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2006年8月 5日 (土)

≪フォト俳句(242)≫8/5 ⑩ 愛洲の里 1(南勢町五ヶ所)

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 伊勢志摩吟行会記も10回目となった。
 浜島漁港から海沿いを走る事の多い国道を、英虞湾の西側に位置する五ヶ所湾へと辿る。

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 南勢町の中心である五ヶ所の町から川沿いに少し山手の方へ入ると 「愛洲の里」 がある。
 左画像は愛洲の里に入る短い橋から撮影したものだが、背景の山は 「五ヶ所富士」 と呼ばれていて、山頂に鳥居の建っているのが望める。
 離れた麓からでもはっきりと見えるのだから、随分と大きな鳥居に違いない。
 
  「愛洲の里」 は南北朝から戦国時代にかけて栄えた豪族 愛洲一族の居城であった五ケ所城跡を整備した公園だ。
 剣祖 「愛洲移香斎」 (あいすいこうさい)の生涯や町の伝統芸能などを紹介した「愛洲の館」 「五ケ所城跡」 「古井戸」 「牛鬼の像」 などがある。

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 下見で訪れた時には川沿いに調子よく車を走らせていて うっかりと通り過ぎってしまった。
 広々とした公園を想像していたからだが、意外にこじんまりとしている。
 駐車場に車を乗り入れると花菖蒲や紫陽花その他の花が我々を迎えてくれた。


             紫陽花や白よりいでし浅みどり  渡辺水巴  


 まず 「愛洲の館」 に入館してみる。
  
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 煉瓦と白壁造りの建物は中々趣きがある。
 躑躅がとても印象的だった。
 入館料一人250円也を事務所の窓口で支払って上がると、正面に剣豪の像が睨んでいる。

 剣祖 「愛洲移香斎」だ。
 この五ヶ所城主であった愛洲一族の一人として生まれた愛洲移香斎は剣祖と呼ばれているが、
 
 『 移香斎の生きていた戦国時代、戦い方が騎馬戦から歩兵戦に変わろうとしていた時代、まだ力任せに刀を振り下ろす扱い方が主流であった時代に、剣士の心の動きをも重視して技と表裏一体のものとしてとらえ、体系化したことは画期的なことであったし、その後受け継がれた剣法の中で人を生かす剣として花咲いたことをみるとき、その歴史的意義は大きいと言わざるを得ない 』 
とあるサイトで解説している。
 
 修行の為に全国を巡り、初めて剣法を編み出した武士であったらしい。
 
 彼はその流儀を「影流」と称した。
 有名な「柳生新影流」は愛洲移香斎の「影流」が発展したものである事からも、彼が剣祖と崇められる所以は理解出来る。 

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 上の右端の画像は御木本幸吉が真珠養殖の会社を興した折の建物に使用されていた鬼瓦との添え書きがしてある。
 真珠の「珠」 の字をデザインした特注品だ。
 
12img_4758  私達は展示館を見学した後、公園内を散策し、東屋でお弁当を頂き、その場で野外句会まで行なったから、かなり長時間に亘って愛洲の里に居た事になるが、その間 我々以外に誰も訪れる人は見掛けなかった。
 私が下見で訪れた折も同じであったから、入館料で維持費を賄うなんて事は不可能な施設だろう。

 但し 館には立派な剣道道場が併設されていて、大会が開かれたり地元剣士達の修行の場になっているようだ。


             短冊を押さへ句会や若葉風  暢一
 

                         <全画像拡大可> 

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