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2005年10月の6件の記事

2005年10月31日 (月)

≪フォト俳句(180)≫10/31 ①薄紅葉・祖霊社(伊勢市内)

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 この22日、伊勢神宮の外宮近くにある「祖霊社」での伯母五十日祭に参列した。
 神式の葬儀の経験の無い方々には分かり難いと思うが、仏式で言えば四十九日の法要に当る。
 神式にて執り行う葬儀は「神葬祭」と言って伊勢市民には馴染みの言葉である。 
 
 仏事に当るものとしては帰幽日より一年の間に行う「式日祭」とその後の「年祭」の祭典がある。
 「式日祭」は 翌日祭、十日祭、二十日祭、三十日祭、四十日祭、五十日祭、百日祭と執り行う。
 「年祭」は 一年祭、五年祭、十年祭、二十年祭、三十年祭、四十年祭、そして五十年祭にて一区切りとなる。
 但し親族友人等も祖霊社に参列して行うのは五十日祭と年式である。

 葬儀は「斎殿」から「祖霊殿」へと二つの祭儀場の建物を使い、神官の奏する雅楽の音の元に行われるが仔細は次回に譲りたい。
 その斎殿の傍らでは楓が色づき初めていて印象的であった。

    よべの雨閾ぬらしぬ霊祭   芝不器男

 掲句の「霊祭(たままつり)」は祖先の霊を祭る意味にて一般的にはお盆の行事を言う。秋の季語である。
 尚「閾」はこの句では「しきい」と読む。「敷居」と同義語」だ。

     斎場の篳篥かすれ薄紅葉  暢一

                           〔篳篥(ひちりき)〕

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              斎殿
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                   祖霊殿
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            納骨殿

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2005年10月25日 (火)

≪フォト俳句(179)≫10/25 筋向橋(伊勢市内)

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 江戸時代に最も重要と言われた三つの橋がある。
 江戸の日本橋、京都の三条大橋の二つは想像つくであろうが、後の一つは意外な事に伊勢の「筋向橋(すじかいばし)」である。
 
 昨年の記事(№37)でも多少触れたが、昔は橋の無い宮川を舟で渡って伊勢の町中に入る。
 その宮川の下の渡し(桜の渡し)を渡る参宮街道と、上の渡し(柳の渡し)を渡る伊勢本街道、そして熊野街道とが落ち合う所が宮川の支流である清川に架かる「筋向橋」であった。
 江戸時代はこの「筋向橋」を渡る事によってお伊勢さんに辿り着いたと実感したのである。
 
 当時の「筋向橋」は緩やかな太鼓橋風の洒落た本橋と小橋からなる立派な橋であったらしい。
 「筋向橋」の名の由来は川に筋向いに橋が架かっていたからに因るが、今は面影もなく川も暗渠になってしまった。
 高知のはりまや橋程でもなく余りにもささやかな形だけのコンクリートの欄干が史跡を示す為に設置されている。
 但し銅製の擬宝珠だけは江戸時代当時の物であり、これには次のように刻まれている。
 『嘉永二(1849)酉年八月 山田筋向橋 式年造替擬宝珠』
 
 歴史ある「筋向橋」の名も正式地名からは消滅してしまったが、かろうじてその場に建つ百五銀行筋向橋支店と筋向橋郵便局にのみその名を留めている。

    恋をして伊勢の寒さは鼻にくる   大木あまり

 大木あまり氏は確か六十歳半ばにて元々は角川源義主宰当時の「河」に所属していた東京生まれの俳人と記憶しているが、掲句は意味深で意外な伊勢との係わりを想起させる。

     伊勢の郷星よく見えて秋めきぬ  暢一

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2005年10月20日 (木)

≪フォト俳句(178)≫10/20 ⑦曼珠沙華・萩・実紫(浅間大社)

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 前回の静岡県周遊の続きである。
 日本平、美保の松原の前に富士宮市の「浅間大社」を訪れた。正式には富士山本宮浅間大社と云う。
 孝霊天皇(紀元前290~前215)の時代に富士山が噴火。
 垂仁天皇(紀元前29~紀元70)の3年に富士山の神霊が祭られたのに始まり、
 平城天皇(806~809)の元年に坂上田村麻呂が現在地に社殿を造営したとされる。

 806年に社殿造営の事はある程度史実の可能性もあるが、孝霊天皇・垂仁天皇時代の話は両天皇の存在自体が在位年間の異常な長さから見ても作り話の可能性大であるから神話に過ぎないと思う。
 富士山神霊の鎮撫の為の古い歴史を誇る大社である事には違いがない。

 いずれも真っ赤な大鳥居・楼門・社殿は鮮やかで印象強い。本殿は社殿としては珍しく二階建だ。
 現在修繕中にて一部覆われており、全容を観る事が出来なかった。富士山頂に鎮座している社はこの浅間大社の奥宮だそうだ。
 富士山の湧水を満々と湛えた湧玉池に手を浸してみたが、とても冷たかった。

    曼珠沙華しんかんたるに旅二日   飴山実

 本殿と湧玉池の間の小さな堤に咲く曼珠沙華、湧水に映える白萩、実紫(紫式部の実)など秋を代表する植物も楽しむ事が出来た。

      泉まで径の小暗き曼珠沙華  暢一

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2005年10月15日 (土)

≪フォト俳句(177)≫10/15 ⑥曼珠沙華(日本平・美保の松原)

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 9月の下旬 静岡県を周遊する機会を得て「日本平」に登った。
 日本平は通称にて有度山(標高308m)の頂上近辺を指す。夙に有名であるから名は知っていたが訪れるのは初めてだ。 現今はサッカーの清水エスパルスの本拠地の名で知られている。
 対向車とすれ違う折は慎重にならざるを得ないような山道をくねくねと10数分登って頂上に着いた。団体客向けの食堂と土産物店を兼ねた建物が駐車場を挟んで二棟建っており、如何にもありふれた観光地と云う雰囲気である。
 富士山、伊豆半島、南アルプスを一望出来るとパンフレットで謳っているが、肝心の景観は細い山道を更に登った処にある展望台にてやっと望む事が出来る。天候は悪くなかったが富士山は見えなかった。清水港辺りの俯瞰が興味深かった。
 山頂であるにも拘らず曼珠沙華が咲いていたが、折り良くとまっている黒揚羽蝶は動かずに私の接写を待っていてくれた。
 
 次いで日本平より俯瞰したばかりの清水港から遊覧船に乗り「美保の松原」に渡る。
 NHK「21世紀に残したい日本の風景」にて第5位に選ばれた風光明媚な地である。少し古いがテレビドラマ「暴れん坊将軍」の冒頭に松平健が馬で走っているのは美保の松原の浜だそうだ。
 羽衣伝説の松(写真の中右)は柵で守られて祠が建っていた。

        松原に富士置く浦や鰯引   迷堂

 富士山を望む事は出来なかったが、さぞかし素晴らしい景だろうと残念であった。

      松手入れして風の音波の音  暢一 

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2005年10月10日 (月)

≪フォト俳句(176)≫10/10 ⑤曼珠沙華(宮川堤)

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 「曼珠沙華」も勾玉池、伊勢郊外田園と掲載してきたが、今回は宮川堤に咲く曼珠沙華である。
 「宮川」は日本有数の多雨地帯である大台山系を源流とし、大内山川などの支流と合流して伊勢湾に注いでいる。伊勢市の水道は宮川を水源としているお蔭で渇水騒ぎを知らない。
 
 伊勢市西方はこの宮川で町並みが途切れ、川向こうは田園風景に一変する。
 河川敷は公園に整備されていて、朝などは散策・ジョギングの人々の姿が見られ、勾玉池に次いで気に入りの早朝散歩コースだ。
 <№129><№130>にて記事にしたが堤は県内有数の桜の名所でもある。

 堤の草花も秋深き様相を見せ始めた。写真下の左は「エノコログサ」、「犬ころ草」と書く。「ねこじゃらし」の通称で呼ぶほうが一般的だが、犬と猫とどちらも一番身近な動物に例えているところが面白い。
 写真下の中は「露草」。秋の季語だが早い所では6月頃から見られる。
 写真下の左の野菊は恐らく「野紺菊」であろう。同じ時期によく似た「紫苑」「嫁菜」が咲くが、咲き姿や葉等から判断した。

   咲いてより広き空享く曼珠沙華  能村登四郎
        
 やはり宮川堤でも一番目立つのはそこここに咲く曼珠沙華だ。蕾を持つのも見られた。まだ暫くは楽しめそうである。

      曼珠沙華咲き一天の紺深む  暢一

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2005年10月 5日 (水)

≪フォト俳句(175)≫10/5 ④茶の花・曼珠沙華(伊勢市郊外度会町)

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 前回記事の曼珠沙華を撮った度会町は茶の栽培も盛んな土地だ。
 意外に思われる方もいるであろうが、三重県は全国第3位の生産高を誇る屈指のお茶どころである(1位は勿論静岡県、2位は鹿児島県)。
 三重県北部から南部までいたる所で茶畑が見られる。 
 特に鈴鹿山麓に広がる茶畑は霜除けの扇風機が林立して一種独特の景観だ。
 
 但し 三重県の茶は他産地銘柄茶の原料用茶として出荷されることが多い事から全国的に知られてはこなかった。静岡銘柄の茶製品に三重県の茶が使われている場合があるかもしれないと云う事だ。
 近年統一ブランドを「伊勢茶」と銘打って販売に力を注ぎ、出荷量の20%近くまでを「伊勢茶」として販売出来るようになってきた。 


    掌にのせ茶の花を仰向かす   富安風生


 曼珠沙華を撮影していて茶畑が花盛りである事に気が付いた。茶畑を離れて見ている時は分らなかった。園芸としての「茶の花」を見た事があるだけにて、茶畑に咲く花は初めての経験だ。
 歳時記で「茶の花」は晩秋から初冬に咲く花としつつ、冬の季語になっている。


     茶の花の咲きこぼれゐて農閑期  暢一


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