★ 尾崎紅葉忌 (十千萬堂忌)
好天で始まった今日ですが、午後になって曇天となりました。 室温計は午後4時前にて21℃。
今日 10月30日は小説家 尾崎紅葉の忌日です。
1903(明治36)年 胃癌の為 36歳で死去。 思っていたよりも早世だったので驚きました。
難題を課してたのしむ紅葉忌 山口青邨
紅葉忌舞台の裏に修しけり 石川春象
尾崎紅葉は 「多情多恨」 「金色夜叉」 などで有名な明治の文豪ですが、熱心な俳人でもありました。
以下 角川俳句大歳時記の紅葉忌(坪内捻典氏記)を参考にしつゝ略歴を記してみます。
『慶応3(1867)年 江戸生まれ。 帝国大学中退。
大学予備門の学生時代に山田美妙らと文学結社 硯友社を興し、機関誌『我楽多文庫』を発行。
明治22年(1889) 「二人比丘尼色懺悔」が出世作となり、同年 読売新聞社に入社。
明治23(1890)年に硯友社の巌谷小波などと俳句結社「紫吟社」を結ぶ。
明治28年には角田竹冷らと「秋声会」を結成、正岡子規たちに対抗する新派俳壇のリーダーとして活躍。』
俳号は十千萬堂。 紅葉忌は十千萬堂忌とも呼ばれます。
辞世の句は
死なば秋露の干ぬ間ぞおもしろき
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<尾崎紅葉 俳句抄>
昼中の盃取りぬあらひ鯉
雨の庭萩起し行く女かな
ちく~と潮満ち来るや芦の角
春の日の巡礼蝶に似たるかな
雨来らんとして頻りに揚る花火哉
鶏の静に除夜を寝たりけり
人訪へば梅干して居る内儀哉
水飯や簾捲いたる日の夕
蚊帳の月美人の膝を閑却す
雨を帯びて麗はしの粽到来す
鬼燈も紅葉しにけり緋金巾
切符買うて手毎にかざせ初紅葉
垣結ふや竹の落葉を払ひつゝ
鮎看るべく流聴くべく渓の石
口あいて佐渡が見ゆると涼みけり
夏衣碓氷の雨の灑ぐかな
我背子が来べき宵なり玉子酒
年玉やものものしくも紙二帖
襤褸市は曇りて雨の甲斐秩父
鍋焼の火をとろくして語るかな
茜掘夕日の岡を帰りけり
近道や茨白うしてうす暗き
泣いて行くウエルテルに逢ふ朧哉
猿曳の猿を抱いたる日暮かな
小机に載せてこそあれ初暦
歯固や鼠は何を食む今宵
初空やその薄色の三枚着
露霜や蓬生の宿に人病めり
混沌として元日の暮れにけり
北向やこんこん叩く厚氷
花嫁の手を憐むや茎菜漬
月に棹して生簀の鱸見て帰る
秋深き燈も憂きに細るげな
深山木や斧に湿ふ秋の雲
鶺鴒の尾を振りきそふ早瀬哉
茹菱の切先出たり紙袋
優しさよ梨なんど剥く手元さへ
秋もはやさらばさらばと落し水
枝少し鳴らして二百十日かな
鳴き交ふや買ふて来た虫籠の虫
蕈に深山のおどろおどろしきを思ふ
星既に秋の眼をひらきけり
枝豆を人待顔にたぶるかな
ごぼごぼと薬飲みけりけさの秋
気壮んに行く秋などの何ともな
ばさばさと刈られ終んぬ花薄
芋虫の雨を聴き居る葉裏哉
自転車の汗打かをる公子かな
揉瓜や四十男の酒を妻
市に見る今朝の胡瓜や小指ほど
散る傍に牡丹の魂の迷ふかな
炎天や誰が子はだしの放し飼
暮かぬる門や嫁入のざんざめく
星くひにあがるきほひや夕雲雀
秋を出て夕暮通る舟一つ
十三夜酒なき宿をたゝきけり
夕雲雀天を貫く穴や星
雲に濤にさそ歌あらむ秋の人
笛の音や誰とも知らす秋の人
赤きもの食ひ~行きぬ秋の人
俳諧の骨拾はうよ枯尾花
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