2006年10月 2日 (月)

★ 宗鑑忌

Img_8448 昨日からの雨が降り続いています。 昨日の少し強い雨と違ってしとしとゝした小雨です。 我が部屋の温度計は昼過ぎにて22.6℃。 素足が少し冷えます。


 今日10月2日は 「宗鑑忌」。 
 室町・戦国時代の連歌師 山崎宗鑑(1465?~1553?)の忌日です。 但し旧暦での忌日ですから、新暦では11月22日にあたります。

 山崎宗鑑は雅の道の連歌を離れ俗の世界の俳諧を推奨して俳諧撰集 「犬筑波集」 等を編纂し、伊勢の神官 荒木田守武と共に俳祖と呼ばれています。 
 ただ 「守武忌」 はポケット歳時記でも載せていますが、「宗鑑忌」 は私の手元の季語収録最多をうたい文句にする大歳時記にも収録されていませんでした。 季語だけを列挙した冊子にかろうじて載っているだけでした。 何故なのでしょうね。

 同じ平易な言葉で俗の世界を詠んだと言えども、美意識を残している守武と比べて、手の込んだ洒落と卑俗奔放な宗鑑の句風は江戸時代の滑稽・戯れの行き過ぎた俳諧を思わせて現代俳句界から重視されていないのでしょうか。


           元日や神代のことも思はるる  荒木田守武
           うつつきてねぶとに鳴や郭公  山崎宗鑑


 守武の句は伊勢神宮の元日を詠んでいて説明の必要もありません。

 宗鑑の句は今の我々にとってこのまゝではよく理解出来ませんが、 「卯月来て音太に鳴くや郭公」 と書き直して表記すると判りますね。 なお「郭公」 は 「ほととぎす」 と読みます。
 ところがこの句は 「根太(腫瘍の事)が痛んで泣いている郭公(守武)」 との意味を持たせた洒落なのです。
 友人である守武が腫瘍にかかっているのをからかって詠んでいるのです。

 宗鑑の句をもう一句。

           風寒し破れ障子の神無月  山崎宗鑑


 「郭公」の句も季重なりですが、現代から見てもま~許せる範囲です。
 でも 「風寒し」の句 は季語だらけで なんともはやと思う句です。
 これも言葉遊びの句です。 「破れ障子」 から 「紙が無い」 を連想して 「神無月」と洒落た訳です。

 今から500年も前、和歌・連歌しか存在しなかった時代に初めて萌え出た俳諧の芽と考えれば、芭蕉から近代以降の作句の基本など遠い未来の事にて、宗鑑・守武のこれらの句は歴史的に重要な句と言えるのでしょう。 三句共 各地に立派な句碑があります。


 当時、宗鑑と云う名の人が3人は存在していたようで資料的に紛らわしく、山崎宗鑑については年代に?を付けたように不明な事が多いようです。
 近江の国(滋賀県草津市)の出身と云われ、室町幕府の九代将軍に仕えた武士ながら、将軍の死をきっかけに身分を捨てゝ連歌風狂の世界に身を置きます。
 山崎に「對月庵」を結び長く住んだ事から 「山崎宗鑑」 と呼ばれるようになりました。 
 京に出て油を終日売り歩き帰庵するのを日課としていたようですから、生活には苦労していたのでしょう。
 大阪府島本町山崎に 「宗鑑旧居跡」 「宗鑑井戸」 の遺跡があります。


             有難き姿拝まんかきつばた  松尾芭蕉


 掲句の芭蕉の句はよく知られていますが、宗鑑の遺跡を訪ねた折に詠まれた句です。 私が時折拝見している「芭蕉DB」で下記の解釈がなされています。

 『その昔、近江公は、痩せこけて乞食のような山崎宗鑑がカキツバタを取っているのを見て、「宗鑑が姿を見れば餓鬼つばた」と詠んだという。その哀れな姿はカキツバタならぬガキツバタだというのである。しかし、私はそんな風狂の宗鑑こそありがたい人であり、カキツバタに宗鑑の姿を写していま一面のカキツバタを見ている。芭蕉の乞食趣味の表出である。 』

           
 晩年は讃岐の国(香川県観音寺市)の興昌寺に 「一夜庵」 を結びそこで生涯を終えたそうです。 享年89歳。


      宗鑑はいづくへと人の問うならば ちとようがありてあの世へといへ


が辞世ですが、晩年 「よう(できもの)」 を患いそのために命を失うことになる宗鑑は辞世でも言葉遊びをしています。

 
 「一夜庵」 は宗鑑が客人の泊まるのを一夜しか許さなかった事からの名だそうです。
 彼の没後、荒れ果てていた一夜庵を江戸時代の俳人達が再興させ、虚子達も訪れて句を残しています。


          宗鑑の墓に花なき涼しさよ       高浜虚子
          松の奥には障子の白きに松      荻原井泉水
          浜から戻りても松の影ふむ砂白きに  河東碧梧桐

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