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2006年9月の6件の記事

2006年9月30日 (土)

≪フォト俳句(253)≫9/30 ③ 岡崎行 (近鉄特急車窓)

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 前々回、9月12日に伊勢から岡崎句会へ出掛けた折の近鉄特急の車窓風景を四日市市の手前までご紹介したが、その続きである。(但し画像は他の月に撮影したものも混じっている)

 温暖で地の利も良い 「四日市」市の辺りは旧石器時代からの歴史を持ち古墳等の遺跡も多い。 
 特に日本武尊伝説や壬申の乱等に四日市地域の古代の姿を垣間見られ、平安から鎌倉時代には平家の活躍の舞台にて伊勢平氏と言われた。
 四日市の地名の由来はご想像の通り定期的に市が立っていた事による訳だが、1473年の外宮庁宣に四ヶ市の名が既に登場している。

 戦後になって四日市の名が全国に知られたのは不幸な事に 「四日市公害訴訟」(昭和42年)による。
 昭和30年代以降、四日市は日本有数の石油化学工場地帯となり、住民に喘息患者が多発して四日市喘息と言われた。 四日市公害訴訟は4大公害訴訟の1つとして昭和の歴史的出来事であり、その後の公害健康被害補償制度の充実、環境アセスメントの実施、企業の汚染者費用負担の認識促進などの端緒となった。

 今も車窓から化学工場群が望めるが環境浄化も徹底しており被害の話は聞かなくなった。

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 四日市市を過ぎると桑名市を経て木曾三川を渡り その後10数分で名古屋駅に着く。
 桑名は徳川家康の四天王の一人、本多忠勝が築いた桑名城を中心とした町だ。
 また東海道の七里の渡しがあり、伊勢路の出発点としての鳥居が建っている。
 №185№186でも題材にした。

 桑名市の東方を揖斐川・長良川が並行して流れ伊勢湾の河口手前で合流して一つの川となる。 更に少し離れて木曽川が伊勢湾に流れ込む。
 この三つの川を総称して木曾三川と呼ぶ。 いつ眺めても見飽きない大河の景観である。 また揖斐・長良川に広がる蘆原の景も素晴らしい。 ここも№187№188にて取り上げた。


               蘆原のそよぎに秋の兆しかな  暢一


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 長良川を渡ると車窓から河口堰の威容が見える。 10数年前より建設反対運動が全国的に展開されて新聞紙上を長く賑わせた事で有名になった 「長良川河口堰」 である。

 平成9年 師や主要同人諸氏をお招きして吟行会を催した折 見学に訪れた事があるが、環境問題に随分と気を使った展示がなされていた。
 河口堰の上は橋のような通路になっていて歩く事が出来るが広大な見晴らしは魅力的だった。

 その折の師のお句である。 

              冬深むこころに雨の河口堰  岡本眸


 句集 「流速」 に長良川七句と添え書きの上所収されていて以前にも掲載した事があるが、他の六句も再記してみる。

              冬麗の大河一微の涸れもなし
              綿虫や城濠いまは生活川
              干菜吊り大河明りもここらまで
              枯枝とて桜なりけり潜りみる
              夕日いま鏡のごとし落葉焚
              振つて消すマッチもろとも枯川原


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                       <全画像拡大可>

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2006年9月25日 (月)

≪フォト俳句(252)≫9/25 ひつぢ田・曼珠沙華(円座町)

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 前回 岡崎句会出向の近鉄車窓風景をご紹介した折、 「穭(ひつぢ)」 の田について 「穭とは稲を刈ったあとの切り株から、青い芽が萌え出てくる事を言う」 と説明しつゝ触れた。

A1img_8301 A2img_8298 数日前に伊勢市郊外に行く機会があったが、刈り取られた田にその穭が成長して青田の如き景を見せている。
 そこで車窓風景のご紹介を中断して、今回は秋色整った伊勢市郊外の穭田その他の田園風景をご紹介したい。

 左上の画像で切り株から萌え出ている様子がお判り頂けると思う。
 水を張って栽培を続ければ立派にお米が収穫出来るかも知れない等と言えば農家の方に笑われるだろうけれど。


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 畦道に生い茂った秋の草々の風情が郷愁を誘う。 しゃがみ込んで覗いてみると小さな花々が見える。 上画像の左端から 「ねこじゃらし」、「アメリカ栴檀草(せんだんぐさ)」、「赤まんま(犬蓼(いぬたで))」、「露草」 。

B1img_8294 野山を駆け巡る事が毎日の遊びであった少年時代迄はどれもお馴染みの草花だが、社会に出て疎遠になってしまった。
 俳句を長年詠んでいると、またこれ等の何でもない草々が親しくなってくる。 俳人は心情が少年時代に戻っていくのかも知れないなと思ったりする所以だ。

 また畦には曼珠沙華がそここゝに咲き出していた。


          ゆふぐれに少年泣けり曼珠沙華  暢一
           

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 まだゝゞ蕾が多い曼珠沙華だ。 時期を置いて訪れたら素晴らしい景を撮影出来るだろうけれど、再訪出来るかどうか不確かなので少し早い曼珠沙華ながら掲載する事にした。


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          まんじゆさげ暮れてそのさきもう見えぬ  大野林火   


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2006年9月20日 (水)

≪フォト俳句(251)≫9/20 ② 岡崎行(近鉄特急車窓)

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 前回に触れた伊勢市駅はJRの駅舎にて近畿日本鉄道の特急も停車し、我が家からは近い事から近鉄に乗るのにも専ら伊勢市駅を利用するが、近鉄の伊勢市玄関口は冒頭画像の「宇治山田駅」である。 但しこの画像は正月に撮影したものだ。 大きな門松が写っている。

 「宇治山田」とは50年前まで伊勢市の旧市名であった事から今もそのまま駅名となっている。
 この近鉄「宇治山田駅」は昭和6年(1931年)建設の中々趣のある名建築の駅舎だ。
 国の登録有形文化財にも指定されていて一見の価値があるが、存命であれば97歳となる父が20代の折に正装して新築早々の宇治山田駅舎の前で記念写真を撮っているのがアルバムに残っている。


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 今回からは岡崎句会に出掛ける折の近鉄の車窓風景を取り上げてみたいと思う。

 伊勢市駅を発車すると伊勢市町中はあっと云う間に過ぎて市内西を流れる宮川を渡る。
 宮川は日本有数の多雨地帯である奈良県境の大台山系を源流とし、三重県下最長の一級河川であるが何度も水質日本一に選ばれた清流だ。 上の画像左2枚がその宮川である。 
 右端の画像は伊勢市の隣の松阪市の手前を流れる櫛田川。 全長約85kmの一級河川だ。

 宮川を渡ると伊勢平野の田園地帯が広がる。 9月12日の景であるが 稲田は全て刈り取られていた。
 伊勢平野の稲田は例年8月の中頃に稲刈りを行うが、今年は梅雨が長引いた影響で9月初め迄ずれ込んでしまった。

               稲刈つて畦の緑の幾何模様  暢一


 しかし刈田には早くも「穭(ひつぢ)」が見える。
 「穭」とは稲を刈ったあとの切り株から、青い芽が萌え出てくる事を言う。 秋の季語にて俳句に親しんでいる方ならご存知だろう。 
 
             らんらんと落日もゆる穭かな  富安風生 
                             

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 20年近く毎月々々見ている車窓風景だが、土地々々の景観や月々の季節による変化も楽しく見飽きる事がない。
 近鉄特急は伊勢市から松阪市、そして大阪方面への乗り換え駅の中川に停まり、次は県庁所在地の津市。 津には市民の自慢する世界一がある。 それは「つ」と世界で一番短く発音する都市名。 ま~たわいも無い自慢である。

 津市から鈴鹿市を過ぎて暫くすると鈴鹿川越しに高く巨大な煙突が遠くに見えてくる。
 昔、公害で有名になった日本有数の工業地帯を持つ四日市市だが、以降は次回に譲りたい。

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2006年9月15日 (金)

≪フォト俳句(250)≫9/15 ① 岡崎行(近畿日本鉄道)

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 私は東京に本部のある俳句結社に所属していて、岡崎にその結社の東海地区の支部がある。
 過去にも何度か取り上げた事もあるが、月に一度第二火曜日にはその支部の句会が開かれる為に岡崎へ出向く。 今月は12日に出掛けた。

 伊勢市駅まで自宅から20分近く掛かるけれど、運動も兼ねていつも歩く。
 伊勢市駅は夏の観光シーズンも終り先月と違って閑散としていたが、花壇はサルビアと共に松葉牡丹や五色唐辛子がより華やかさを増していた。


            駅前のサルビア赤し人気なし  暢一


 伊勢市駅から名古屋駅までは近畿日本鉄道の特急に乗り約1時間20分。 名古屋駅でJR東海道線に乗り換えて岡崎まで30分。 
 自宅から句会々場に着くまで3時間近く掛かるけれど、月に一度の小旅行は月毎の車窓景観の変化も興味深く楽しみである。


Img_6784 Img_6786 左の画像は丁度向い側の賢島方面へのホームに入ってきた近鉄特急だ。
 私がいつも乗る車両と同じ黄色も鮮やかな近鉄特急車両である。 ビスタカーと呼ばれている。
 画像にも見える客席の高い車両に指定席が取れるとラッキーと思う。 
 高い位置から見る車窓の見晴らしが素晴らしいからである。。 


           車窓いまのうぜんに燃ゆ野川も過ぎ  大野林火
          

Img_6826 Img_6788 間もなく名古屋行特急が着いたが、初めて見るスマートな特急車両だったので驚いた。
 座席に座ってみると大阪の難波と名古屋間としての車内説明ステッカーが貼ってある。
 どうも主要路線の大阪名古屋間で早くから走らせていた新型車両のようだ。

 調べてみた。
 『従来のアーバンライナーに「アーバンライナー・ネクスト」の室内空間をプラスした「アーバンライナー・プラス」。全席禁煙(喫煙コーナー設置)や女性用化粧室の設置、バリアフリー化などにより快適な移動時間を過ごしていただけます。』 と近鉄のHPで紹介されている。

 入り口ドアの上には案内画面が設置されているが、案内が終わると運転席からの線路の映像が流れて鉄道好きには嬉しい。

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Img_6828 内装は柔らかい色調に間接照明も落ち着く。 車幅は狭いものゝ新幹線にも負けない雰囲気だが、一両だけ更にデラックスな車両があるらしい。 勿論利用するには別料金が要るけれど。

 名古屋へ行くのには他にJRの快速みえ号を利用する方法もある。
 JRでは最近回数券を購入すると1200円と云う格段に安い運賃で行けるようになった。 近鉄特急の半値以下である。 速さと快適さを選ぶか遅くとも安さを選ぶか悩ましいところだ。

 近鉄の宣伝のような記事になってしまったが、何回か岡崎行にて記事を続けたいと思っているのでその導入部と云う事にてご容赦頂きたい。

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2006年9月10日 (日)

≪フォト俳句(249)≫9/10 珊瑚樹 (坂社)

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 伊勢市内には伊勢神宮の別宮、摂社、末社が多数点在している事は時折りに触れてきた。
 その末社の一つに八日市場町の 「坂社」 がある。

 「坂社」 は街中ながら隣が等観寺、向かいが市立図書館と環境の佳い所にある。
 尚 等観寺については下記にて題材にした事がある。 宜しければクリックしてご覧頂きたい。
           ↓
 ≪‘のぶ`のフォト俳句≫~from伊勢(210)


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Img_2482 社の前に坂社の由来の説明板がある。
 要領よく短く纏められているので、下記にそれを引き写してみる。 決して面倒だからと云う訳ではない。

 『昔、この地方は山田ヶ原と称し 宮川の分流が幾すじも流れて堰や原野があり、水止野(シトミノ)・清野(キヨノ)・前野・美野(ミノ)・坂野などと呼ばれていました。
 これらの地には、その土地の名をつけた産土神をおまつりしました。これらを産土神八社と称しました。当社も八社の一つで、坂野村社・坂村社などと称されてきました。
 創祭年代は明らかではありませんが、古記録などから、およそ1200年前の奈良朝末期にまつられた古祠と推察されます。

 時代はくだって、中世、山田の地は、坂・須原・美野の三方にわけて自治が行なわれましたが(「山田三方」の名の由来)、当社は坂地方(八日市場から浦口に至る区域)の人々が、崇敬した産土神であります。
 ところで中世、このあたりは、その町名からわかるように毎月 8のつく日に市が立ってにぎわいました。境内社の上座蛭子(カミザエビス)社は、その市の護り神をまつる社です。
 また、産土八社の一つ藤社は昭和20年に外宮宮域の整備のため当地に合祀されました。』

 以上だが、1200年前の奈良時代の祠が起源とは如何にも伊勢らしき歴史の古さである。


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 坂社にも稲荷神社が祀られて、色彩の少ない神社の境内の一部を赤く彩っている。
 説明文にも登場した 「上座蛭子社」 はこの稲荷神社の更に奥に祀られているが、そこは今 「珊瑚樹」 が真っ赤に実を付けていて見事だ。

 一昨年にも取り上げたが、携帯写真の小さく不鮮明な画像だったので 前回と同じくデジカメ画像でご紹介し直したいと思う。

B1img_2473 B2img_2474 「珊瑚樹」 は初夏に白い花を咲かせ10月に実をつけると歳時記に書かれている。 
 右画像は5月22日に同所で撮影しておいたものだが 珊瑚樹の蕾。 例年6月に入ると小さな白い花を咲かせる。
 8月には赤い実が見られだすから、伊勢地方は歳時記の記述よりは早いようだ。


           珊瑚樹の実の照り伊勢の国ゆたか   鷹羽狩行     


 成長が早い事から防火樹として神社の垣等に植えられている。 外宮外苑でも植えられているなど今の時期の伊勢では随所で目に付く珊瑚樹である。


            珊瑚樹や神事の列の白衣装  暢一


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 上の画像三枚が 「上座蛭子社」 の社殿である。
 今でも八日市場町との町名に残っているように、中世以降この辺りは8日18日28日に市が立っていた。 上座蛭子社はその市の護り神であったと前述したが、謂わば商売の神様と云う事になる。


C2img_4177 C1img_4172 社殿の横に 「なぞらへし木の根おがまん春神事」 の札を添え、朽ちた大きな根が注連縄を掛けて祀られている。
 ま~意味は説明しなくてもお判り頂けるだろう。 


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2006年9月 5日 (火)

≪フォト俳句(248)≫9/5 松井孫右衛門(宮川堤 人柱)

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 伊勢市住宅地の西端を流れる宮川の堤は日本100選にも数えられる桜の名所であるが、一年を通じて伊勢市民の憩いの場でもある。
 冬でも朝には散策やジョギングの人々が多数見られる。
 冒頭の画像はその桜並木の堤から宮川の上流方向を撮影したものだ。 奥伊勢の丸やかな山並みが幾重にも連なり、いつ眺めても何か穏やかな気分にさせてくれる景色と思う。

 画像の左側に森が写っているが、これは現堤防の内側に残っている旧堤防の森である。
 いや大切に保存されていると言ったほうが正確だ。


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 ここは江戸時代に造成された堤防跡の一部にて 「寛永十年八月二十五日」(1633年) と刻まれた松井孫右衛門の供養碑と彼を祀る祠が建っている。

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6img_5441 何故 松井孫右衛門が旧堤に於いて大切に祀られ供養されているかと言うと、彼は江戸時代に自ら進んで人柱となった人物だからである。


 旧堤や人柱の事は昨年も本ブログで取り上げた。 
 しかし携帯の小さな写真数枚でしかご紹介出来なかったので、今回はデジカメで撮影した画像と共にもう一度ご紹介してみたい。

 古来 宮川は度々決壊して洪水を引き起こし甚大な被害を被ってきた。
 そこで堤防を修復する際に人柱を捧げて神に祈らなければとの話しになったらしい。
 その時孫右衛門が自ら申し出て人柱となったのである。 松井と云う姓を持っていたところからみると恐らく孫右衛門は土地の有力者であったと思われる。 自ら名乗り出た事は事実であろう。 
 江戸時代でもまだそのような風習が残っていた事は驚きである。 人柱を祀る東側の堤防は以来370年一度も決壊した事が無い。

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8img_5444 右画像の孫右衛門碑と祠の間にある黒っぽい石は孫右衛門の徳を称える俳人 山口誓子の句碑である。
 昭和45年4月に建てられた。

                            .
         孫右衛門西向き花のここ浄土  山口誓子


 いつ訪れても祠は綺麗に清掃され枯らす事なく榊が供えられている。 今回訪れてみると祠の鳥居と垣が新しく作り直されていた。
 如何に地元の人々が孫右衛門を身近に想い敬っているかが偲ばれる。


              金色の音のひぐらしを祠べり  村越化石


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 旧堤は古木のつくる緑蔭が歴史を感じさせ、まるでタイムスリップをしたような独特の雰囲気を醸し出している。 ぜひそれぞれの画像を拡大してご覧頂きたい。


                人柱眠る堤の茂りかな  暢一


 旧堤の河川敷側はゲートボール場として整備され お年寄り達の憩いの場だが、以前は毎朝何組もが一度にゲームをしていたけれど最近は少なくなった。
 上画像の左から2枚目がゲートボール場の堤下のベンチだが、この日もお年寄りが一人ぽつんと座っているだけだった。


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 上画像は河川敷とは反対側から撮ったものだが、こちらは現堤防との間の空地が草野球のグランドに整備されている。 
 画像の左から1・2枚目は孫右衛門の祠の裏側だ。
 3枚目は現堤防。 木々は勿論全て桜である。

 4枚目は現堤防から冒頭の画像の逆の下流方向を撮った。
 写っている橋は県道が通る度会橋。
 その手前に柵が写っているが、これは伊勢神宮ご遷宮行事のお木曳が挙行された折に伊勢各町の幟が立てられていた柵だ。
 お木曳は全てここから出発するからである。

                        <全画像拡大可>

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