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2005年12月 5日 (月)

≪フォト俳句(187)≫12/5 ③芦・木曾三川・治水神社(岐阜県海津市)

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 前回記事にて触れた「揖斐川」は桑名市の辺りでは上流の鵜飼で有名な「長良川」と堤防一つを隔てただけで並行して流れ、河口近くにて揖斐川・長良川は一本の河となる。まさに大河と呼ぶに相応しい見事な景である。
 河口近くでは一時期問題となった長良川の河口堰の威容を望む事が出来る。
 また揖斐川・長良川のすぐ近くを木曽川が流れており、この三本の川を「木曾三川」と総称する。

 私の気に入りの所は「揖斐川」と「長良川」の間の堤防を走る道である。満々と水を湛えて流れる大川を左右にした眺めは広々と河原を埋め尽くす芦と相まって素晴らしい。
 下手な地図を描いてみたがやはり不正確なので、詳しくはグーグルの衛星写真をご覧頂きたい。
 拡大や地図に変換も出来るので仔細をご覧頂けると思う。
 
 この堤防を車で10分程北上すると「千本松原」と呼ばれる松並木と「治水神社」がある。
 「治水神社」の祭神は薩摩藩家老であった平田靭負である。
 遥に遠い薩摩藩の一家老を神として立派な神社を建立し、今の時代に亘っても大切に祀っているのには勿論理由がある。

 揖斐川・長良川は近くの木曽川より少し低地を流れている事もあって昔はすぐに氾濫をしてしまう川であった。
 そこで約250年前に薩摩藩が堤防・浚渫工事の命を幕府より受けたが、それは筆舌を尽し難い程の苛烈な工事であったらしい。
 工事中の洪水による再々々工事、幕府からの過酷な命令や侮辱等々。犠牲者は記録に残っている薩摩藩士だけでも86名に上る。内53名もが耐えかねての自決と云うのだ。
 10年の歳月を経て完工したが、総奉行であった家老 平田靭負は薩摩藩主に完工を報告のあと全責任を負って彼も自決した。この時代に要職にある人が責任を負うと云う事は命を絶つと云う事なのだ。少し前に記事にした円座の大庄屋も武士でないにも拘らず責任を負って自決している。

     冬麗の大河一微の涸れもなし  岡本 眸
  
 掲句は作者が8年前の12月に桑名を訪れた折の作にて、句集「流速」に下記の句と共に長良川畔七句として所収されている。

     綿虫や城濠いまは生活川
     干菜吊り大河明りもここらまで
     枯枝とて桜なりけり潜りみる
     夕日いま鏡のごとし落葉焚
     振って消すマッチもろとも枯川原
     冬深むこころに雨の河口堰

 治水神社の境内には薩摩藩士全犠牲者の名を記した慰霊碑が建っている。比較的新しい物のようだ。

      全景の芦暮れなづむ焚火かな  暢一

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