俳人関係

2010年2月25日 (木)

★ 飯田龍太忌

 一昨日よりも昨日、昨日よりも今日と今週に入って仲春並みの暖かい日が続きます。 深夜の今でも我が部屋の温度計は18.5℃。 日中は恐らく20℃を越えていたことでしょう。 ちょっと異常ですね。

 今日は 俳人飯田龍太の忌日です。 
 平成19(2007)年2月25日没。 享年86歳。

 3年前とまだ記憶に新しく、尊敬する俳人の突然の訃報には衝撃を受けたものです。
 その15年前の平成4(1992)年に主宰する『雲母』を唐突と言った感じで廃刊し、俳壇から身を引いてしまった後の去就を知ることが少なかった為に尚更でした。


 <飯田龍太 略歴>

 ・大正9(1920)年7月10日 俳人飯田蛇笏 の四男として山梨県に生まれる。
 ・国学院大学卒業後 昭和37(1962)年10月、父 蛇笏が没し、『雲母』を継承。
 ・昭和32(1957)年 第一句集「百戸の谿」にて現代俳句協会賞受賞。
 ・昭和43(1968)年 第四句集「忘音」にて第20回読売文学賞受賞。
 ・昭和56(1981)年 日本芸術院賞、恩賜賞受賞。
 ・昭和58(1983)年 紫綬褒章受賞。
 ・昭和59(1984)年 日本芸術院会員。
 ・平成 4(1992)年 蛇笏没後30年を期に俳誌『雲母』を900号にて廃刊。


    <代表句>

     大寒の一戸もかくれなき故郷
     一月の川一月の谷の中
     雪の日暮れはいくたびも読む文のごとし
     雪山のどこも動かず花にほふ
     白梅のあと紅梅の深空あり
     雪の峰しづかに春ののぼりゆく 
     黒猫の子のぞろぞろと月夜かな 
     いきいきと三月生る雲の奧
     紺絣春月重く出でしかな

     春の鳶寄りわかれては高みつつ
     春暁の竹筒にある筆二本
     春すでに高嶺未婚のつばくらめ
     野に住めば流人のおもひ初つばめ  
     子の皿に塩ふる音もみどりの夜
     抱く吾子も梅雨の重みといふべしや
     かたつむり甲斐も信濃も雨の中
     夕焼けて遠山雲の意にそへり
     露草も露のちからの花ひらく

     満月に目をみひらいて花こぶし
     鰯雲日かげは水の音迅く
     露の村墓域とおもふばかりなり
     生前も死後もつめたき箒の柄
     山河はや冬かがやきて位につけり
     落葉踏む足音いづこにもあらず
     手が見えて父が落葉の山歩く
     父母のなき裏口開いて枯木山
     ねむるまで冬滝ひびく水の上

                                         <画像拡大可>
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 本棚にある飯田龍太著・句集の書籍を捜してみたら6冊ありました。
 一番新しいものでも平成2年発行ですから、どれも夢中で俳句関係の本を読み漁っていた初心の頃に買ったものですが、我が師 岡本眸先生以外では多い方かもしれません。 そう言えば最近は惹かれる著書に出会う事が稀で読む事も少なくなりました。

 中でもお奨めは画像左端の『新編 飯田龍太読本』(俳句研究編集部 編)。
 第一句集「百戸の谿」~第九句集「山の影」、そして「山の影以降」とほぼ全句集と、200頁に及ぶ随筆その他が収録されている大冊です。
 今でも古書であればネットで購入出来ます。
 但し本書は平成2年発行にて定価1800円でしたが、Amazonで調べてみると古書に5000円の値が付いていました。 

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  ※ 飯田蛇笏忌については4年前に取り上げました。
     ごく短い記事ですが、宜しければ下記タイトルをクリックの上ご覧下さい。
         ↓
      ★ 蛇笏忌  <2005/10/03>

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2009年12月 1日 (火)

★ 川崎展宏氏逝く (平成21年11月29日)

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 昨日の朝日新聞の記事で川崎展宏氏のご逝去を知りました。 享年82歳。 現代の俳句界をリードしてきた俳人をまた一人失い 残念でなりません。

 川崎展宏氏は各俳句誌をはじめとして朝日俳壇の選者やNHK俳句王国の主宰などとメディアで活躍しておられた事もあって著名な俳人でしたが、私もNHK俳句王国に出演した折にご一緒した事があり、いま訃報に接して懐かしく思い出しました。

 朝日新聞記事の画像をクリックして拡大頂ければ読めるとは思いますが、念の為に下記に記事を記します。

 『「朝日俳壇」元選者  川崎展宏さん死去。
  朝日俳壇選者を務めた俳人の川崎展宏(かわさき・てんこう、本名川崎展宏<かわさき・のぶひろ>)さんが、29日午前2時30分、肺がんのため東京都内の病院で死去した。 82歳だった。
  葬儀は12月5日午前9時30分から東京都府中市多磨町2の1の1の多摩葬祭場思親殿で、喪主は妻美喜子さん。

  広島県呉市出身。 東京大学在学中に加藤楸邨に師事、「寒雷」門下の若手として頭角を現す。 70年、森澄雄の「杉」創刊に参加、80年に同人誌「貂(てん)」を創刊し、代表や名誉代表を務めた。
  94年から13年間、「朝日俳壇」選者を担当。 明治大教授なども歴任。 療養中今年9月にも、10句の最新詠を本誌に寄せた。

  句風は軽妙にして繊細、花鳥諷詠と太平洋戦争の戦没者に対する鎮魂を主題とし、古典文学にも長じた。
  代表句に、黄泉平坂(よもつひらさか=現世と黄泉の境)にいる沈没戦艦から電信が届いたという幻想の作

        「大和」よりヨモツヒラサカスミレサク

  言葉遊びが魅力的な

        赤い根のところ南無妙菠薐(ほうれん)草

  句集に「夏」(読売文学賞)、「秋」(詩歌文学館賞)、評論集「虚子から虚子へ」などがある。』


  <川崎展宏 俳句抄>

   「大和」よりヨモツヒラサカスミレサク
   あ初蝶こゑてふてふを追ひにけり
   いましがた出かけられしが梅雨の雷
   うしろ手に一寸紫式部の実
   かたくりは耳のうしろを見せる花
   すみれの花咲く頃の叔母杖に凭る
   ともしびの明石の宿で更衣
   みづうみへこころ傾く葛の花
   むつつりと上野の桜見てかへる
   鮎の腸口をちひさく開けて食ふ
   椅子一つ抛り込んだる春焚火

   炎天へ打つて出るべく茶漬飯
   夏座敷棺は怒濤を蓋ひたる
   虚子に問ふ十一月二十五日のこと如何に
   京都駅下車迷はずに鱧の皮
   玉くしげ箱根の上げし夏の月
   鶏頭に鶏頭ごつと触れゐたる
   戸口まで紅葉してをる鼠捕
   高波の夜目にも見ゆる心太
   黒鯛を黙つてつくる秋の暮
   骨もまた疲れて眠る龍の玉
   座敷から月夜へ輪ゴム飛ばしけり

   桜貝大和島根のあるかぎり
   桜鯛子鯛も口を結びたる
   酒盛りのひとり声高十三夜
   人影のかたまつてくる寒牡丹
   人間は管より成れる日短
   赤い根のところ南無妙菠薐草
   早乙女も影となる田の薄茜
   天の川水車は水をあげてこぼす
   塗椀が都へのぼる雪を出て
   冬すみれ富士が見えたり隠れたり
   冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ

   冬麗の水に靨や流れをり
   桃の咲くそらみつ大和に入りにけり
   二人してしづかに泉よごしけり
   熱燗や討入り下りた者同士
   白波にかぶさる波や夜の秋
   仏生会鎌倉の空人歩く
   方寸にあり紅梅の志
   綿虫にあるかもしれぬ心かな
   柚子風呂にひたす五体の蝶番
   雄ごごろの萎えては雪に雪つぶて
   夕焼て指切の指のみ残り

                   (現代俳句データーベースより)

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2009年5月24日 (日)

★ 能村登四郎忌

 今日は新月。 旧暦の5月1日にあたります。 
 昼下がりの室温計は26℃、淡い日射しがあるものゝ薄雲の広がる空模様。
 しかし 夕方になって急に激しく降り出し雷も遠くより聞こえます。室温も2℃ほど下がりました。

 5月24日は俳人 能村登四郎の忌日です。 平成13(2001)年没。 享年90歳。
 尊敬していた俳人でしたので、訃報を聞いた折の衝撃は忘れられません。 
  
     火を焚くや枯野の沖を誰か過ぐ  登四郎

 掲句は俳句に親しむ方なら誰でもが知っている名句ですね。 主宰誌 『』 の名の由来です。


 <能村登四郎略歴>

 明治44(1911)年1月5日 東京都生まれ。 本名も同じ。
 国学院大卒、教員を経て専業俳人。 
 昭和31(1956)年現代俳句協会賞。
 昭和60(1985)年 「天上華」 で蛇笏賞。
 平成5(1993)年 「長嘯」 で詩歌文学館賞。

 句集 「租借音」 「合掌部落」 「枯野の沖」 「民話」 「幻山水」
     「有為の山」 「冬の音楽」 「天上華」 「寒九」 「菊塵」
 著書 「伝統の流れの端に立ちて」

 16歳で伯父より俳句の手ほどきを受けたのが始め。 折口信夫の影響下で短歌を詠んだ時期もありましたが、同誌解散後昭和14(1939)年 「馬酔木」 に入会、水原秋櫻子の指導を受ける。 
 昭和45(1970)年 「沖」 を創刊主宰。 
 教師生活を詠んだ句などで知られるようになった能村登四郎ですが、写実を超えた内面深化の作風と評されて常に俳界の主流を歩み、晩年は傘寿の老齢を自在に表現した放下の句境で異彩を放ちました。
 俳誌 「沖」 は現在 ご子息の能村研三氏が主宰継承。
 

 <能村登四郎 代表句抄>

     長靴に腰埋め野分の老教師
     火を焚くや枯野の沖を誰か過ぐ
     今思へば皆遠火事のごとくなり
     曼珠沙華天のかぎりを青充たす
     初あかりそのまま命あかりかな
     捨て湯の香明日晴れ寒さ極まらむ

     子にみやげなき秋の夜の肩車
     春ひとり槍投げて槍に歩み寄る
     霜履きし箒しばらくして倒る
     蝿叩くには手ごろなる俳誌あり
     板前は教へ子なりし一の酉
     紐すこし貰ひに来たり雛納め

     曉紅に露の藁屋根合掌す
     くちびるを出て朝寒のこゑとなる
     よき教師たりや星透く鰯雲
     洗はれて月明を得む吾子の墓
     跳ぶ時の内股しろき蟇
     夏掛けのみづいろといふ自愛かな

     冬あをき椿葉にほひ部落婚
     梅漬けて赤き妻の手夜は愛す
     白川村夕霧すでに湖底めく
     朴散りし後妻が咲く天上華
     夜間教師慂められをり夜も野分

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 岡本眸先生は一昨年 蛇笏賞受賞後にエッセイ集 『栞ひも』を上梓されましたが、
 その中に 「忘れられぬことー能村登四郎」 と題した一文を所収しておられます。

 平成13年に書かれた文章ですが、一部を概略してご紹介してみます。

 『10年程前のこと、大久保駅前の生蕎麦屋で一卓だけ空いていた席で昼食をとっていると、一陣の寒風と共に入って来て、私の席の前へ坐られたのが、何と、能村登四郎先生。 先生もびっくりされたらしい。 顔をつき合わせるように蕎麦を啜る。 日頃私淑している方との相席なのだから、こちんこちんになって味も判らぬところなのだが、不思議に固くならず、ひたすら楽しかったのは、先生の飾らぬお人柄のおかげであろうと思う。 ------。

    捨て湯の香明日晴れ寒さ極まらむ  (『合掌部落』)

 結婚後間もない私が、生活俳句の方向に示唆された一句で、その折の感動は今も鮮やかである。 5月24日、能村登四郎先生逝去。 この夏さみしさきわまりなくー。 -------。

                    ※

    捨て湯の香明日晴れ寒さ極まらむ  登四郎
    春ひとり槍投げて槍に歩み寄る
    紐すこし貰ひに来たり雛納め
    今思へば皆遠火事のごとくなり
    夏掛けのみづいろといふ自愛かな

 潔いほどの美意識と、確かな現実感が表裏をなす能村先生の作品は、後輩、とくに、日常身辺吟に執する私にとっては、得難く、大切な指標であり、師表であった。 どれほど教えられ、叱咤され、励まされたか判らない。 ------。

    さくら蘂うづ高く寄せ庭の隅  登四郎
    衣更へて新しく座す袖の位置

 「沖」 6月号より抽いた。 この号には能村先生ご逝去の謹告があり、そのあとに、先生の作品と、「歌右衛門逝く」 のエッセイがあった。 私には美しい 「二つの死」 のように思えた。 合掌。』

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 私の愛蔵書の一つに 俳句研究別冊 『能村登四郎読本』 (富士見書房)があります。 平成2(1990)年発行にて19年前に購入したものですが、能村登四郎の第一句集 「租借音」から第十句集 「菊塵」 までの全句集と、随筆・紀行・評論を所収した414頁の大冊です。
 この機会にところどころ読み返してみましたが、何度読んでも魅かれます。

 もう絶版になっていますが、古書店をネットで調べてみると定価1800円の同書に少焼けの古書にもかかわらず2800円の値が付いているものもありました。人気があるのですね。

       Img_0483

                 <画像拡大可>

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   (その他参考文献) 俳句α増刊号「逆引き 俳人名鑑」(毎日新聞社)

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2009年5月 4日 (月)

★ 寺山修司忌

 午前中に少し小雨が降り、あとは薄々とした曇天の一日でした。 

 今日は寺山修司忌。  
 1983(昭和58)年5月4日没。 享年47歳。 早世だったのですね。
 寺山修司は青森県生まれ。 早大中退。
 天井桟敷主宰として有名でしたが、劇作家、演出家、俳優、映画監督、評論家、詩人、俳人、歌人、エッセイスト、小説家、写真家 等々、実に多彩な経歴の持主ですが、まず世に出たのは歌人としてでした。 

 俳句は芸術家として原点と言ってもよい存在にて寺山修司自身以下のように述べています。
 『中学から高校へかけて、私の自己形成にもっとも大きい比重を占めていたのは、俳句であった。この亡びゆく詩型式に、私はひどく魅かれていた。』
 『十五歳から十九歳までのあいだに、ノートにしてほぼ十冊、各行にびっしりと書きつらねていった俳句は、日記にかわる「自己形成の記録」なのであった。』

 もっとも中学時代は俳句にあまり関心を持っていなかったようで、親友の詠んだ俳句が地方新聞に掲載された事による競争心から俳句に熱中しだしたのが真相のようです。

 高校3年に「蛍雪時代」へ投稿した句。 (中村草田男選で二席に入選)

       便所より青空見えて啄木忌 

 生涯に次の4句集を出しています。
 「われに五月を」(昭和32年)、 「わが金枝篇」(昭和48年)、 
「花粉航海」(昭和50年)、 「わが高校時代の犯罪」(昭和55年)。
 また「寺山修司の俳句入門」も著しています。

        <寺山修司俳句抄>       

       電球に蛾を閉じこめし五月かな
       秋風やひとさし指は誰の墓
       わが死後を書けばかならず春怒濤
       父を嗅ぐ書斎に犀を幻想し
       暗室より水の音する母の情事
       心臓の汽笛まつすぐ北望し
       家負うて家に墜ち来ぬ蝸牛
       蛍火で読みしは戸籍抄本のみ
       絹糸赤し村の暗部に出生し

       台詞ゆえ甕の落葉を見て泣きぬ
       わが夏帽どこまで転べども故郷
       秋暁の戸のすき間なり米研ぐ母
       他郷にてのびし髭剃る桜桃忌
       莨(たばこ)火を樹で消し母校よりはなる
       軒燕古書売りし日は海へ行く
       車輪繕う地のたんぽゝに頬つけて
       燕の巣母の表札風に古り
       目つむりても吾を統ぶ五月の鷹

       流すべき流燈われの胸照らす 
       さんま焼くや煙突の影のびる頃
       鵞鳥の列は川沿ひがちに冬の旅  
       葱坊主どこをふり向きても故郷
       私生児が畳をかつぐ秋まつり
       卒業歌遠嶺のみ見ること止めむ
       屋根裏に吊す玉葱修司の忌
       胸痛きまで鉄棒に凭り鰯雲

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2009年3月17日 (火)

★ 彼岸入り。 ★ 青木月斗忌。

 今日3月17日は彼岸の入りですね。

     雑貨屋に樒榊や彼岸入  加藤暢一

 正岡子規は 「毎年よ彼岸の入に寒いのは」 と詠みましたが、少し風が吹いているものゝ晴天にて暖かい日となりました。 午後2時前の我が部屋の温度計は16.8℃を指しています。     

 3年前、『★終い彼岸』(2006年3月24日)にて「彼岸」の記事を載せた事がありますが、その時は3月も24日に拘らず「寒い日が続いている」と書いていますから、子規の句は今でも通じるようです。
 彼岸に関する季語を例句と共に少し詳しく述べていますので、もし宜しければ下記をクリックの上 ご覧下さい。
           ↓
      ‘ ★ 終い彼岸 ’


        ゜・。。・゜゜・。。・゜゜・。。・゜゜・。。・゜゜・。。・゜゜・。。・゜


 また今日は俳人青木月斗の忌日です。 鶯忌とも呼ばれます。
 詩情溢れる句風にて大阪新派俳句界の雄と言われました。 晩年は山水老人との別号も。
 正岡子規は 「俳諧の西の奉行や月の秋」 と詠んで関西での青木月斗の活躍を称えています。

 辞世句は

     臨終の庭に鶯鳴きにけり  青木月斗 

 明治12(1879)年11月20日、大阪市東区南久太郎町生まれ。 
 昭和24(1949)年3月17日、奈良県大宇陀町にて没。 
 享年69歳。 本名は新護。
 明治27(1894)年 阪薬学校に入学しましたが中退、家業の青木新護薬房を継承。 
 後に廃業して俳句に専念。

 明治30年暮より俳句を始めます。 正岡子規に師事。 
 明治32年10月 『車百合』 を創刊するも3年で廃刊。
 妹が河東碧梧桐の妻に、また実子も碧梧桐の養女になっています。

 大正 9年俳誌 『同人』 を創刊主宰。
  『同人』 は昭和19年に一度廃刊されますが、川瀨一貫らによって東京に發行所を移し昭和21年復刊。 現在は有馬籌子氏が主宰しておられます。

 <俳句抄>
    春愁や草を歩けば草青く
    天心あり今年の寒厳し
    囀つて囀って野を曇らしぬ
    初春や氷魚滑かに舌の上
    行年や空地の草に雨が降る
    人こまぬ夜汽車なれども凍てにけり  
    カナリヤの鳴き止まばこそ日の永き
    秋の暮近所探して子の居らぬ
    池尻の藻や花白き夕月夜
    横になれば眠ってしまふ蟲遠音 
    開帳の寺覗き行く野かけ哉

    川行水山に夕つつ光りけり 
    北風や浪に隠るゝ佐渡島
    聖旦や蒼生の賀に 
    春惜む酒中の天地さむる時 
    百合の蕾狐の顔に似たる哉
    菊の燭風露動いて瞬す
    嵯峨硯磨って時雨の句を止む
    ささ波や志賀の太湖の秋の晴
    我庭は梅の落花や初桜
    其棚に泣きかたりたる雛のぬし
    彼岸会や南に霞む天王寺

    春の雪楼上に見る川青き
    雲飛べば野は雪近し梅の花
    江の島の風雨に春の寒さ哉
    田楽を焼く火起しぬ桃の陰 
    桃提げて伏見の戻り夕月夜
    山里や日が暮れてより春の闇
    汝が妻は椿の花の島少女
    中国の探題なれやさくら鯛 
    舟行や青螺を縫うて風薫る
    渓川に沿うて入りけり山茂り
    あるじ塗りし壁とよ冬の趣に

    春酒満酔尚も許さず鯛茶漬
    日本に一つの山や雪初日
    蕪村忌や蕪村の像を誰が作る
    老師一喝狸乍ち油壷
    雪霏々と夜半の都の燈哉
    時鳥朝夕べに山三日
    飈々と天巻き地まく風や夏
    秋風の夜すがら鬼哭啾々と
    蟲しぐれ酒の睡りがつきにけり 
    今年水年蟻が畳にのぼりゐし
    太閤の余憤とばかり残炎に
  
    父が魂もみ国を護る身にぞしむ
    江戸橋に立ちて水見る夏めきぬ   
    風鈴の音そはへゐる大雨哉
    草いきれ笠の中なる顔襲ふ
    行平にたく粟粥や今朝の秋
    秋水に須落したる顔洗ふ
    内堀に映る櫓や風光る
    雨蛙鳴きくるるに雨降らず 
    雨蛙汝一人ぬれ色に
    盞に火蛾は金沙を降らしけり
    旅暑し難行苦行打重ね
 
    竹林に鶏白し秋の風
    萩伏して霖雨やうやく霽れんとす  
    大陸に南の海に大初日  
    断々乎断々乎たり冬の雷
    東風万里昭南島は生れたり 
    山中居雪中居夜は狐鳴く
    初午の佐多山雪の飛びにけり  
    煎薬の匂ひ親しく春めきぬ
    南座は誰来てゐるや床涼み
    蟹の子の此処にも遊ぶ湯殿かな
    藷掘て麦の用意や片山家

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2008年12月12日 (金)

★ 鈴木六林男忌

 ここ数日暖かい日が続きます。 今日も夜9時半の室温は16℃。
 しかし明日から低気圧の影響で気温が下がり、この日曜日にはまた冷え込むとの予報が出ていました。

 今日12月12日は俳人 鈴木六林男の忌日です。 平成16年肝不全で大阪府泉大津市の病院にて逝去。 享年85歳。 
 大正8年9月28日 大阪府泉北郡山滝村(現岸和田市)生まれ。 本名は次郎。

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 17歳の若さで鈴木六林男は俳句を詠み始め、20歳で戦前 新興俳句の拠点であった「京大俳句」に投句。 運動の旗手の一人で東京在住者の代表格であった西東三鬼に師事し、無季俳句を多く作りました。
 (西東三鬼については2006年4月 1日に記事にした事があります。 
  宜しければ 『 ★ 三鬼忌 』 をクリックの上ご覧下さい。)

 戦時中、中国・フィリピン等に従軍して辛酸を舐め、フィリピンのバターン・コレヒドール要塞戦で負傷して帰還。
 フィリピンでの戦場句集「荒天」を昭和24年に発表して世に知られるようになりました。
 「荒天」の代表句

    遺品あり岩波文庫『阿部一族』     六林男

 「荒天」の各項目の始めの句のみ挙げておきます。

    送る歌産院の高き窓よりも
    背嚢おもくひとりづつおりる
    弾痕街熱風に兵を叱る声
    長短の兵の痩身秋風裡
    壕を掘る秋夜の風に背を吹かれ
    瞑れば弾子散らばる地の起伏
    暁の鶏鳴とどく秋の軍隊
    愛遠し雪のたそがれを渇きゆく
    大陸に別るる雪の喇叭鳴り
    うつうつと砲音に午ひるが来てゐる
    いつ死ぬか―樹海の月に渇きゐる
    風を聴き夕日の金きんに染まつてゐる
    低き逓伝負傷者来る道をあけ!
    蜿蜒と炎炎と灼け雲を置く
    個個にゐて大夕焼に染りゐる
    瞑れば谷流れ血の赤きなど

 彼の身体には戦場での鉄の破片が入ったままだったそうです。

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 戦後は山口誓子の「天狼(てんろう)」創刊に参加。
 1950年代の社会性俳句が盛んな折にも活躍し、以降俳句界の第一人者として高く評価されています。

  昭和46年「花曜」創刊主宰。
  昭和32年 「吹田操車場」などにて現代俳句協会賞  
  平成7年 「雨の時代」で蛇笏賞
  平成14年 現代俳句大賞 受賞。
  元大阪芸大教授。 元現代俳句協会副会長。

 代表句は

    天上も淋しからんに燕子花  六林男  (燕子花 カキツバタ)

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 その他の句も少し挙げておきます。

    はや不和の三日の土を耕せる
    暗闇の眼玉濡らさず泳ぐなり
    五月の夜未来ある身の髪匂う
    春の山やくざの墓に風あそぶ
    全病むと個の立ちつくす天の川
    何をしていた蛇が卵を呑み込むとき 
    さみだるる大僧正の猥談と
    血を売って愉快な青年たちの冬
    深山に蕨採りつつ滅びるか
    八十八夜都にこころやすからず
    わが死後の乗換駅の潦
    脚冷えて立ちて見ていし孤児の野球
    バレンタインの消えない死体途中の花
    直立の夜越しの怒り桜の木
    旅人われに雨降り山口市の鴉
    向日葵に大学の留守つづきおり
    泥棒や強盗に日の永くなり
                          .

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2008年11月 6日 (木)

★ 石川桂郎忌

 昨日の穏やかに晴れ渡った好天から一転して 今日は今にも降り出しそうな曇天。 
 室温計も正午現在で18℃と少し低めです。

 本日11月6日は俳人 石川桂郎の忌日です。

      水底も紅葉を急ぐ桂郎忌  神蔵器
 
 1975(昭和50)年没。 享年66歳。
 ・ 俳誌 「風土」 主宰。
 ・ 第1回俳人協会賞(昭和36年)を句集 『含羞』 にて受賞。
 ・ 第9回蛇笏賞(昭和50年)を受賞。

 また随筆家・小説家としても活躍しました。
 ・ 第25回読売文学賞随筆・紀行賞(昭和48年)を 『俳人風狂列伝』 にて受賞。
 ・ 第32回(昭和29年/1954年下半期)の直木賞候補。 『妻の温泉』 にて。

 石川桂郎は明治42年 東京三田の生まれ。 本名 一雄。
 高等小学校卒業後 家業の理髪店を継ぎ 昭和11年に店主となりますが、その翌年の昭和12年に石田波郷主宰の「鶴」が創刊されて参加します。
 また随筆が永井龍男に認められ 後に横光利一に文学を学びました。

 俳句や小説に夢中になった彼は昭和16年理髪店を廃業してしまいます。 
 そして翌年、小説 『剃刀日記』にて理髪師を描き、ラジオでも放送されるなど評判となりました。
 戦後、俳句総合誌「俳句研究」 「俳句」 の編集長を歴任した後、昭和39年に俳誌「風土」を主宰。
 昭和50年に66歳で食道癌のため死去。
 闘病中の下記の句は特に有名です。

      粕汁にあたたまりゆく命あり  桂郎

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      麗らかや今日はどの道とほらうか  暢一

 石川桂郎の句には思い出があります。 掲句は私の初心の頃のものです。 
 師 岡本眸先生のご添削は
  『石川桂郎先生に前例がありますので このスタイルは損です』 との事。 
 もちろん没に致しましたが、初心者の悲しさ、石川桂郎の事は存在すら知りませんでした。

 そこで前例と仰る句を歳時記や俳句関係の書物で捜しました。 師や先輩達に尋ねれば教えてくれたでしょうけれど、意地っ張りなところもある私ですので…。
 どんな句か また季語どころか季節すら分かりませんから苦労しました。 インターネット等はまだ存在しない時代です。
 やっと見付けたのが下記の句。

      昼蛙どの畦のどこ曲らうか  桂郎

 今になって思えばかなり有名な句です。 知らなかったとは云え止むを得ませんね。
 以来 石川桂郎は私にとって身近な存在となりました。
     
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  <石川桂郎 俳句抄>
       
     三寒の四温を待てる机かな
     理髪師に夜寒の椅子が空いてゐる
     仲見世の裏行く癖も十二月
     塗碗に割つて重しよ寒卵
     朝顔や境内浅く鬼子母神
     つまらなく夫婦の膝の柿二つ
     柿青し鏡いらずの鬚を剃る
     釣堀がこんなところに雨の旗
     疲れ鵜の瑠璃の泪目なせりけり
     ラムネ抜く音の思ひ出三田訪はな
     町中に寺の灯ともる針供養

     入学の吾子人前に押し出だす
     十円の銭の音なる社会鍋
     父の忌の朝より母の懐炉灰
     冬菜売老の眼鏡の紐むすび
     屑屋来て昼起さるる一葉忌
     剃刀の思ひ出話添水鳴る
     新宿に会ふは別るる西鶴忌
     水薄くすべりて堰や赤とんぼ
     原爆の日の病む手足洗ひをり
     おしめりや朝顔市に人減らず

     一つづつ分けて粽のわれに無し
     黒々とひとは雨具を桜桃忌
     膝でたたむ干物蕗の煮えこぼれ
     友来れば病をかくす古茶の缶
     憲法記念日裏町長屋見透しに
     裏がへる亀思ふべし鳴けるなり
     指切つて血がとまらぬよ四月馬鹿
     雪女彳たせし井水汲みにけり
     鳥総松女子理髪師に顔ゆだね
     買初にかふや七色唐辛子

     独酌のごまめばかりを拾ひをり
     ひこばえや山羊追ふごとく子を追ひて
     曇天の花重たしや義士祭
     旗鳴つて雛市立てり畦のくま
     左義長や婆が跨ぎて火の終
     風の子が駈けすぎしより鍬始
     酒断つて万歳寒きラジオ切る
     河豚鍋や水面のネオン雨に痩せ
     柚子湯して妻とあそべるおもひかな
     柿の枝の影につまづく雪月夜

     夏祭水田水田を笛ころび
     婆ひとり稲穂に沈む鎌の音
     金魚売けふゐて明日をゐあはすや
     激雷に剃りて女の頸つめたし
     父の忌や二枚あはせの海苔あぶる
     遠蛙酒の器の水を呑む
     洗面の水の痛さの遠雪崩
     銭湯や煤湯といふを忘れをり
     西鶴忌人に疲れて帰り来る
     十六夜の妻は離れて眠りをり

     臥すわれに微熱の如く花合歓は
     棕梠味くや暗きところに暗き顔
     蟻地獄女の髪の掌に剰り
     太宰忌の蛍行きちがひゆきちがひ
     昼寝子や生れし日のごと髪濡れて
     激雷に剃りて女の頸つめたし
     青梅雨の深みにはまる思ひかな
     河童忌や水の乱せし己が影
     ゆめにみる女はひとり星祭
     高蘆のなかゆく道や桃青忌

     
     みこまれて癌と暮しぬ草萌ゆる
     点滴に縛られし月登りけり

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2008年10月30日 (木)

★ 尾崎紅葉忌 (十千萬堂忌)

 好天で始まった今日ですが、午後になって曇天となりました。 室温計は午後4時前にて21℃。

 今日 10月30日は小説家 尾崎紅葉の忌日です。
 1903(明治36)年 胃癌の為 36歳で死去。 思っていたよりも早世だったので驚きました。

       難題を課してたのしむ紅葉忌  山口青邨
       紅葉忌舞台の裏に修しけり   石川春象


 尾崎紅葉は 「多情多恨」 「金色夜叉」 などで有名な明治の文豪ですが、熱心な俳人でもありました。
 以下 角川俳句大歳時記の紅葉忌(坪内捻典氏記)を参考にしつゝ略歴を記してみます。

 『慶応3(1867)年 江戸生まれ。 帝国大学中退。
 大学予備門の学生時代に山田美妙らと文学結社 硯友社を興し、機関誌『我楽多文庫』を発行。 
 明治22年(1889) 「二人比丘尼色懺悔」が出世作となり、同年 読売新聞社に入社。
 明治23(1890)年に硯友社の巌谷小波などと俳句結社「紫吟社」を結ぶ。 
 明治28年には角田竹冷らと「秋声会」を結成、正岡子規たちに対抗する新派俳壇のリーダーとして活躍。』

 俳号は十千萬堂。 紅葉忌は十千萬堂忌とも呼ばれます。 

 辞世の句は

       死なば秋露の干ぬ間ぞおもしろき 

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   <尾崎紅葉 俳句抄>
       
       昼中の盃取りぬあらひ鯉
       雨の庭萩起し行く女かな
       ちく~と潮満ち来るや芦の角
       春の日の巡礼蝶に似たるかな
       雨来らんとして頻りに揚る花火哉
       鶏の静に除夜を寝たりけり
       人訪へば梅干して居る内儀哉
       水飯や簾捲いたる日の夕
       蚊帳の月美人の膝を閑却す
       雨を帯びて麗はしの粽到来す

       鬼燈も紅葉しにけり緋金巾
       切符買うて手毎にかざせ初紅葉
       垣結ふや竹の落葉を払ひつゝ
       鮎看るべく流聴くべく渓の石
       口あいて佐渡が見ゆると涼みけり
       夏衣碓氷の雨の灑ぐかな
       我背子が来べき宵なり玉子酒
       年玉やものものしくも紙二帖
       襤褸市は曇りて雨の甲斐秩父
       鍋焼の火をとろくして語るかな

       茜掘夕日の岡を帰りけり
       近道や茨白うしてうす暗き
       泣いて行くウエルテルに逢ふ朧哉
       猿曳の猿を抱いたる日暮かな
       小机に載せてこそあれ初暦
       歯固や鼠は何を食む今宵
       初空やその薄色の三枚着
       露霜や蓬生の宿に人病めり
       混沌として元日の暮れにけり
       北向やこんこん叩く厚氷
       
       花嫁の手を憐むや茎菜漬
       月に棹して生簀の鱸見て帰る
       秋深き燈も憂きに細るげな
       深山木や斧に湿ふ秋の雲
       鶺鴒の尾を振りきそふ早瀬哉
       茹菱の切先出たり紙袋
       優しさよ梨なんど剥く手元さへ
       秋もはやさらばさらばと落し水
       枝少し鳴らして二百十日かな
       鳴き交ふや買ふて来た虫籠の虫

       蕈に深山のおどろおどろしきを思ふ
       星既に秋の眼をひらきけり
       枝豆を人待顔にたぶるかな
       ごぼごぼと薬飲みけりけさの秋
       気壮んに行く秋などの何ともな
       ばさばさと刈られ終んぬ花薄
       芋虫の雨を聴き居る葉裏哉
       自転車の汗打かをる公子かな
       揉瓜や四十男の酒を妻
       市に見る今朝の胡瓜や小指ほど

       散る傍に牡丹の魂の迷ふかな
       炎天や誰が子はだしの放し飼
       暮かぬる門や嫁入のざんざめく
       星くひにあがるきほひや夕雲雀
       秋を出て夕暮通る舟一つ
       十三夜酒なき宿をたゝきけり
       夕雲雀天を貫く穴や星
       雲に濤にさそ歌あらむ秋の人
       笛の音や誰とも知らす秋の人
       赤きもの食ひ~行きぬ秋の人
       俳諧の骨拾はうよ枯尾花

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2008年10月26日 (日)

★ 高浜年尾忌

 今日はしょぼしょぼとした雨の一日となりました。
 昨日より更に冷え込んで、夕暮れの今 室温計は18.8℃を指しています。 この秋で一番低い気温かも知れません。

 今日10月26日は俳人 高浜年尾の忌日です。 1979(昭和54)年没。 
 享年78歳。 高浜虚子の長男。 また星野立子の兄です。

    大切な看護日誌や年尾の忌   坊城 中子
    年尾忌の十月桜咲きそめて    山口青邨
    月欠ける早さよ年尾忌も過ぎて 山田弘子


 年尾は本名にて正岡子規が名付け親だそうです。
 学生時代から俳句に親しみ、昭和13年に俳誌「俳諧」を主宰創刊。
 芦屋市に住み関西俳句界の中心的存在でした
 また昭和26年以降は「ホトトギス」の雑詠選者となり、 虚子より主宰を引き継ぎます。虚子の没する8年前の事でした。


    < 高浜年尾 俳句抄 >
 
    なつかしき父の故郷月もよし 
    六甲の端山に遊び春隣
    山門をつき抜けてゐる冬日かな    
    竜安寺池半分の菱紅葉
    咲き充ちてアカシヤの花汚れたり
    又花の雨の虚子忌となりしかな
    旅に出て春眠足りし思ひかな
    妹がりの初句会とて五六人
    師走はや心斎橋の人通り   
    青き踏む毛馬閘門のほとりまで

    安国寺様の傘借り花の雨
    紅葉冷えして下呂の湯は熱からず
    皆去りぬ焚火育ててゐるうちに
    遠き家の氷柱落ちたる光かな
    凍江や渡らんとして人遅々と
    カーテンの動いてゐるは隙間風
    渤海の凍てし渚の忘れ汐
    咲きそめて一輪久し冬椿
    わが旅の紅葉いよ~濃かりけり
    花びらの日裏日表紅蜀葵

    立ち上る一人に揺れて船料理
    鰭酒や逢へば昔の物語
    菊枕かくて老いゆく人の幸
    九頭竜に辣韮洗ひの屑流れ
    桑海や大夕立あとなほけぶる
    雛の間の更けて淋しき畳かな
    八荒の波の昃りのうつりゆく
    お遍路の美しければあはれなり
    朝の間の 初凪とこそ 思はるる
    時代祭 華か毛槍 投ぐるとき

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  ※ 星野立子については一昨年に取り上げました。 
    宜しければ下記タイトルをクリックの上 ご参照下さい。
            ↓
      「立子忌 (雛忌)」
                         .

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2008年7月 2日 (水)

★ 岸風三樓忌

 伊勢地方の今年は雨の日が少なく曇り日の多い梅雨ですが、今日は晴れ間となりました。 室温計は正午前にて27.8℃と少し蒸し暑く感じます。

 今日 7月2日は俳人 岸風三樓の忌日です。 
 岸風三樓先生は明治43年7月9日岡山県生まれ。 本名 周藤二三男。
 昭和57年7月2日没。 享年71歳。

 以下の句などが有名にて代表句と言えるでしょう。

     手をあげて足をはこべば阿波踊  風三樓
     門に待つ母立葵より小さし     
     戦後長し汗の鞄を今も抱き
     さるすべり四十の詩は身をもって
     月明けのいづくや悪事なしをらむ
     時の日の朝より水を荒使ひ


 関西大学法科卒業後逓信省に入り、昭和6年 「若葉」 の富安風生門に。 「若葉」 の編集長を長く務め、またヒューマニズムに立脚した生活俳句を唱えて 「春嶺」 を創刊主宰し、若い作家の育成に当たりました。

   ____________________________________________________________________________________________


 富安風生門であった岡本眸先生は 「春嶺」 にも拠って風三樓先生の教導を得、日記のように俳句を詠むと云う作句姿勢に大きな影響を受けたようです。
 岡本眸先生は昨年の蛇笏賞受賞後の著書 「栞ひも」 で次のように触れておられます。

 『平凡な私にとって、人生の真実は日常些事の中にある。 生活の中に落ちこぼれている詩片を、丁寧に拾いあげて詠おう、と私は思うようになった。 
 この考えは当初、それほど確かな意識であったとは思わない。 生活派俳人、岸風三樓先生との出会いを経て、句作の過程で固まっていったのだと思う。』

 『風三樓師は私たちに向って常に 「俳句は一人称の詩である」 と説いた。 作品の中には必ず 「私は」 という言葉が含まれているものだというのである。 主語の曖昧な句を作ると、「句集を編むときその句をどうするのか。 句集に残せないような句を作っては無駄だ」 と厳しく叱責された。 そして 「俳句は作者の履歴書である」 と繰り返し説かれたのである。』

 また 「栞ひも」 には風三樓先生の絶句として次の句を記しています。

     六月の夢の怖しや白づくし     風三樓     
     泰山木仰ぐ躬を寄せ過ぎゐたる

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 関西在住の風三樓先生は熱狂的な阪神タイガースフアンであったようで、次の句を残しています。

      ナイターも終り無聊の夜となりぬ  風三樓

 この句にについて夫人が俳人協会編 「脚注名句シリーズ・岸風三樓集」 にて以下のように述べていました。

 『プロ野球の好きな主人、ナイターの夜は時間ぎりぎりに駆け戻り、服も脱がないでテレビの前に陣取る。 息子は巨人、主人は阪神贔屓で互いに口をとがらして応援する。 負ければ相手方の悪口をたたきながらそれぞれの部屋に引上げてやっと静かな夜となる。』

   ___________________________________________________________________________________________ 


 9年前の事ですが 以下の鑑賞文を寄稿した事がありましたので載せてみます。

 
     露寒の握りて厚き手なりしよ   岸風三樓

 俳句は己の心の記録である、と思っている。 だから、もし句集を編んだ折には自分が呼吸をしている今の世相が通読して背景に匂うような句集でありたい。
 個々の句を抽出した場合は兎も角として、極端な表現をするならば明治時代なのか今の時代に詠んだ作品なのか分からぬような句集では困るのである。
 
 さて掲出の風三樓先生の句は昭和41年の作。
 昭和30年前後より社会性俳句の論争が活発となり、戦前「京大俳句」にも加わり

     軍需工業夜天をこがし川涸れたり  風三樓

等の作品を残している風三樓先生にとっても無縁であったとは思われぬが、しかし先生は社会性を匂いとして感じさせながらも独自の人間性豊かな作風にて 「生活派」 と称される。

 例えば

     戦後長し汗の鞄を今も抱き  風三樓

は昭和33年作。深く感銘し共鳴する所以である。 
                                    
   ___________________________________________________________________________________________


 <その他岸風三樓 俳句抄>

     静と書き母の名なりし時雨けり   
     歯固や甘えごころに母のもと
     菜を間引き来たりし母の顔濡れて
     大いなる月の出でゐし桃畠
     桃の丘桃より他の花を見ず

     夏となる官吏おのれの鞄古り
     戦前派たり蜩に目つむれば
     吏なべて貧しく桜枯れにけり
     わが憤怒あはれマスク曇らひぬ
     梅雨くらし昼よりいでむ勤む身に
     俗吏とし老いメーデーの列にあり
     夜も暑し仰臥の脚を高く組み
     わが四十白靴よりも疲れぬる
     羽抜鶏よりも無惨と思ふ日よ
     結氷や危機寸前の身を愛せ
     鉄板を踏めばごぼんと秋の暮
     焼酎や頭の中黒き蟻這へり
     キャベツ抱きをれど幸福とも見えず      
     汗ぬぐふ厨や妻に肘押され
     あたらしき年の一声妻に向き
     懐妊や金銀灯し聖誕樹    

     夾竹桃咲きの盛りの翳もたず
     青芭蕉すでに満身創痍なる
     泰山木けふの高さの一花あぐ
     泰山木咲かまく厚葉押しあぐる
     鶏頭の枯れたるといへ立てりけり
     斜めに斜めにとびて蝗の死期近き
     いっぴきといへど遊べる蟻ならず
     兜虫いまさら逃ぐる意志もなし
     菜殻焼き鴉の一生不遇なり
     春来ると雀や胸毛ふくらまし
     金亀子うたれし直後とも見えず
     露まみれなるこほろぎのもう跳べぬ
     寒雁の行方やあまりにも高し

     新涼や毬のごとくに少女らは
     処女眠し金雀枝遠く咲き満てば
     立ちて受くる青年の礼初風呂に
     成人式コンクリートに菫咲き
     夏来ると胸より黒子とび出たる
     座礁船遠方にあり腋下剃る
     大胆といふ美しき海水着
     タンクトップ八方怖る何もなし
     躬を離れすなはちブーツ倒れけり

     一歩だに退くを許さず阿波踊
     雪吊りの心棒としてまづ立ちぬ
     朝の空掃きしごとくに朴咲きぬ
     散る花に手を拍ち老年たらむとす
     風強くして山吹の咲きいでし
     大きな朱樂押さへられゐてナイフ受く
     微熱あり午後は枯木に雲動き
     深吉野や花あるかぎり日の高き
     花の上のかなたの花をこころざす     

     天寿とは他人の言や梅寒し
     風生先生矍鑠として電波の日
     鴨川や師在せば畦に梅も咲き
     師に甘ゆ猫の憎しや室の花

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