« 2004年7月 | トップページ | 2004年9月 »

2004年8月の10件の記事

2004年8月29日 (日)

≪フォト俳句(61)≫8/29野口みずき・金メダル(№3)

 オリンピックまたマラソン発祥の地 アテネのマラソンは今迄
に無い過酷なレースであったと言われる。
 高い標高差、35度の猛暑の中脱落者が相次いだ。中でも優勝
候補一番の選手が2位の位置にありながらリタイアした場面は
衝撃的でもあった。
 ゴールの後医務室に担ぎ込まれて点滴を受けた選手は数限り
なかったらしい。野口みずきさんもインタビューの後倒れた。
2位のランナーもゴール直後に倒れて嘔吐していた。
 オリンピックのマラソン史上最も過酷であったコースを制した
野口みずきさんの偉業を認識すべきである。

     秋夕映森はマラソン吐き続け  井上宗雄

 携帯のフォトではあるが マラソンのテレビ中継を撮るのは
構図的に面白かった。
     

        マラソンの己が影追ふ西日中  暢一  


823marason-3nin-hukan.jpg 823marason-kokujin-usiro.jpg 823marason-kokujin-yoko.jpg
823marason-hukan.jpg 823marason-asi.jpg 823marason-okure.jpg
823marason-mizuki-baiku-syou.jpg 823mozuki-tate-siro.jpg 823marason-gorin-maaku.jpg

| | コメント (0) | トラックバック (1)
|

2004年8月26日 (木)

≪フォト俳句(60)≫8/26野口みずき・金メダル(№2)

 伊勢市は市民栄誉賞を新設して野口みずきさんの金メダル獲得
を称える事にしたらしい。今迄にその対象となる人が伊勢出身者
に一人もいなかったと云う事になる。伊勢市民の喜びがお分かり
頂けるであろう。
 大雨で一日延期されたが彼女の出身校の児童による鼓笛隊の
祝賀パレードも行なわれた。
 金メダル獲得者が多すぎて政府は国民栄誉賞の対象者を決める
にあたって頭を抱えているらしい。
 やわらちゃんが対象候補者の筆頭らしいが、どうも金メダル
連続獲得者に絞って柔道の野村選手と二人になりそうである。
 高橋尚子さんには国民栄誉賞を授与したのだから野口みずき
さんもと思うのは身贔屓であろうか。
 話が少し下世話になってしまった。
 
 彼女の事は誰もが人一倍優しく努力家と言う。マラソンの中継
でドリンクの容器を後続ランナーの邪魔にならないように遠くに
投げるシーンを見てその優しさは頷ける思いである。

    オリンピック開会一羽の鳩を秋芝に  長谷川かな女

 野口みずきさんがゴールの後、シューズに口づけをしている
のが印象的であった。
 

      テープ切り汗のシューズに接吻す  暢一 


823noguti-hinomaru.jpg 823noguti-bakkuaka-uppu.jpg 823nogutibakkuaka_syou.jpg
823noguti-megane-uppu.jpg 823noguti-hutari-syou.jpg 823noguti-te.jpg
               ≪次回記事予定 8月29日≫

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2004年8月23日 (月)

≪フォト俳句(59)≫8/23野口みすき・金メダル

 今日 伊勢市の県立宇治山田商業高校出身の野口みずきさん
が五輪女子マラソンにて見事に金メダルを獲得した。
 昔 伊勢市に改名する前は宇治山田市であった。その名が高校
にまだ残っているのである。他にも県立宇治山田高校がある。
 伊勢市の名になってから創立の県立高校には伊勢高校、伊勢
工業高校がある。
 知らない人には同じ市内の県立高校とは思わないであろう。
 地元では山商、山高、伊勢高、伊勢工と親しみを持って呼ん
でいる。ちなみに私は伊勢高の出身である。
 
 マラソンと云えば俳句界に衝撃を与えた次の句がある。

     湾曲し火傷し爆心地のマラソン  金子兜太

 深夜零時から始まったマラソンの為、今日の伊勢市民は皆寝
不足の目をしている。


         歯ブラシを口に五輪の夜長し  暢一

 
823noguti-bannzai.jpg 823noguti-itiban.jpg 823nogutu-teepu.jpg
823noguti-meganenasi.jpg 823noguti-yoko.jpg 823noguti-kaijyou.jpg

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2004年8月20日 (金)

≪フォト俳句(58)≫8/20てこね寿司・内宮おはらい町

 伊勢神宮内宮の門前町「おはらい町」は五十鈴川沿いに約
800m続き、伊勢の地方色豊かな土産物店、名物の食事処が
並ぶ。有名な赤福本店のある通りでもある。
 おはらい町については また別に記事にする機会があると思う
が、今回は「てこね寿司」の事である。
 赤福本店の近くに すし久 と云う食事処がある。
 ここの名物がこの地方独特の てこね寿司 である。
 醤油で辛めに味付けした鰹の刺身と寿司飯を混ぜ合わせたもの
にて、もともと志摩の漁師達が船の上で捕れたての魚を料理し、
寿司飯に混ぜ 手でこねた事に始まる。手でこねるから「てこね
寿司」と云う訳である。
 地元では昔から馴染みの食べ方であるが、最近は観光客向けに
伊勢志摩の随所で見られるようになった。

      小鳥来て内宮神楽殿の閑   鷹羽狩行

 すし久がいつの創業かは知らないが、老舗風の中々の建物にて
外観も内も趣きがある。
 フォトでも分かるようように味噌汁は伊勢特有のかなり濃い
色をした赤味噌である。
 部屋の窓から五十鈴川の眺めも楽しめる。


        簟老舗の二階薄暗き  暢一  

                          {簟 たかむしろ}

817susikyuu-zenntai.jpg 817susikyuu-tyouba.jpg 817susikyuu-susi-bon.jpg
817susikyuu-susi-appu.jpg 817isuzugawa-susikyuu.jpg

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

2004年8月16日 (月)

≪フォト俳句(57)≫8/16盆踊・坂之上神社・百日紅

 前々回の等観寺の隣、坂之上神社を早朝通り掛かるとフォト
のように盆踊りの櫓が組まれていた。
 昨夜催されたのであろうか。それとも今夜かしらと思いつゝ
一人その景を楽しんだ。
 末社の狭い境内である。20人も踊りの輪をつくれば所狭し
となるであろうと思われた。

     をみならにいまの時過ぐ盆踊   森澄雄

 妹がお盆にはかならず子を連れて里帰りしてくる。老いた母
にはこの上もない楽しみのようである。

       
         母楽しげ娘が踊り孫が踊り  暢一           

 
729_sarusuberisorasakanoue.jpg 729_sarusuberitoukanji.jpg 729_sarusuberisakanoue.jpg
729_sakanouematuriyaguraappu.jpg 729_sakanouematuriyagura.jpg 729_sakanouematurityoutin.jpg

| | コメント (0) | トラックバック (1)
|

2004年8月13日 (金)

≪フォト俳句(56)≫8/13早稲・伊勢平野

 伊勢近郊の稲田では早くもふさふさと黄金色の穂を垂れて刈り
入れを待つばかりである。
 稲は成熟期の違いによって、早稲(わせ) 中稲(なかて)
晩稲(おくて)と呼ばれる。
 歳時記にて早稲の項を見てみると、8月初めにもう花が咲き
9月上旬には収穫されるとある。
 伊勢地方の稲の成熟が如何に早いか驚かされる。恐らくお盆
休暇の間に刈り入れを済ませる兼業農家が多いに違いない。
 田植えも5月の連休に殆ど行なわれる。人間の都合に合わせて
出来るお米に味は影響しないのであろうか。

    早稲の香やもう寝るだけの帰り道   岡本 眸

 10日に句会出席のため愛知県に出掛けたが、稲田はまだ青々
としていた。
           

        早稲の香を胸一杯に伊勢を発つ  暢一
   

812wase_appu.jpg 812wase2.jpg 812wase_azemiti.jpg
812wase3.jpg 812wasw_kado.jpg

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2004年8月10日 (火)

≪フォト俳句(55)≫8/10等観寺・百日紅

 伊勢は勿論 神前町であるが、お寺も昔から多い。
 以前ご紹介した坂銀杏のある坂之社の隣にかなり歴史の古い「等観寺」が仲良く並んでいる。
 応永元年(1394)草創、一時は末寺36 常住雲水30名を数えた曹洞禅宗の大寺院であった。

 足利義満寄贈の室町期観音像などの文化財も多数残されている。

      百日紅町内にまたお葬式   池田澄子

 町中のお寺は普段森閑としていて葬儀の時意外は入り難い場所である。
 門前の美しい松に惹かれて思い切って訪ねてみた。 境内は百日紅(さるすべりの花)と凌霄花が満開である。
 百日紅は百日咲き続けると花期の長い事からの名であるから、まだ暫く楽しめそうである。

           堂裏に箒の音や百日紅  暢一

729_toukanjimatu.jpg 729_toukanjimon.jpg 729_toukanjinouzenka.jpg
                               凌霄花
729_toukannjisarusuberi.jpg 729_toukanjisarusuberiyane.jpg 729_toukanjiyane.jpg
     百日紅

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2004年8月 7日 (土)

≪フォト俳句(54)≫8/7投稿句・凌霄花

 昨日は広島に原爆が投下された日であった。
「広島忌」「原爆忌」「原爆の日」と秋の季語になっている。
 
   原爆忌市電無数の手を吊りて  今井勲

   原爆忌常の如くに電車来て   暢一

 今日8月7日は暦の上で早くも立秋である。
 また花の日、鼻の日、バナナの日でもある。これは想像のつく
ように単なる語呂合わせからの記念日である。
 そこで今回はこの夏季の間に投稿頂いた俳句のご紹介の回に
したい。

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
       八月の詩集の端を深く折る       未来
       八月の記憶の底にある歪み
       炎天へ迷はずに漕ぐ車椅子
       もう捨てるもののなき身を炎天へ
       夕暮れの押し問答の蟇
       蟇押し問答のきりもなく
       彼の世から未練あるかに蟇
       後生まで口下手のまま蟇 
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
     来客につい小言いう昼寝時        希望
     食事後を昼寝できる日楽しけれ
     ニャオと鳴く猫の昼寝にもの申す
     かき氷今か今かと待ちわびて
     売れに売れ掻く音絶えぬかき氷
      しゃりしゃりとかき氷食べ海見つめ
     新じゃがのほこほこほこと心染む
     新じゃがを堀りし思い出今もなお
     小粒だが強く生きてる走り藷
     夕焼や思い貫く君の意思
     夕焼が雲の切れ間に顔を出す
     夕焼が思い見届け消えにけり
     風鈴が優しく響き風誘う
     風鈴のチリンの音に我一人
     夏の空心地よさそに風通る
     夏の空雲ひとつなく晴れ渡り
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
         緑陰や友とは明日の別れなる      みみ
         遠くより友訪ね来て梅雨晴間 
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

         710_nouzenka.jpg
凌霄花

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2004年8月 5日 (木)

≪フォト俳句(53)≫8/5妻入り・伊勢の家屋

 伊勢市内の民家は妻入りである。 と云っても説明が必要であろう。
 一般的には屋根の傾斜側(平)に入り口があり道路に面している。これを平入りと言う。
 妻入りは屋根の三角に見える側に入り口があり道路に面している。「妻」は「端」と同義語にて平の端側と云う意味である。
 フォトで分かるように妻入りの町並みは丁度ノコギリの歯のように屋根の三角形が連続するリズミカルな伊勢独特のものになる。 理由はやはり伊勢神宮にある。 伊勢神宮の社殿が平入りなので、同じでは恐れ多いと妻入りに建てるようになったと伝えられている。 立派な家屋の屋根は三角の飾り屋根など豪華な雰囲気を持つ。 春の季語であるが


           春夕日伊勢を離るる電車かな   山田みづえ


 夏の陽射しを避けて片蔭を行くと屋根の影の三角模様が楽しい。


          妻入りの家並も伊勢や片蔭り  暢一


           外宮拝殿        衛士詰所        喫茶店
       8_4_gekuu.jpg 8_1_tumesyo.jpg 8_1_kissaten.jpg

     うどん屋         風呂屋          民家         ビルの谷間
8_1_udonya.jpg 8_1_irimoya_yane.jpg 8_1_irimoya2ken.jpg 8_1_irimoya_biru_tanima.jpg 

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

2004年8月 3日 (火)

≪フォト俳句(52)≫8/3志摩半島(2)

 伊勢神宮と志摩半島を中心に伊勢志摩国立公園の名で第一号の国立公園となり脚光を浴びた志摩地方は開発のスピードを上げていく。
 国道の整備、伊勢から鳥羽へのスカイライン、近畿日本鉄道特急の志摩線開通、志摩半島の海岸に沿う絶景の観光道路パールロード等交通網は舟が主な交通手段であった昔とは隔世の感がある程に整備された。
 高度成長の波にも乗り、旅館・ホテル・多彩な観光施設なども整い海女と真珠の里とのキャッチフレーズで全国から観光客を引き寄せた。
 バブル期にはリゾートホテル、別荘地の開発などが競って行なわれたが、バブル崩壊と共にその乱開発は日本各地の他の観光地と同じく終焉した。
 今だに開発途中で中止された別荘地が放置されたままの所もある。
 志摩の国は今不況に喘いでいるが、日本有数の素晴らしい景観と観光施設の整備された地に変りは無い。
 ぜひお訪ね頂きたい。

   鮑採志摩に生れて志摩を出ず   長谷川素逝     

 先日パールロード入り口近くに建つリゾートホテルに泊まる機会を得た。海沿いのホテルは高層2棟、入浴施設等が広大な敷地に点在し日常を忘れさせてくれる。


       涼しさや高階よりの海辺の灯  暢一  
 

     ekusibutoba-puuru.jpg  ekusibutoba-syuronoki.jpg
     hoteru-heya225.jpg  toba_no.jpg

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2004年7月 | トップページ | 2004年9月 »