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2004年7月の14件の記事

2004年7月31日 (土)

≪フォト俳句(51)≫8/1志摩半島

 志摩半島は日本有数のリアス式海岸(沈降海岸)である事は地理の教科書に必ず載っているので御存じの事と思う。
 しかし単純な沈降海岸ではなく、隆起海食台と言われる複雑な地形である。
 ある時は隆起して川が大地を削り、ある時は海面が上昇しておぼれ谷を造る。
 このような陸地や海面の複雑な変化によって芸術的な湾の景観が造られたのである。
 
 この湾を利用して御木本幸吉が世界初の真珠養殖を明治29年に成功させた事は余りにも有名である。
 以来真珠筏は志摩半島の象徴的な景となった。

 しかし山と海の入り組んだ地形のため農業生産は貧しいものであった。
 「鳥羽の城下で今つく米は磯部七郷の涙米」との俚謡が残っている。
 また陸上交通は昔は皆無に近く、舟に頼らざるをえなかった。
 昭和21年に国立公園第1号として指定されて観光客が押し寄せるようになり、やっと自動車道が整備されだしたのである。
 志摩人に取っては難渋な生活を強いられて来た土地なのである。

     誰か立つ真珠筏に泳ぎ着き  山口誓子 

 フォトの早暁の入り江に点々と浮かぶのは勿論真珠筏である。

 
        遠泳の真珠筏に休むなり  暢一 


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2004年7月30日 (金)

≪フォト俳句(50)≫7/30影蔭翳・伊勢市内

 俳句を詠む時に思案する事の一つに同義語の漢字の選択がある。先日あるところで影・蔭などの使い分けについて手元の資料やメモを参考にして書いた。
 俳句は僅か17文字の詩である。短いだけに文章を書くよりも漢字は微妙な使い分けをする。広辞苑を見ても影・陰・翳など一項目にてその微妙な使い分け迄は分からない。
 このページをご覧になって頂いている方々はある程度俳句に興味を持っておられると思うので、俳句を読む折りの参考迄にその時の文章に例句を添えてみた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆影…
  ①物が光を遮って出来る暗い形

         雛の影桃の影壁に重なりぬ   正岡子規

  ②水・鏡に映る姿

         わが影に来て影添ふや岩清水  中村苑子

  ③日・月・灯などの光…この意味が紛らわしいので同意で
    「光ゲ(かげ)」を使う人もいるが、稀なので使わない方
    が無難。使う時はふりがなの要あり。

         月影に春の霰のたまり居り    原石鼎

◆陰…
  ①物のかげでみえない所。裏側。

         もの陰にめざめの遅き花八ツ手 山田冬園

  ②「日陰る」のように動詞で使う場合は暗くなるの意。

         丸の内三時の陰り秋の風     中村汀女

◆蔭…
  ①草木や物のかげ。

         緑蔭のふかければ蝶ゆるやかに 岸風三楼

  ②日光の当たらない所。

         蔭多きところを過ぎぬ揚羽蝶    山口誓子

◆翳…
  ①蔭で薄ぼんやりした感じを出したい時に使う。

         祷り石さまざま秋の翳もてり    渡邊恭子

  ②「山翳る」と動詞の時は比較的に大きな物がかげったり、
   それに覆われてかげになるとの意で使う。

         山翳るどこ通りても著莪の花    伊藤政美

◆昃る(かげる)…
  日が西に傾いてかげになるの意の時に使う。

         秋の沼昃りしばらく経てわれも    加倉井秋を

  (ひかげる)と読む事も多い。 
  
         昃れば春水の心あともどり      星野立子

 本来は「かたむく」が正しい読みにて「光ゲ」と同じく俳句独特
の読み方。これは結構使われている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 以上の使い分けは俳人によってかなり曖昧な場合もある。
 意味よりも漢字の持つ雰囲気で使う場合があるからである。


        片蔭をゆくや畳屋覗きもし  暢一 
              

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2004年7月28日 (水)

≪フォト俳句(49)≫7/28親子猫

 我が家には先日避妊手術で騒動になった猫の他にも親子の猫
がいる。例年にない猛暑にてあちらこちらと場所を変えながら
日がな一日寝転がっている。
 もともと野性であったはずの猫が人に飼われるようになった
のは、今から5千年位前エジプトが発祥の地らしい。
 やはり鼠の天敵として重宝がられ、国外持ち出しや殺す事は
法律で禁止されていた程である。
 5世紀頃インドより中国に、7世紀末頃中国から経典と共に
日本に渡って来た。船で運ぶ際に鼠から経典を守る為である。
 当時は勿論貴重な猫にてかならず紐に繋いでいた。源氏物語
にもその描写がある。 
 中国では唐の時代に「猫時計」を活用していたとの文献が残っ
ている。フランス人の宣教師の中国記にも驚きの体験として記述
があるから事実なのであろう。
 猫の眼が横一文字に一番細い時が正午。あとその円さで時間
を計る。その図解も残っている。天候によって変るのだから、
そう正確ではなかったはずであるが、もともと正確な時計の無い
時代の事である。それなりに役に立ったのではと思う。

    昼寝猫のびきつてゐる長さかな   野見山朱鳥 

 家内も時間帯によって涼しい場所が違うのであろうか。
また移動して親子で寝ている。

 
     昼寝して野性に遠き親子猫  暢一 


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2004年7月26日 (月)

≪フォト俳句(48)≫7/26斎宮(4)

 斎宮について3回にわたり述べてきたが、天武天皇の時代から8世紀もの間の皇女と伊勢神宮との関係は一般には知られていなかったと思う。
 古事記の編纂される前、壬申の乱の直後から丁度鎌倉幕府の滅ぶ年迄の事である。
 しかし伊勢物語等多くの古典文学に登場し斎宮は「竹の都」とも呼ばれていた。

 歴史博物館は古墳群の近くに、歴史体験館は斎宮寮趾に建ちその屋外には建物群の模型もあり往時を偲ばせてくれる。
 発掘現場から出土した土器等の遺物は歴史博物館で見る事が出来る。
 田園地帯に続く広々とした斎宮趾は心身共に洗われるような心地良さである。
 秋の季語であるが

    斎宮のもの掘られつつ秋耕す   阿波野青畝

 斎宮趾は地元の俳人が好んで訪れる斎野である。

         斎野の雲居隠に夏雲雀  暢一

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2004年7月24日 (土)

≪フォト俳句(47)≫7/24斎宮(3)

 斎宮の話を今回も続ける。
 いつきのみや歴史体験館は名の通り当時の斎王の歴史を体験出来る施設である。
 勿論模造品であるが、輿に乗ったり十二単を着たり当時のゲーム類の盤双六・毬杖・蹴鞠・貝合せ等でも遊ぶ事が出来る。
 盤双六等も珍しかったが、貝合せの貝に描かれた絵には目を奪われた。
 
斎宮に派遣される迄は、皇女としてそれこそ栄耀栄華蝶よ花よと育ってきた娘である。
 斎宮でのいつ終るとも知れない暮らしは和歌を詠んでも貝合せで遊んでも退屈この上もないものであったと思う。
 まだ幼い斎王の場合は尚更であろう。 伊勢神宮に参じて勤めを行なうのは年に3回のみであったのだから。

   斎王代世馴れたまはぬ祭かな   後藤比奈夫

 天皇の名代として伊勢神宮に仕える身である。恐らく恋はご法度であっただろう。


         斎王の恋を秘めたる花蓮  暢一
   

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2004年7月22日 (木)

≪フォト俳句(46)≫7/22斎宮(2)

 前回ご紹介した斎宮へは、飛鳥奈良時代から南北朝時代までの約660年間 天皇に代わり伊勢神宮に仕える為 都から未婚の皇女、斎王が派遣されたいたが、その派遣前には宮中の初斎院等で足掛け3年身を清める生活をし、その後斎宮に旅立つ。
 群行と呼ばれたこの旅はフォトのような輿に揺られ近江から鈴鹿の山々を越え5泊4日の旅であった。
 その様子を記した随行貴族の日記が残っているが、特に鈴鹿の山越えには難渋したようである。

 体験館を見学しいてフォトのような香炉とその覆いが触れてもよいように置かれていて印象的であった。  
 秋の季語ではあるが

    斎宮のおはせし丘は蚯蚓鳴く   阿波野青畝

 いつきのみや歴史体験館が正式名称であるが、ボランティアで語り部を務めておられる若い女性に館内と周辺を案内して頂いた。


          語部の声よく透る夏雲雀  暢一 
  

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2004年7月20日 (火)

≪フォト俳句(45)≫7/20斎宮(1)

 昔々、7世紀後半より伊勢と松阪の間に位置する所に斎宮があった。
 斎王(いつきのひめみこ)の宮殿とそれに仕えた官人の役所寮である。
 小さいながら都を模した壮麗な建物群であった。
 伊勢神宮に仕える為に天皇即位の度に選ばれたのが斎王であるが、かならず内親王・女王から占いにより決められた。
 中にはまだ幼かったりうら若い姫君もいて涙ながらにと云う事もあったらしい。
 父(天皇)が亡くなる迄都に帰れない運命は哀れである。
 14世紀の半ば南北朝の動乱の内に地方の統治が乱れ姿を消した。
 当季ではないが
 
     伊勢大根斎宮趾に肥えにけり    阿波野青畝

 文献からその存在は知られていたが、今に残る斎宮の地名からこの辺りであろうと推測するだけにて調査される事もなく正確な場所は分からなかった。
 今発掘が進み全貌が明らかになりつつある。歴史記念館や体験館も建設され賑わっている。

 
         白鷺の斎宮趾に留まれり  暢一      
    

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2004年7月14日 (水)

≪フォト俳句(42)≫7/14浜木綿・安乗灯台(志摩)

 鳥羽で名を知られている志摩半島には本格的な灯台が二ヶ所ある。 
 安乗崎灯台と大王崎灯台である。 先日、その内の安乗崎灯台へ行って来た。
 半島の先端に建つこの灯台は白亜の四角形をしている。 灯台と云えば円形との先入観があるので珍しく感じる。
 ご年配の方ならご存じの映画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台になった灯台でもある。
 フォトのように浜おもと(浜木綿)が印象的であった。
 
    潮流を変へたる岬浜おもと   阿波野青畝

 入場券を買って灯台に登ると、右に太平洋 左に最近牡蠣の養殖で有名になった的矢湾が一望できる。
 蛇足ではあるが牡蠣の養殖筏を真珠筏と思っている観光客が多い。
 

         切符売る灯台守や浜おもと  暢一   
         

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anori-toudai226.jpg toudai-purizum.jpg toudai-gia.jpg
         投光機(プリズミが見える) 光を回転させるギア

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2004年7月12日 (月)

≪フォト俳句(41)≫7/12飼猫・昼寝

 今回は恐縮ながら我が家の飼猫の事である。 
 我が家の飼猫は生後11ヶ月の雌にて、まことに人間の勝手
ではあるが避妊手術を施してもらった。
 以前にも経験があるが、その時は手術部分を糸で縫い、猫が
口で触れないように天草四郎が着けていたような幅広い首輪を
3,4日をしていたものである。
 ところが今回は糸を使ってないので抜糸の必要なし、首輪も
必要なし、と言われて連れて帰った。
 なる程技術も進歩したものと感心をした次第である。
 ところが翌朝見て驚愕。何と手術個所が開いて臓器が15㎝
位飛び出しているではないか。肝臓らしき物まで見える。
 タオルで包み病院を叩き起こして駆け込んだ。
 それから今日で5日目、いま彼女は元気に走っている。
 人間では考えられない事である。
 それにしても医者とは犬猫でも人間相手でも謝罪と云う事を
知らない人種らしい。

      夕風や昼寝さめたる人と猫  日野草城

 彼女が寝ている私を踏んずけていっても元気になって良かっ
たと喜んでいる。
 

      飼猫が昼寝のわれを踏みゆけり  暢一
   

neko-tibi.jpg

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2004年7月10日 (土)

≪フォト俳句(40)≫7/10茅の輪・二見夫婦岩

 6月25日雨の二見夫婦岩を訪れた。6月中頃前後暫くは夫婦岩の真中から日の出を望める事から早朝写真家などで賑わう。
 この夫婦岩は約650m沖に沈む南北108mの興玉神石を礼拝する為の岩門である。
 有名な両岩を結ぶ5本の注連縄は年に3度神事と共に張り替えられる。
 この興玉神石を祭る事を起源とするのが二見興玉神社である。
 興玉神社の拝殿の前に茅の輪が設けられていた。
 茅の輪くぐりの神事は陰暦6月末であるが七夕のように新暦で行なわれているようだ。

   見つゝ来て茅の輪やまこと今くゞる  星野立子 

 茅の輪は左足から入り右足から出る事を3度繰り返す。


     躬に添へる藁の香茅の輪くぐるたび  暢一  
 
         
     hutami-tinowa225.jpg meotoiwa.jpg

    (掲示板7/10に補足としてその他 茅の輪 の句掲載)

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2004年7月 8日 (木)

≪フォト俳句(39)≫7/8蝉時雨・銀杏

 前回は高柳商店街にある伊勢神宮の末社について触れたが伊勢市内・郊外にはこのような末社・神社が多数存在する。
 伊勢市立図書館の向かいには 坂社 がある。
 この社の境内には銀杏の大木が今爽やかな緑陰をつくっているが、この銀杏にはフォトのように説明札が添えられている。
 読んでみると 昔々ここに打った杭に根がついて成長した銀杏であるが、木の成長方向と逆に打たれたので枝が下向きに伸びてから上方に方向転換している珍しい木にて 逆さ銀杏 と云われていた。
 しかし坂社の名からいつの間にか坂銀杏と呼ばれるようになった、と自慢げに書いてある。

     声そろへ摂社末社の法師蝉   鷹羽狩行

 今年は早々と連日の猛暑。蝉声も早くから夏の盛りのもの
である。 


        一塊の杜一塊の蝉時雨  暢一 
  

    4-5ityouwakaba.jpg  4-5ityoukannbann.jpg 

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2004年7月 6日 (火)

≪フォト俳句(38)≫7/6夜店・高柳商店街

 以前ポスターにて1・6・3・8の夜店と呼ばれる伊勢市内
高柳商店街の夜店を紹介したが、6月1日に始まり今日(
7月5日)幕を閉じた。
 
     夜店匂ふかつて妻の日娘の日   岡本 眸

 この商店街の入り口付近にもフォトのように伊勢神宮の末社
の一つ、今之社があり商店街に溶け込み親しまれている。
 赤い鳥居は社殿横にある稲荷の鳥居である。このように殆ど
の社には稲荷もある。

 
         原色のお面風船夜店の灯  暢一


       4-13yomise.iriguti.jpg 4-13yomise.torii.jpg
4-13yomise.yatai.jpg 4-13yomise.jpg 4-13yomise.fuusen.jpg

   (掲示板7/6に補足としてその他 夜店 の句掲載)

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2004年7月 4日 (日)

≪フォト俳句(37)≫7/4白鉄線花・宮川の渡し

 一週間ほど前、フォトのように真っ白な大ぶりの花を見掛けた。 どう見ても鉄線花である。 
 我が家の鉄線花は紫ではあるが 5月初旬が盛りである。16年前に逝った父の命日が5月7日にて、毎年見ているから間違いがない。白は花期が遅いのであろうか。
 伊勢市内西方を流れる宮川の向こうは田園地帯である。鉄線花を見掛けたのは その辺りに店を構える返馬餅本店の前であった。
 少し変った名の餅屋であるが、昔 宮川には橋が無く伊勢路を馬で来た参宮者はここで馬を返して渡し舟を利用する事になる、との由来からきた当時からの名物土産餅屋(1775年創業)である。

     鉄線花馬蹄の音のさしかかる  中村汀女   

 「お伊勢さんほど御大社はないが、なぜに宮川 橋がない」と唄われたが、当時宮川には橋の代わりに 上 下 磯 の3ヶ所の渡しがあった。特に下は桜の渡しとも呼ばれ、現在でも桜の名所である。最近渡し場が再現されて公園になっている。


      父の忌の賑やかに過ぐ鉄線花  暢一 

         
     sirotessen225.jpg   sh0155miyagawa.jpg

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2004年7月 2日 (金)

≪フォト俳句(36)≫7/2藪蕎麦・名古屋セントラルタワーズ

 JR名古屋駅が巨大なビルに生まれ変わった。53階と51階建のツインタワービルである。
 12月にはフォトのようにイルミネーションで装うなど完成後5年を経てすっかりと街に馴染んだ。
 そのビルの13階だったか14階だったかの食堂街に東京神田の老舗 藪蕎麦の支店がある。
 前回の記事では侘しい立食蕎麦での昼食を紹介したがたまにはこの藪蕎麦にて少し豪華?な昼食を取る事もある。
 
     昼どきの蕎麦屋立て込む土用東風  鈴木真砂女

 フォトのメニューで2千円也。手前のコップは新潟の銘酒である。


       独り快き昼の蕎麦屋の冷し酒  暢一

                           〔快き(よき)〕


      sobaya.jpg nagoyaeki-irumi.jpg

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