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2006年7月の6件の記事

2006年7月31日 (月)

≪フォト俳句(241)≫7/31 ⑨ 浜島漁港 (志摩市)

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 伊勢志摩吟行会記も9回目となったが、もう暫くお付合い頂きたい。
 今回の目的地は「浜島漁港」。

2mapimage 御座の潮仏を拝んだ後、旅館に戻り 御座の見所をご案内して頂いた旅館のご主人はじめ皆さんにお礼を申し上げて、次の目的地である 「浜島漁港」 に向った。

 浜島漁港は英虞湾南岸の西端に位置する御座から湾をぐるっと一周した反対側の北岸西端の岬に位置する。
 前回記事の潮仏の遠景に写っている山々が浜島辺りだ。


4img_4744 3img_4738 浜島町内に入ると所々に巨大な伊勢海老の看板やモニュメントが建っている。
 浜島漁港は伊勢海老水揚げの中心をなす漁港として有名なのだ。 この6月3日に 「伊勢えび祭」 が催されたばかりである。 
 
 漁港にある 「三重県水産技術センター」 では伊勢海老の研究が盛んに行われており、同センターは昭和63年に世界で初めて伊勢海老の人工孵化飼育に成功している。

5img_4742 6img_4741 また熊野灘にも面しており、かっては遠洋漁業の全国に名だたる水揚げ量を誇った時代もあったそうだが、今は衰退してしまった。

 浜島漁港は広い。 長い岬の堤防に沿って小さな漁船が延々と繋留されていた。 堤防に干し並べられた網は中々カラフルにて、漁村らしい光景を演出してくれている。

 堤防から海辺に下りてみると、そこには貝がびっしりと張り付いていた。
 牡蠣だ。 志摩地方は牡蠣の養殖でも全国屈指の規模だが、養殖から零れた牡蠣が繁殖しているのだろうか。 盛んに潮を噴き上げていた。


           岸壁の牡蠣が吐きをる夏の潮  暢一


 ここで皆には自由に行動してもらう事にした。 句帳片手に海を眺める人、漁船や引き揚げ用の機械を珍しそうに覗き込む人、網に触っている人、と思い思いに暫しの時間を楽しんだ。


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 漁港を後にして、岬の反対側の海沿いの道を次の目的地に向って走る。
 堤防にはやはり延々と網が干されていた。
 上の画像で英虞湾越しの遠景に見えるのは、出発地の御座だ。

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 少し突き出た小さな岬を過ぎた辺りに来ると熊野灘の外洋が広がる景となる。
 その岬に建つホテル(上画像の左)の見える場所で車を停める。
 会員の何人かが直ぐに気付いた。 17年前、我々の師と主要同人を東京よりお招きして吟行会を催した折に宿泊した思い出のホテルなのだ。

 尚、冒頭の夕焼けの写真は、下見で訪れた際に同じ場所から反対方向を撮影したものだ。

              岬で二分け夏の海夏の海   山口誓子


13img_2933 14img_2938 次は英虞湾とは半島を隔てた西側に位置する五箇所湾に出て、五箇所町の「愛洲の里」に行く予定である。 
 沿海が多いこの道は絶景を楽しみつゝ走る事が出来る。 一部の景観を左画像でご紹介して後は次回に譲る事にする。

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 道中の至る所に 「金鶏菊」(キンケイギク)が咲いていた。 
 国道際の崖一面に咲いているものも見掛けたが、種を撒いているのだろうか。

                      <全画像拡大可>

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2006年7月25日 (火)

≪フォト俳句(240)≫7/25 ⑧ 御座 潮仏 (志摩市)

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 伊勢志摩吟行会も8回目の記事となった。
 前回記事の爪切不動尊を後にして、旅館のご主人に 「御座漁港」 の近くにある 「潮仏」へと案内してもらった。

 英虞湾のリアス式の入り組んだ入江は最高の伊勢海老が育つと言われており、御座漁港では秋から春にかけて夕方から朝の間に伊勢海老漁が行われる。昼間は岩礁に潜み、夜になると動き出す習性があるからだとか。

3img_4678 2img_4681 御座漁港の片隅に歌碑が建っていた。
 木俣修 の潮仏を詠んだ歌だ。

     志摩の津に
      海女が悲願に生れまして
        潮のもなかにいますみほとけ

 碑の裏には
 「昭和二十八年夏この地に遊びたる木俣修、この潮のもなかのみほとけを潮佛と呼びてなしたる歌一首をここに刻む  昭和四十五年九月  形成三重支部 御座漁業共同組合」 と書かれていた。
 左画像のもう一つの白い石の歌碑は潮仏の所に建っていたが、はっきりとは全文を読み取れなかった。

 「木俣修」 の略伝を.思文閣美術人名辞典で調べてみた。
 歌人。 滋賀県生。 名は修二。 北原白秋の門。 戦後、雑誌 『八雲』 『短歌主潮』 を編集して戦後歌壇の新気運育成に努めた。 『形成』 を主宰。 昭和・実践女子大教授。 昭和58年(1983)歿、76才。
 彦根藩の城代家老の末裔だそうで、彦根城近くの市立図書館前庭にも歌碑がある。

      城の町かすかに鳰のこゑはしてゆきのひと夜の朝明けんとす


 御座漁港の隅から鳥居を潜り崖沿いの海岸を行くとすぐに潮仏がある。
 下の2枚の画像が潮仏だ。 
 一昨年に訪れた時がそうだったが、満潮になると海中に没する。
 
 昔、村人の夢枕に仏様が立たれ
 「腰から下の病気を皆に代わり洗い流すために海の中にいるので決して高いところに移すことのないように」 と言われたとの伝承のように、婦人病・子宝にご利益があると海女達の信仰厚い潮仏である。

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          6img_4668 7img_4671

 潮仏は俳人の間では全国的に有名だ。 多くの著名俳人も句に詠んでいる。

              水無月の青波かぶる潮仏  加藤三七子

 他にも少し挙げてみる。

        顔磨滅せし潮仏海女拝む  山口誓子
        船虫もここに集まる潮仏   右城暮石         
        漂泊や北風の波退く潮仏  石原八束

 折りしも老女が椅子に座って憩っておられた。 海女を引退された方にて
 右の仏像をご本尊と思うだろうが、そうではなく左端の岩がご本尊ですよと教えてくれた。


               緑蔭に老海女憩ふ潮仏  暢一


 今回は続いて 「浜島」 も取り上げようと思っていたが次回に譲りたいと思う。

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2006年7月20日 (木)

≪フォト俳句(239)≫7/20 ⑦ 爪切不動尊 (志摩市御座)

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 伊勢志摩吟行会記も7回目となったが、これから二日目に巡った土地を題材に もう少し進めていきたいと思う。 お付合い頂きたい。

 朝食の後、旅館のご主人が車で御座をご案内しましょうかと申し出てくれた。 
 まず連れて行って頂いたのが 「爪切不動尊」 。

Img_4690 ここは吟行会計画の折に目を付けていたのだが、地図で判断すると金比羅山の実に狭い道をくねくねと登って行かなくてはならないようなので諦めていた所だったから嬉しかった。
 実際に宿の車で連れっていって頂くと想像以上の狭さにて辿道のようだ。

 駐車場とも言えぬ空地に車を停めて、途中にぽつんぽつんと建っているお堂に寄りつゝ「爪切不動尊」 に向う。

Img_4687 Img_4696 道すがらに大きな 「梅雨茸」 が見られ、皆で取り囲む。 俳人はこんな物でも興味津々なのだ。
 「梅雨茸」 は梅雨の頃に生える様々な茸を総称して言うが、俳句以外ではあまり使用しない言葉かもしれない。

 サルスベリのようにつるゝゝとした木が珍しい。 近づいて見ると根元に樹皮が散乱している。 
 幹に 「バクチノキ」との札が添えてあり、樹皮が剥がれる様から 博打で身ぐるみ剥がされる事になぞらえたのかしらと皆で笑いあった。
 図鑑を調べると 「博打の木」 と書き、想像した通りだった。 
 暖地の主に沿海地に生える常緑高木。 葉からバクチ水というのが採取され,咳止め,鎮静剤として使われると載っていた。 

           梅雨きのこ大耳なして聞くは何  角川源義


Img_4692 Img_4694 「爪切不動尊」 の如何にも古びた大鳥居より急勾配の階段を下りると茶屋を兼ねた建物に入る。 御札その他も売っていた。 
 辺地の山中の不動尊だが想像を越える大きな規模の不動尊だった。
 それもそのはずで、日本三大不動尊の一つに数えられている。

 爪切不動尊は 延暦年間(782~806)の頃に弘法大師が自然石に不動明王像を爪で刻んで、爪切不動尊と称し建立したとされており、その不動尊は秘仏としてご開帳された事がないそうだ。


Img_4705 Img_4709 旅館のご主人に由緒や言い伝えなどを説明して頂く。 
 曰く、右画像の梵字石は室町時代のものと言われているが、一石一仏を表し二十五石ある。
 大師堂裏に 「撫で石」 があり地元民は誰もが年越し参りをして 「撫で石」 に触り祈願する事を慣わしとしている。 (実際に触ってみたが、実につるつると磨耗していた。 何百年いや、もしかしたら一千年以上の掌による磨耗なのかもしれないのだ)
 それから、弘法大師が法力で畑を荒らすモグラを封じ込めたので、今でも御座にモグラはいない…等々と面白かった。


Img_4710 Img_4712 また 涼しげに滴る岩場にもご案内頂く。
 この滴りの由来も説明して頂いたが、忘れてしまった。 
 兎に角 膝痛を治してくれるご利益があると言うので、早速 小さな柄杓に滴りを受けて膝を濡らしている会員もいたが、宿のご主人に 「先ず合掌をして居住地・氏名を名乗り 願い事を唱えてからお祈りしつゝ霊水を受けなさい」 と叱られていた。 
 私はこのような事をあまり好まないので見ているだけだったが、叱られて神妙にやり直している会員諸氏を見ていて笑いを堪えるのに苦労した。


             滴りに賽銭箱の置かれあり  暢一


  爪切不動尊はうっそうとした森の谷間に、本堂・大師堂・薬師堂・籠堂・霊符堂等々が配置され、荘厳な雰囲気が漂っている。
 朝にも拘らず薄暗い為に画像が少し不鮮明になってしまった。

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Img_4725 それぞれのお堂を巡り終え、左画像の階段を下りて茶屋前に少し広がる境内に戻る。 
 茶屋では足の少し不自由な会員がお茶を頂きながら待っている。 急な谷間に点在するお堂を巡るのは無理なのだ。

 私達もお茶を頂きながら一休みする。 灰皿のあるのが有り難い。 
 漁民信仰の厚い爪切不動尊らしく大漁祈願のお守りが各種並べられているので一つ買った。 ま~商売繁盛にも通じるだろうと…。

Img_4733 茶屋の柱の俳句が目に留まる。 地元の俳人だろうか。

     花の雨不動に暗き燭の揺れ  小川栄子


Img_4732 一服の後、旅館のご主人が次は 「御座の潮仏」 にご案内しますと仰る。
 「潮仏」 は俳人の間で全国的に有名なのだ。 
 この吟行会でも一昨年に一度訪れてはいるのだが、折角のご好意なので その事は言わずにご案内して頂く事にして急な階段を登り爪切不動尊を後にした。

 次回はこの 「御座の潮仏」 と 「浜島漁港」 へ話題を進めていきたいと思っている。

                      <全画像拡大可>

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2006年7月15日 (土)

≪フォト俳句(238)≫7/15 ⑥ 奥志摩

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 引き続き伊勢志摩吟行会記の6回目である。
 金剛證寺を拝観の後、朝熊山々頂の展望台で少しだけ車を停めて展望を楽しみ鳥羽方面へとスカイラインを下りた。
 くねくねと曲る山道は時に左に時に右に海が見えて楽しい。
 
 鳥羽から賢島の横を素通りして船越浜の景を楽しみ 和具の半島の先端に当たる御座岬に向った。

Bmapimage1 冒頭の画像は賢島からの英虞湾の景観だ。
 左の地図でもお分かりのように、この辺りは世界的にも珍しいリアス式海岸が複雑に入り組んだ独特の景観が見られる。
 
 下の4枚の画像は半島への入り口付近に当たる 「船越浜」。 
 10台程の駐車場もあり 「船越前浜小公園」 の標識が出ている。 岸壁に石段が設けられていて砂浜に下りる事も出来る。
 ここは賢島の複雑な内海の景から一転して、太平洋の大海原の景が楽しめる。 
 また海女舟が幾艘も見られる事でも知られているが、当日その姿は無く皆残念がっていた。 午前中でないと無理なようだ。

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          3img_4560 4img_4561

 
 船越浜から半島の先端まで走り 「御座」 へ行く。 
 御座にはその名の通り白砂の綺麗な 「白浜海岸」 があるが、その海岸前の旅館に宿泊する為である。
 この旅館と白浜海岸については 「日々身辺抄(6/15)」 でも触れたので宜しければご覧頂きたい。

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 翌朝 朝食前に白浜海岸に出てみる。 
 途中の空地に 「待宵草」 が咲いていた。 
 竹久夢二作詞の 「宵待草」
 ‘待てど暮らせど 来ぬ人を 宵待草の やるせなさ’
はこの 「待宵草」 の事を指す。 夢二が間違えたのか知っていて宵待草としたのかは不明。
 右の画像でも分かるように、朝になってしぼんだ花が赤っぽく変色するという特徴がある。

 白浜海岸は遠浅で東海地方随一の水質を誇り、日本の88選に選ばれた海水浴場でもある。
 シーズン前なのでまだ海水浴場としての準備は整っていないようだ。 浜に下りる階段は砂に埋もれていた。
 白浜海岸は私の若い頃 海水浴場の施設など無く 観光とも無縁の自然のみの海岸だったが、伊勢志摩地方では昔から海水も砂もとても綺麗な海岸として名は知られていた。
 名の通り実にさらゝゝとした綺麗な白い砂は貝殻によって出来た砂だからだ。


             梅天の海を覗けば深みどり  暢一


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 浜辺らしく 「浜昼顔」 が咲き、 「海桐」 (トベラ)が青い実を結びだしていた。
 「浜昼顔」 は 「昼顔」 の花とそっくりで見分けが付かないが、葉の細い昼顔と違い葉が丸いので判る。 名の通り海岸に生息する。

 「海桐」 も海岸に生える植物だ。 
 5月に白い花を咲かせた後に下の画像の様に実が生るが、秋になってこの青い実が黄色くなりそして弾けて中から真っ赤な実が現れる。 
 この 「海桐の実」 は俳人好みの題にて盛んに詠まれているが、秋の季語である。


                磯日和はじけて赤き海桐の実   渡辺和子            


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 尚、御座白浜海岸へは8月中旬に再訪する機会があり、海水浴の景や浜木綿の花など盛夏の様子を下記日付にて取り上げた。 宜しければご覧頂きたい。

      「日々身辺抄」 8月18日8月19日8月21日8月23日8月24日

                           <全画像拡大可>

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2006年7月10日 (月)

≪フォト俳句(237)≫7/10 ⑤ 金剛證寺 (朝熊山頂)

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 伊勢志摩吟行会記の5回目である。
 内宮前のおはらい町で昼食を済ませ、伊勢志摩スカイラインに車を乗り入れた。
 伊勢神宮 内宮の東側、鳥羽との間に伊勢志摩地方では最高峰(標高555m)の 「朝熊山(あさまやま)」 が聳える。
 伊勢志摩スカイラインはこの朝熊山の山頂を経由して内宮から鳥羽へ出る観光道路だが、伊勢湾やそこへ流れ込む五十鈴川、志摩地方を一望出来て素晴らしい景観だ。

3img_4533 2img_4527 次の目的地はこの朝熊山の頂上付近に建つ古刹 「金剛證寺」 。 
 昔は 『伊勢を参らば朝熊をかけよ。朝熊かけねば片参り』 と詠われた。
 「朝熊」とは朝熊山頂に建つこの 「金剛證寺」 の事を指していて、昔は伊勢参りの後を必ず訪れた寺である。

4img_4532 5img_4539 金剛證寺は伊勢神宮の鬼門を守るために建立された寺であるが、草創は古く欽明天皇の頃(539-71)に暁台上人が明星堂を建て修法した事に始まると言われているから1500年近くの歴史を誇る事になる。
 また825年に真言宗の道場として金剛證寺と称した弘法大師が中興の祖。 その後 仏地禅師が1392年に臨済宗に改宗し、徳川将軍家代々の帰依も得て現在に至っている。

 樹の間と部分的な写真しか撮影していなかったが、本堂は摩尼殿と言い徳川綱吉の母 桂昌院の修理をへた桃山様式にて重要文化財に指定されている。
 本堂境内に大黒を頭に頂いた福丑の像があるが、ご利益があるとの事で撫でられた手擦れの為にぴかぴか光っていた。


            木洩れ日の磴涼風をもて誘ふ  暢一
   

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 本尊は虚空蔵菩薩。 福島県柳津、茨城県村松の像とともに日本三虚空蔵の一つに数えられている。
 本堂を参拝した後 暁台上人の開いた開山堂、そして迎賓館などを巡ったが 子宝にご利益があると云う おちんこ地蔵尊には笑ってしまった。

 尾根伝いに奥の院へ通じる参道には仏地禅師の五輪塔、北畠公・九鬼公、慶光院清順の供養塔などが建つ。
 しかし参道の両側に林立する多数の巨大な卒塔婆群は必見である。 
  ‘岳参り(たけまいり)’と云って 伊勢及び近郷では葬儀の後、親戚一同と共に金剛證寺で施餓鬼会を営み卒塔婆を奉納する風習によるものだが、この事は以前に金剛證寺を数回にわたって取り上げた折、№31№32にて記事にした。

 ここには1787年に建立された歴史的な芭蕉句碑もある。

        神垣やおもひもかけずねはん像   松尾芭蕉 

 この句は1688年、 「笈の小文」 の旅の時に外宮の館町で詠んだものにて、仏教を忌み嫌う神域内で涅槃像に遭遇した驚きを詠んでいる。

 また奥の院には一休禅師の句碑も建つ。

        海を呑む茶の子の餅か不二の雪   一休

 奥の院には富士見台と云う展望台があるが、天候条件によっては富士山を望む事が出来ると言われている。
 恐らく昔は好天であれば普通に望む事が出来たのだろう。

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Img_4535 伊勢志摩吟行会では以前にも一度金剛證寺を訪れているので 時間節約の為に奥の院は割愛して、太鼓橋の掛かる 「蓮間の池」 の境内に下りた。
 この池は睡蓮が一面に咲き見事なのだが、まだ蕾しか見る事が出来ず残念だった。
 弘法茶屋と呼ぶ茶屋がありここで抹茶を頂きながら休息する。 
 境内を 又 奥の苔むす庭園を眺めながらの一服は格別だ。
 
 庭園の苔に見える茶色は 「苔の花」 。 
 苔は胞子で増えるから花は咲かないが、感じが花に似ているので俳句では 「苔の花」 と呼ぶ。
 梅雨時の代表的な季語である。

              苔さくや仏うするゝ石の面   石橋秀野 

   Img_4542 Ximg_4553 Img_4538


 駐車場まで遠回りしつつ歩いているとスカイラインの道路に面する所に箱根空木が咲いていた。
 一木に白と紅の花が咲いている美しい箱根空木だが、伊勢市内では5月に咲き出し、もう花期は終わっている。 山頂はやはり開花時期も遅いようだ。

 歩道橋に無数の実が落ちている。 何の実だろうと樹を見てみると桜だった。 句友が食べてみたが、やはり果物のさくらんぼと違って食える代物では無かったようだ。

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2006年7月 5日 (水)

≪フォト俳句(236)≫7/5 ④ てこね寿司 (内宮前 おはらい町)

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 引き続き伊勢志摩吟行会記の4回目である。 
 外宮参拝と勾玉池の花菖蒲を楽しんだ後、昼食の為に内宮前の「おはらい町」に行く。 
 「おはらい町」は参宮街道の終着点であり昔から土産物店や食事処が立ち並ぶ。
 近年 国の再開発事業の補助も得て江戸時代の佇まいをより強調したモールとしてとても賑わっている。
 おはらい町で一番有名なのは赤福本店だが、上の写真はその赤福本店横より五十鈴川に掛かる橋をおはらい町の裏手、五十鈴川の向こう岸から撮ったものだ。

            このたびは伊勢詣とて又も留守    高濱虚子

 「伊勢参」「伊勢参宮」等が春の季語となっているが、掲句の「伊勢詣」も恐らく同じ意味で春の季語として虚子は使用しているのであろう。 初詣の事ではない。

3img_4507 2img_4499 赤福本店より数軒内宮よりに「てこね寿司」で有名な「すし久」がある。 
 別に宣伝する意図は無いが、伊勢志摩吟行会初日の昼食は皆の要望でここと決めいる。
 
 「てこね寿司」は醤油で辛めに味付けした鰹の刺身と寿司飯を混ぜ合わせたものにて、もともと志摩の漁師達が船の上で捕れたての魚を捌いて寿司飯に混ぜ 手でこねた事に始まる。手でこねるから「てこね寿司」と云う訳である。
 地元では昔から馴染みの食べ方であるが、最近は観光客向けに伊勢志摩の随所で見られるようになった。

4img_4502 5img_4498 「すし久」の今の店舗は再開発事業の折に建てられた物であろうから 旧くはないと思うが、昔を偲ばせる中々趣のある建物の内外だ。 
 右画像で入り口土間の照明の上に燕が留まっているが、土間の鴨居等に燕が巣を幾つも作っている事でもこの店は知られている。

 お昼時は混むので13時半頃と予定を組んでいたので待つ事なく2階へ上がる事が出来た。
 艶々と拭き込まれた簟が涼しげだ。 窓からは裏手を流れる五十鈴川が一望出来る。 今の時期は川風を招き入れてクーラーはまだ必要でない。
 下画像の右から二枚目がてこね寿司セット。 千五百円也。 味噌汁もこの地方独特の濃い色をしている。
 足の不自由な会員の為に座椅子を用意してもらったところ、食べ易いようにと脚付きの膳台も用意してくれた。


             夏料理窓開けて呼ぶ川の風  暢一


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 食事を終えて五十鈴川を眺めつゝ橋を渡り駐車場へ戻る。 下画像左端の五十鈴川の奥が伊勢神宮の内宮。 写真に見える山は神路山である。
 五十鈴川は御裳濯川(みもすそがわ)とも呼ばれ、日本武尊の姉である倭姫命が裳裾を濯いだ故事からとも、昔々は内宮へは宇治橋が無く裳裾を濡らしながら五十鈴川を渡って参拝した事からとも言われている。

 また神路山は多くの歌人にも詠まれていて歴史的に有名な山だ。
 例えば

 西行法師
   神路山月さやかなる誓ひありて天が下をば照らすなりけり
   深く入りて神路のおくを尋ぬればまた上もなき峰の松風
   神路山岩ねのつつじ咲きにけり子らが真袖の色に触りつつ

 藤原定家
   照らすらん神路の山の朝日かげあまつ雲居をのどかなれとは

 後鳥羽院
   ながめばや神路の山に雲消えて夕べの空を出でむ月かげ

 本居宣長
   物いはば神路の山の神杉に過ぎし神代のことぞ問はまし
   神路山すぎぬるほどのしをりあればこれより奥は明日もふみ見ん
   深くとも奥も踏みみむ神路山杉のしづ枝をしをりにはして
   かみぢ山おく深くとも杉が枝のしをりしあらば踏みはまよはじ

 駐車場まで五十鈴川東岸を歩いていると、一人が桑の実を見つけた。 私は初めて見たので食べてみたが何か懐かしさを思わせるほろ苦い甘さだった。
 この事は三枚の画像で「日々身辺抄(6月29日)」で記事にした。
 また堤には金糸梅も咲いていたが、この花についてもやはり「日々身辺抄(6月25日)」で詳しく触れた。
 
 この後、内宮は広大なので参拝すると時間が掛かり過ぎる為に素通りして、車を伊勢志摩スカイラインに乗り入れ金剛證寺に向ったが、次回に譲りたいと思う。

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