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2005年11月の6件の記事

2005年11月30日 (水)

≪フォト俳句(186)≫12/3 ②黄葉・六華苑(桑名市)

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 前回記事の「船津屋」から揖斐川畔沿いをほんの少し上に行くとかっての豪商 諸戸清六旧邸を有料にて公開している「六華苑」がある。

 「六華苑」は鹿鳴館の設計で有名なイギリス人建築家ジョサイア・コンドル設計による明治期の洋館と、池泉回遊式庭園を持つ和風建築からなり、平成9年に国の重要文化財に指定された文化遺産でもある。
 庭園も一部を除き平成13年に国の名勝に指定され、さして広くはないが中々見応えのある桑名の名所だ。

    松の間にまじる黄葉や十二月   石田 波郷
   
 上句の「黄葉」は紅葉と同じく「もみぢ」と読む。
 洋館の前ではグラビアかパンフレットの為であろうか、ウエディングドレスのモデル撮影が行われていてついゝゝ見とれてしまった。

      落葉踏む音に黄の音紅の音  暢一

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≪フォト俳句(185)≫11/30 ①桜紅葉・船津屋(桑名市)

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 前回記事の泉鏡花の掲句から桑名市の「船津屋」に触れたが、丁度この22日に桑名市を訪れる機会があった。
 船津屋は伊勢路の基点となる「七里の渡し」や「桑名城址」の濠川近くの揖斐川畔に建ち、現在も桑名の料亭旅館として有名だ。
 桑名城址は「九華公園」の名にて整備されており桜の名所となっているが、この時期濠端の桜は特に見事に紅葉していた。水辺の冷えによるお陰なのであろう。
 掲写真ではその微妙な桜紅葉の色合いがいまひとつ再現出来ていないのが残念だ。
 
  獺に燈をぬすまれて明けやすき  久保田万太郎

                              【獺(かわうそ)】

 また船津屋はその他文人墨客も多数訪れていて、塀の一角に久保田万太郎の上記の句碑が建つ。

       川風に桜紅葉の一途なる  暢一

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2005年11月25日 (金)

≪フォト俳句(184)≫11/25 小菊

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 この時期 町中を歩いていると、そこここの花壇や住宅前のプランターに咲く小菊がよく目につく。
 出会う度に撮り溜めてきたが、結構種類も多いようである。

 昨年も(№88)にて取り上げた事があるが、今年の方が多くの種類に出会う事が出来た。

     湯の山の村村おなじ小菊かな   泉鏡花  

 上掲句の作者 泉鏡花は三重県桑名市の「船津屋」に逗留した折の事をモチーフにして 小説「歌行燈」を書いている事から推し量れば、「湯の山」は恐らく桑名から近い御在所岳山麓の温泉郷「湯の山」の事であろう。

     冬小菊路地の向かふの海の色  暢一

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2005年11月20日 (日)

≪フォト俳句(183)≫11/20 朝市(伊勢市内)

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 何年位以前からかは記憶にないが、近所の商店街にて「日曜市」と銘打って月に2回「朝市」を開いている。
 この商店街は日常品中心の所謂‘最寄型商店街‘にて日曜休日は閑な事から閉店している商店も多く、閑散振りに輪を掛けてしまっている。
 そこで日曜日にはシャッターを降ろしている商店の前に屋台を設け、近郊の野菜・魚等の朝市を開いて活性化に繋げようとの試みだ。
 地元色豊かな弁当、手作りのぬいぐるみ・装飾品、大漁旗を掲げた魚屋、近郊農家による野菜・果物・花々、時に鮪の解体ショウーを催す等中々の好評にて結構賑わっている。

    霜掃きて朝市のもの並べけり   片山由美子

 朝市に春夏秋冬は勿論ないのであるが、なにか上掲句のように冬のイメージを誘われる。
 
     朝市ですぐ食む林檎ひとつ買ふ  暢一

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2005年11月15日 (火)

≪フォト俳句(182)≫11/15 芒・米山新田(伊勢市郊外)

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 伊勢市郊外円座町の宮川東岸と山並みの間にさほど広くはないが田園地帯が広がる。
 ここは江戸時代に開墾され「米山新田」と呼ぶ。(№112)にて少し触れた事がある。
 
 米山新田の名は開墾に心血を注いだ当時の円座組大庄屋の米山家から付いたものである。
 この時代の円座町は(№155)で題材に採り上げた紀州藩の領地であったが、大庄屋米山家四世が高台の為に水利の悪い荒地であったこの一帯を紀州藩の援助を得つつも家財を投げ打って水路を開き開墾した。元禄2年(1689)から9年の事だ。

 それから140年を経ていつしか荒廃してしまった水路を、文政12年(1829)米山家九世の代に更に延長した上で再興し、現在に至っている。
 しかし米山家九世宗持はその事業による借金返済の責を負って天保10年(1840)に自刃すると言う悲劇もあった。
 米山家が借金を完済出来たのは明治期であったらしい。

 どのような土地にも興味深くまた地元民にとって掛け替えのない歴史があるものである。
 一本の桜の樹が立つ記念碑は何時も綺麗に清掃されている。
 
    日を伊勢にかたぶけにけり花芒    飴山實  

 10月に訪れた折の畦の曼珠沙華も姿を消し、主役交代の芒が風にそよいでいた。

       山里に無名の故事や花芒  暢一

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2005年11月10日 (木)

≪フォト俳句(181)≫11/10 ②祖霊社(伊勢市内)

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 諸事多忙の故、11/5の記事を掲載出来なかった事をお詫び申し上げる。
 偖、前回の「祖霊社及び神葬祭」に関する話題の続きである。
 
 神葬は東京でも行われている事を著名人の葬儀等にて時折知る事が出来るから、伊勢独特のものではない。 私は富安風生先生の孫弟子であるが、先生のご葬儀も神葬であった。

 神葬に於ける作法は神前結婚式の折と基本的には同じと思っておけばよい。
 幣の付いた小さな榊を献じた上で2回深々と拝礼をした後、ゆっくり2回拍手、最後に一回拝礼をする。
 これを「二拝二拍手一拝」と云う。
 面白いと言っては不謹慎だが、通夜での拍手では空拍手と云って音を立てずに、拍手の動作だけする。
 本葬でも一般の参列する「斎殿」での「葬祭」ではまだ空拍手だ。
 葬祭の後「祖霊殿」に移り、故人と親交の厚かった人達と親族だけで「告別式」をまた空拍手で行う。
 引き続き「初祭」と云って御霊代を御本殿に鎮める祭を行うが、この時に初めて音を立てて拍手するのである。

 葬儀は神官の のりとの唱和と雅楽の演奏の元に進行する。
 写真に太鼓が見えるが、雅楽は笙(しょう) 篳篥(ひちりき) 太鼓によって演奏される。

       黄落や寮歌でおくる葬あり  大森藍 
 
 上掲載句の「葬」は「はふり」と読む。勿論葬儀の事である。俳句ではよく使われるが「葬り」と表記する俳人もいる。
 五十日祭参列の事から神葬祭の話題になったが、五十日祭のあと料亭に移動して参列親族達に秋の趣深い懐石料理が振舞われた。

      葬祭のあとを集へる栗ごはん  暢一

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     斎殿                 斎殿内
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     祖霊殿               祖霊殿内
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                  秋の懐石

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