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2007年2月の3件の記事

2007年2月18日 (日)

≪フォト俳句(274)≫2/18 ⑤西諸戸邸 (桑名市)

 前回記事の木曾三川公園の雄大な景観を楽しんだ後、千葉へ帰る妹一家を駅まで送る為に桑名市内に戻った。

 まだ少し時間が残っているので桑名随一の豪商であった諸戸家の旧邸を公開している六華苑に行ったが残念ながら休館日だった。
 六華苑は一昨年に訪れ ≪フォト俳句(186)≫ にて携帯画像であるがご紹介した事がある。


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 諸戸家は初代諸戸清六が明治維新のあと新政府高官の知己を得て頭角を現した豪商だが、明治39年に初代が没して四男が二代目清六を継ぎ材木で更に財をなした。 その二代目が建てた旧諸戸邸が六華苑である。

 その折に次男は家屋敷を相続して分家し西諸戸家と呼ばれ現在に到っている。
 その西諸戸邸が上の画像だ。 歴史ある立派な日本家屋と赤煉瓦の塀や蔵が印象的だが、国指定重要文化財である。
 西諸戸邸の煉瓦と調和するように護岸が赤煉瓦で修復され、公園のようになっていた。 最近の事らしい。
 この川は桑名城の元濠だが、伊勢湾河口に近い揖斐川から入ってすぐの荷を運ぶに都合の良い場所としてここに蔵を建てたのだろう。
 桑名はその昔 東海道と伊勢路の分岐点として重要な地にて港と共に大変栄えた町だ。


               川風に潮の香少し冬の蔵  暢一 


6img_3924 六華苑が閉まっていたので仕方なくこの辺りを暫し見学したが中々雰囲気の佳い所だった。
 右の画像は反対側を撮ったものだが、漁船だろうか小型船の係留地にもなっていた。


     綿虫や城濠いまは生活川  岡本眸


               <全画像拡大可>

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2007年2月11日 (日)

≪フォト俳句(273)≫2/11 ④木曾三川公園 (岐阜県海津市)

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 前回記事の続きである。
 治水神社参拝の後、路一つ隔てゝ北側に広がる木曾三川公園を訪れた。


2img_3865 木曾三川公園は国営。 三重・岐阜・愛知県に跨る場所に位置し、日本一大きい国営公園であるとHPで宣伝していた。

 公園内では各種展示施設や広々とした園内に咲く四季折々の花・イベント等が楽しめるが、メインは高さ65mの展望タワーだ。
 左画像がそのタワーだが、ぐんぐんと広がりゆく景観を眺めながらエレベーターで展望台まで昇って行く。

 揖斐川・長良川・木曾川が並行して流れる雄大な河川と水郷地帯を見下ろす展望台からの360度の景観は本当に素晴らしい。 
 私は今回で4度目だが、その都度季節や天候が違うので景観も違う。 何度訪れても見飽きない所以である。


             ぐんぐんと枯の広ごる昇降機  暢一                

 
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 上左の画像は長良川と揖斐川。 両河川に挟まれて中央に伸びる堤防は我々が桑名から走ってきた道路が通る。 そして手前の森が前回取り上げた治水神社である。 中・右画像は揖斐川。
 山は養老山地。 養老の滝もここからはそう遠くない。


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 左から 揖斐川。 三川公園と輪中村落。 並行する長良川と木曽川が2枚、の画像だ。


             野火明り輪中の中に小輪中   近藤一鴻       


 この辺りは輪中と呼ばれる 川よりも低地の水郷地区として地理学的に有名な地帯である。
 上の左端画像の中央下部に写っているが、公園内には輪中農家の代表的な建物が移築展示されている。 この建物については 一昨年に ≪フォト俳句(189)≫ にて携帯で撮影した画像で輪中の話題と共にご紹介した。 宜しければご覧頂きたい。

                       <全画像拡大可>

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2007年2月 2日 (金)

≪フォト俳句(272)≫2/2 ③ 治水神社(岐阜県海津市)

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2img_3833  前回記事では1月3日に風車の青山高原を観光した事を題材としたが、その後 車を桑名市まで一気に走らせた。
 冒頭の画像は桑名市内を流れる揖斐・長良川。 堤防一つ隔て並行して流れている。 橋は国道一号線だ。 この辺りは近鉄車窓の光景として何度も取り上げてきた。

 妹一家は夕方に名古屋から東京まで新幹線に乗って帰る予定なので、それなら名古屋に近い桑名近辺で遊んだ方が都合が良かろうと言う事になった。

 昼食の為に桑名城址近くの松坂肉の老舗である柿安へ寄ったところ、二十歳代の姪が友達に自慢出来ると大喜びをしている。 怪訝に思って訊ねると、東京で柿安はデパ地下やレストラン等に出店していて若い子達にとても人気があり、地元桑名の本店で食事をしたと言えば友人達はきっと羨ましがるだろうとの事だった。

 食後、国道一号線の橋の途中から揖斐川と長良川の間の堤防上を走る道に下りて北上した。 枯芦の広がる景が印象的だ。
 岐阜県境を越えて直ぐ、千本松原と呼ばれる松並木の辺りに神社が建つ。 治水神社と言う。


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             全景の芦暮れなづむ焚火かな  暢一


 治水神社の鳥居を潜り、御手洗で手を清めている間にも眼前の揖斐川の枯芦の景に目が奪われる。

          振つて消すマッチもろとも枯川原  岡本 眸


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 治水神社は一昨年も取り上げた事があるが、小さな携帯写真だったのでもう一度記事にした。

 治水神社の祭神は薩摩藩家老であった平田靭負である。
 遥に遠い薩摩藩の一家老を神として立派な神社を建立し、今の時代に亘っても大切に祀っているのには勿論理由がある。

 揖斐川・長良川は近くの木曽川より少し低地を流れている事もあって昔はすぐに氾濫をしてしまう川であった。
 そこで約250年前に薩摩藩が堤防・浚渫工事の命を幕府より受けたが、それは筆舌を尽し難い程の苛烈な工事であったらしい。
 工事中の洪水による再々々工事、幕府からの過酷な命令や侮辱等々。 犠牲者は記録に残っている薩摩藩士だけでも86名に上る。 内53名もが耐えかねての自決と云うのだ。
 10年の歳月を経て完工したが、総奉行であった家老 平田靭負は薩摩藩主に完工を報告のあと犠牲者への全責任を負って彼も自決した。 この時代に要職にある人が責任を負うと云う事は命を絶つと云う事なのだ。 以前記事にした円座の大庄屋も武士でないにも拘らず責任を負って自決している。

 下画像は左から、本殿、薩摩藩士像、全犠没者名碑である。


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 私は毎年伊勢神宮への初詣にて破魔矢を買う事を楽しみにしているが、今年は機会が無かったので治水神社で買った。
 左端の画像は昨年の伊勢神宮の破魔矢と治水神社の破魔矢を並べたものだが、身贔屓でなく伊勢神宮の方が立派だ。 どちらも1000円のお布施である。


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