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2006年9月 5日 (火)

≪フォト俳句(248)≫9/5 松井孫右衛門(宮川堤 人柱)

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 伊勢市住宅地の西端を流れる宮川の堤は日本100選にも数えられる桜の名所であるが、一年を通じて伊勢市民の憩いの場でもある。
 冬でも朝には散策やジョギングの人々が多数見られる。
 冒頭の画像はその桜並木の堤から宮川の上流方向を撮影したものだ。 奥伊勢の丸やかな山並みが幾重にも連なり、いつ眺めても何か穏やかな気分にさせてくれる景色と思う。

 画像の左側に森が写っているが、これは現堤防の内側に残っている旧堤防の森である。
 いや大切に保存されていると言ったほうが正確だ。


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 ここは江戸時代に造成された堤防跡の一部にて 「寛永十年八月二十五日」(1633年) と刻まれた松井孫右衛門の供養碑と彼を祀る祠が建っている。

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6img_5441 何故 松井孫右衛門が旧堤に於いて大切に祀られ供養されているかと言うと、彼は江戸時代に自ら進んで人柱となった人物だからである。


 旧堤や人柱の事は昨年も本ブログで取り上げた。 
 しかし携帯の小さな写真数枚でしかご紹介出来なかったので、今回はデジカメで撮影した画像と共にもう一度ご紹介してみたい。

 古来 宮川は度々決壊して洪水を引き起こし甚大な被害を被ってきた。
 そこで堤防を修復する際に人柱を捧げて神に祈らなければとの話しになったらしい。
 その時孫右衛門が自ら申し出て人柱となったのである。 松井と云う姓を持っていたところからみると恐らく孫右衛門は土地の有力者であったと思われる。 自ら名乗り出た事は事実であろう。 
 江戸時代でもまだそのような風習が残っていた事は驚きである。 人柱を祀る東側の堤防は以来370年一度も決壊した事が無い。

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8img_5444 右画像の孫右衛門碑と祠の間にある黒っぽい石は孫右衛門の徳を称える俳人 山口誓子の句碑である。
 昭和45年4月に建てられた。

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         孫右衛門西向き花のここ浄土  山口誓子


 いつ訪れても祠は綺麗に清掃され枯らす事なく榊が供えられている。 今回訪れてみると祠の鳥居と垣が新しく作り直されていた。
 如何に地元の人々が孫右衛門を身近に想い敬っているかが偲ばれる。


              金色の音のひぐらしを祠べり  村越化石


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 旧堤は古木のつくる緑蔭が歴史を感じさせ、まるでタイムスリップをしたような独特の雰囲気を醸し出している。 ぜひそれぞれの画像を拡大してご覧頂きたい。


                人柱眠る堤の茂りかな  暢一


 旧堤の河川敷側はゲートボール場として整備され お年寄り達の憩いの場だが、以前は毎朝何組もが一度にゲームをしていたけれど最近は少なくなった。
 上画像の左から2枚目がゲートボール場の堤下のベンチだが、この日もお年寄りが一人ぽつんと座っているだけだった。


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 上画像は河川敷とは反対側から撮ったものだが、こちらは現堤防との間の空地が草野球のグランドに整備されている。 
 画像の左から1・2枚目は孫右衛門の祠の裏側だ。
 3枚目は現堤防。 木々は勿論全て桜である。

 4枚目は現堤防から冒頭の画像の逆の下流方向を撮った。
 写っている橋は県道が通る度会橋。
 その手前に柵が写っているが、これは伊勢神宮ご遷宮行事のお木曳が挙行された折に伊勢各町の幟が立てられていた柵だ。
 お木曳は全てここから出発するからである。

                        <全画像拡大可>

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