≪フォト俳句(236)≫7/5 ④ てこね寿司 (内宮前 おはらい町)
引き続き伊勢志摩吟行会記の4回目である。
外宮参拝と勾玉池の花菖蒲を楽しんだ後、昼食の為に内宮前の「おはらい町」に行く。
「おはらい町」は参宮街道の終着点であり昔から土産物店や食事処が立ち並ぶ。
近年 国の再開発事業の補助も得て江戸時代の佇まいをより強調したモールとしてとても賑わっている。
おはらい町で一番有名なのは赤福本店だが、上の写真はその赤福本店横より五十鈴川に掛かる橋をおはらい町の裏手、五十鈴川の向こう岸から撮ったものだ。
このたびは伊勢詣とて又も留守 高濱虚子
「伊勢参」「伊勢参宮」等が春の季語となっているが、掲句の「伊勢詣」も恐らく同じ意味で春の季語として虚子は使用しているのであろう。 初詣の事ではない。
赤福本店より数軒内宮よりに「てこね寿司」で有名な「すし久」がある。
別に宣伝する意図は無いが、伊勢志摩吟行会初日の昼食は皆の要望でここと決めいる。
「てこね寿司」は醤油で辛めに味付けした鰹の刺身と寿司飯を混ぜ合わせたものにて、もともと志摩の漁師達が船の上で捕れたての魚を捌いて寿司飯に混ぜ 手でこねた事に始まる。手でこねるから「てこね寿司」と云う訳である。
地元では昔から馴染みの食べ方であるが、最近は観光客向けに伊勢志摩の随所で見られるようになった。
「すし久」の今の店舗は再開発事業の折に建てられた物であろうから 旧くはないと思うが、昔を偲ばせる中々趣のある建物の内外だ。
右画像で入り口土間の照明の上に燕が留まっているが、土間の鴨居等に燕が巣を幾つも作っている事でもこの店は知られている。
お昼時は混むので13時半頃と予定を組んでいたので待つ事なく2階へ上がる事が出来た。
艶々と拭き込まれた簟が涼しげだ。 窓からは裏手を流れる五十鈴川が一望出来る。 今の時期は川風を招き入れてクーラーはまだ必要でない。
下画像の右から二枚目がてこね寿司セット。 千五百円也。 味噌汁もこの地方独特の濃い色をしている。
足の不自由な会員の為に座椅子を用意してもらったところ、食べ易いようにと脚付きの膳台も用意してくれた。
夏料理窓開けて呼ぶ川の風 暢一
食事を終えて五十鈴川を眺めつゝ橋を渡り駐車場へ戻る。 下画像左端の五十鈴川の奥が伊勢神宮の内宮。 写真に見える山は神路山である。
五十鈴川は御裳濯川(みもすそがわ)とも呼ばれ、日本武尊の姉である倭姫命が裳裾を濯いだ故事からとも、昔々は内宮へは宇治橋が無く裳裾を濡らしながら五十鈴川を渡って参拝した事からとも言われている。
また神路山は多くの歌人にも詠まれていて歴史的に有名な山だ。
例えば
西行法師
神路山月さやかなる誓ひありて天が下をば照らすなりけり
深く入りて神路のおくを尋ぬればまた上もなき峰の松風
神路山岩ねのつつじ咲きにけり子らが真袖の色に触りつつ
藤原定家
照らすらん神路の山の朝日かげあまつ雲居をのどかなれとは
後鳥羽院
ながめばや神路の山に雲消えて夕べの空を出でむ月かげ
本居宣長
物いはば神路の山の神杉に過ぎし神代のことぞ問はまし
神路山すぎぬるほどのしをりあればこれより奥は明日もふみ見ん
深くとも奥も踏みみむ神路山杉のしづ枝をしをりにはして
かみぢ山おく深くとも杉が枝のしをりしあらば踏みはまよはじ
駐車場まで五十鈴川東岸を歩いていると、一人が桑の実を見つけた。 私は初めて見たので食べてみたが何か懐かしさを思わせるほろ苦い甘さだった。
この事は三枚の画像で「日々身辺抄(6月29日)」で記事にした。
また堤には金糸梅も咲いていたが、この花についてもやはり「日々身辺抄(6月25日)」で詳しく触れた。
この後、内宮は広大なので参拝すると時間が掛かり過ぎる為に素通りして、車を伊勢志摩スカイラインに乗り入れ金剛證寺に向ったが、次回に譲りたいと思う。
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