★ 寺山修司忌
午前中に少し小雨が降り、あとは薄々とした曇天の一日でした。
今日は寺山修司忌。
1983(昭和58)年5月4日没。 享年47歳。 早世だったのですね。
寺山修司は青森県生まれ。 早大中退。
天井桟敷主宰として有名でしたが、劇作家、演出家、俳優、映画監督、評論家、詩人、俳人、歌人、エッセイスト、小説家、写真家 等々、実に多彩な経歴の持主ですが、まず世に出たのは歌人としてでした。
俳句は芸術家として原点と言ってもよい存在にて寺山修司自身以下のように述べています。
『中学から高校へかけて、私の自己形成にもっとも大きい比重を占めていたのは、俳句であった。この亡びゆく詩型式に、私はひどく魅かれていた。』
『十五歳から十九歳までのあいだに、ノートにしてほぼ十冊、各行にびっしりと書きつらねていった俳句は、日記にかわる「自己形成の記録」なのであった。』
もっとも中学時代は俳句にあまり関心を持っていなかったようで、親友の詠んだ俳句が地方新聞に掲載された事による競争心から俳句に熱中しだしたのが真相のようです。
高校3年に「蛍雪時代」へ投稿した句。 (中村草田男選で二席に入選)
便所より青空見えて啄木忌
生涯に次の4句集を出しています。
「われに五月を」(昭和32年)、 「わが金枝篇」(昭和48年)、
「花粉航海」(昭和50年)、 「わが高校時代の犯罪」(昭和55年)。
また「寺山修司の俳句入門」も著しています。
<寺山修司俳句抄>
電球に蛾を閉じこめし五月かな
秋風やひとさし指は誰の墓
わが死後を書けばかならず春怒濤
父を嗅ぐ書斎に犀を幻想し
暗室より水の音する母の情事
心臓の汽笛まつすぐ北望し
家負うて家に墜ち来ぬ蝸牛
蛍火で読みしは戸籍抄本のみ
絹糸赤し村の暗部に出生し
台詞ゆえ甕の落葉を見て泣きぬ
わが夏帽どこまで転べども故郷
秋暁の戸のすき間なり米研ぐ母
他郷にてのびし髭剃る桜桃忌
莨(たばこ)火を樹で消し母校よりはなる
軒燕古書売りし日は海へ行く
車輪繕う地のたんぽゝに頬つけて
燕の巣母の表札風に古り
目つむりても吾を統ぶ五月の鷹
流すべき流燈われの胸照らす
さんま焼くや煙突の影のびる頃
鵞鳥の列は川沿ひがちに冬の旅
葱坊主どこをふり向きても故郷
私生児が畳をかつぐ秋まつり
卒業歌遠嶺のみ見ること止めむ
屋根裏に吊す玉葱修司の忌
胸痛きまで鉄棒に凭り鰯雲
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