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2006年8月10日 (木)

≪フォト俳句(243)≫8/10 ⑪ 愛洲の里 2(南勢町五ヶ所)

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 伊勢志摩吟行会記が続いているが、今回も前回と同じく 「愛洲の里」 をもう少し取り上げてみる。
 愛洲の里は愛洲一族の居城であった五ヶ所城の小山を中心にして整備された公園だ。

 今回は城山にまで登る事は出来なかったが、
 蜜柑畑の道を登ると竹林と雑木に囲まれた城址に出る。
 北と西は五ヶ所川から急な崖となっており、南と東にはL字型に続く二重の堀と土塁に囲まれた堅固な山城であり、中世の城としては詰の丸と居館の跡が残っている貴重な遺跡。
 と 「三遠伊勢・地域資源ナビゲータ」 のサイトで説明されていた。

 五ヶ所は三重県でも有名な蜜柑の産地にて山の斜面のそここゝに蜜柑畑がみられる。


1img_3929 愛洲一族は南北朝時代以前からの豪族にて、南朝方としてそれなりの活躍をしたらしい。 
 15世紀に北畠家の守護職を得て伊勢神宮のお膝元の大湊や山田(現伊勢市の中心市街地)にも進出して伊勢守護となり広く南伊勢一帯を勢力圏とした事もあったが、戦国時代 織田家に乗っ取られた北畠家によって滅ぼされてしまった。

 また五ヶ所は伊勢神宮と熊野を結ぶ海の交通の要所でもあり、愛洲氏は強力な水軍を擁してここに関所を設け通行銭を徴収していた。
 愛洲水軍は熊野水軍である と書いているものが愛洲関係のサイトでは多かった。 
 しかし歴史上、熊野水軍は九鬼一族が代表する水軍として有名だ。 愛洲水軍は九鬼氏を相手に戦っていた と記述しているサイトもあったから、恐らく熊野水軍とは南紀一帯に数あった水軍の総称にて、水軍同士は常に争っていたのであろう。


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          6img_3951 7img_3954

 公園の奥へ水の澄んだ小川沿いに城山の麓を辿っていくと、突然水車小屋が現れた。
 意味も無く唐突な感じがしたが、覗いてみると実際に稼動していた水車を移築したものらしく珍しかった。

         崩れたる水車の跡や河鹿鳴く   寺田寅彦

11img_3974 10img_3970小さな祠があり脇に以下のような説明碑が建っている。

 『石切之祠。 
 往古前田の灌漑用水工事のとき、ここに到り大岩石に当り術を失い只菅神に祈りをささげた。 
 一夜明けて農民の願いは叶い、不思議にも岩は割れて通水することが出来ました。
 これを奇縁として祀られたのがこの水神さんと伝えられています』


9img_3969 その横には 「牛鬼」の像。
 この愛洲の牛鬼については
 面白い昔話のサイト 『むかしばなし牛鬼』 に詳しい。
 興味のある方はご覧頂きたい。

      牛鬼の像が牙剥く木下闇  暢一


 「牛鬼」 と云う怪獣の伝説は全国各地にある。
 特に宇和島の牛鬼は市を上げての 「牛鬼まつり」 として知られている。
 これについては 『牛鬼の歴史と仕組み【宇和島市観光協会】』のサイトが詳しい。

 面白い事に 牛鬼の実物と称して角が伝わっている寺もある。 
 四国霊場第八十二番、高松の根香寺だ。
 同じく昔より伝わる牛鬼の姿図と共に根香寺の 『牛鬼伝説』 サイトで角の写真を大きくご覧頂ける。

                        <全画像拡大可>

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