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2007年3月の4件の記事

2007年3月31日 (土)

≪フォト俳句(278)≫3/31  杜、犬ふぐり (度会町大野木)

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 「日々身辺抄」3月5日前後にて伊勢市内から少し上流に位置する宮川沿いの梅などをご紹介した。 地名は度会町大野木。
 そこから少し遡った辺りの径沿いに犬ふぐりが群生していたので撮ってみた。

 犬ふぐりについては 梅を撮影した所にも咲いていていたので やはり「日々身辺抄」3月11日にて取り上げて少し詳しく触れた。 ご覧になっていない方は宜しければクリックして頂きたい。


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 草叢に這い蹲いつゝ小さな犬ふぐりの花を撮り終えて顔を上げると、こじんまりとした杜が雰囲気良く丸く望めるのに気がついた。 梅の咲いていた場所の隣にあった杜だ。 


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4img_0123 興味をそそられて引き返してみた。
 左の画像が「日々身辺抄」で取り上げた梅と、先ほど望んだ杜である。

 杜の入り口に狭いながらも駐車スペースがあったので そこに車を停めて杜に入ってみた。
 外からみると鬱蒼とした杜だが、入ってみると直立した杉木立には木洩れ日もあり結構明るい。 

 木立の間の奥にごく小さな祠が見える。


              林中に永日の陽の零れけり  暢一


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7img_5683 杜の感じから小社が建っているのかと思ったので、簡素でごく小さな祠は以外だった。
 しかし遺された石段や石燈籠の様子から、昔は小さくてもそれなりの社殿が建っていたのではないだろうかと推察する。
 近辺に訊ねる人の姿も無かったのが残念である。

 右画像の如く祠を守るように聳え立っている巨木が印象的だ。 樹齢はかなりものだろう。 この杜の歴史の古さを物語っている。
 昔にタイムスリップしたような林中の雰囲気を暫し楽しむ事が出来た。


           林ゆき芽吹き湿りと思ひけり  能村登四郎           


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 杜の向こうの明るく開けた所は宮川の渓流である。
 また杜の隅には椎茸栽培の木が組まれていた。 あまり見る機会が無いので興味深かった。
 椎茸は秋の季語である。 歳時記には椎・栗・櫟・楢などの闊葉樹の幹に生え、秋に多く生えるが春・夏・冬にも生えると書いてあった。


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2007年3月21日 (水)

≪フォト俳句(277)≫3/21 ③ 芭蕉 蘇鉄塚 (かさもり稲荷 法住院)

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 前回、白梅の咲くかさもり稲荷 法住院をご紹介したが、今回も同寺の続きである。
 白梅の咲く反対側、稲荷神社の前方にあたる角では紅椿が鮮やかだ。


              椿咲くこの道夜は怖からむ  暢一


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 そこには手水舎が建つが、その背後に古い句碑が苔むして幾つか並んでいる。


3img_0184 その中で一番有名なのが左画像の蘇鉄塚。 
 寛政5(1793)年の松尾芭蕉百年忌の折に門人達によって建立された芭蕉句碑である。 彫られた句は


   門に入れば蘇鉄に蘭のにほひかな  松尾芭蕉


 この句は「笈日記」に「守栄院」と前書きがあり元禄2(1689)年 芭蕉46歳の吟。
 芭蕉が岐阜の大垣で「奥の細道」の旅行を終えた後、伊勢神宮のご遷宮を見る為に伊勢に詣でた折に詠んだものだ。 守栄院については「句選年考」の頭注に『守栄院は伊勢山田棒の小路と云ふ所に有り、寺は浄土宗にて名高き蘇鉄あり』とある。

 守栄院は明治13(1880)年に廃寺となり、元々守栄院にあった蘇鉄塚が法住院に移されて現在に到っている。


 以上の事は中川竫梵氏著「伊勢の文学と歴史の散歩」を参考にさせて頂いたが、同著には守栄院から移されたその他の句碑として以下が挙げられている。

     蚊帳越しに朝顔見やるくもり哉  伊藤自然  寛政11(1799)年建立
     影もなき身をうつせとて清水哉  松貴二曲  文化 2(1805)年 〃
     松かぜに耳あらひけりほととぎす 野村野渡  天保10(1839)年 〃
     月のさす夜もあるものを冬ごもり  古森省吾  弘化 2(1845)年 〃

 立ち並ぶ碑を個々に写してみたが、下の中画像が伊藤自然、右が松貴二曲の句碑である事が判るくらいで、他は不明だった。


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 句碑だけでは寂しい感じなので、他に咲いていた花も載せてみる。
 水仙だが、花をアップしてみると見慣れない花の姿をしている。
 図鑑を見ても多種あるようだ。 


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 次は柊南天(ヒイラギナンテン)。 まだ蕾が少し膨らんだところだ。
 柊南天は目木(めぎ)科。 葉が柊に、実が南天に似ている事から付いた名にて、木犀科の柊とは科が違い 南天と同科である。


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 今日 近くの商店街の柊南天を見てみると花が開いていたので撮影した。 法住院の柊南天は2月27日に撮影したものだが、一ヶ月弱後の商店街では葉の色も紅葉が進んでいる。


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2007年3月10日 (土)

≪フォト俳句(276)≫3/10 ② 白梅 (かさもり稲荷 法住院)

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 前回記事で法住院の初護摩の始まりを告げる市中お練り供養の様子を取り上げたが、
 今回は白梅の咲く法住院をご紹介したい。

 前回記事の最後にも触れたが、下 左端画像の法住院境内には1月8日に挙行された柴燈大護摩供の跡が残っている。


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 法住院かさもり稲荷と普通呼ばれている。 近所の人に法住院の名で訊ねても判らないかも知れない。 かさもりさんと言われて あ~あのお寺と気がつく程だ。 斯く云う私もそうだった。


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 稲荷神社の堂の中を覗いてみると、祈願の絵馬が笠の形をしていて珍しい。
 かさもりの名に因んでの事かも知れないが由来は知らない。

 しかしかさもりは漢字で瘡守と書く。
 は「できもの・はれものなどの皮膚病」の意味。 できものや傷口の皮膜を云う瘡蓋(かさぶた)の瘡(かさ)だ。 決して「笠」を意味する字ではない。

 調べてみると瘡守稲荷の名は全国的に見られる。
 法住院のかさもりさんは商売繁盛・病気平癒をうたっているが、元々はできもの・はれもの除けの稲荷なのだろう。

 と思ってネットを検索していたら それを裏付ける民話を見つけた。
 民話「瘡守稲荷(かさもりいなり)」である。 興味のある方はご覧頂きたい。


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 狛犬は稲荷であるから 当然として狐だ。 狛狐なんて聞いた事がない。 いったい何と呼ぶのだろう。 一刀彫のような荒削りなので分かり難いが、左側の狐が巻物を 右側が宝玉を咥えている。 


               白梅や稲荷狐の荒削り  暢一


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 法住院は寺号を花慶山法住院山安寺と言う。 天台宗山門派にて比叡山延暦寺の末寺。 
 885年頃に智証大師により建立されたとの歴史を誇り、本尊の不動明王立像は智証大師が42歳厄年の折の自作と言われる。

 また平清盛寄進の尼天像や伊勢国司であった北畠家の護持仏の十一面観音像などと文化財も多い。

              白梅や仏を入るゝ経の声   飴山實


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 稲荷の由来等については一昨年に
 ≪フォト俳句(108)≫≪フォト俳句(109)≫≪フォト俳句(110)≫等で取り上げた事もある。

 境内には蘇鉄句碑と呼ばれて知られている芭蕉の句碑やその他の句碑などが建つが、次回に譲りたいと思う。


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2007年3月 1日 (木)

≪フォト俳句(275)≫3/1 ① 初護摩 1/8 (かさもりいなり 法住院)

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 正月3日の旅行記を5回に亘って続けてきたので記事にするのが遅くなってしまったが、
 今回は1月8日の事である。

 上の画像は何度か取り上げた事のある近所の商店街だが、山伏の一行が法螺貝を吹きながら練っていった。  山伏独特の装束が興味深く、追い掛けて撮影してみた。


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Img_5522 この商店街からほど近い所に法住院が建つが、1月8日はこの法住院の初護摩である初かさもり大祭が開催され、その始まりを告げる市中お練供養の一行である。
 左の画像は我が家に頂いた法住院からの年賀状だが、毎年この初かさもり大祭の開催日を案内している。 画像を拡大すれば何とか文字も読んで頂けると思うが、行事内容部分を転記してみる。

 十二時   市中お練り供養
 十二時半  柴燈大護摩供執行
 一時半   火生三昧(火渡り)
 二時半   伊勢御師太鼓
 三時     開運餅まき
                      大福引・甘酒の無料接待 

 一度は参詣して盛大な護摩供の火を見たり火渡りを経験したいものだと思っているが、残念ながら休日ではないので機会を失っしている。 


           盛り場に初護摩告ぐる法螺の音  暢一


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 柴燈大護摩供や火生三昧などはよく判らない行事の名なので少し調べてみた。
 以下に青梅市にある塩船観音寺のHPから引用させて頂く。

 『護摩供とは、お堂の中で火を焚き、炎の中に御本尊を勧請し、その中に様々な供物を投じ、秘密の真言を唱え、諸願の成就を祈る真言宗の秘法の護摩法で、このお護摩を屋外で焚くのが柴燈護摩です。
 柴燈護摩の始まりは、真言宗をお開きになられた弘法大師・空海の孫弟子に当たり、京都市伏見区にある、総本山醍醐寺を開山した理源大師・聖宝が奈良県吉野の大峰山にて毒蛇の調伏の為にお護摩を焚いたのが始まりです。
それ以来、総本山・醍醐寺は真言宗の総本山であると同時に、山岳信仰の山伏の本山にもなりました。 醍醐寺を中心とする山伏達を当山派修験道とよび、塩船観音寺はその別格本山です。』


 『この柴燈大護摩供の残り火の中を素足で渡り歩くのを火生三昧といい、一般的には火渡りと呼ばれています。
 炎の中に勧請された、御本尊と一体と成るために、そしてその御本尊の功徳を受けて、災難消除、身上安全、家内安全、等の諸願の成就のご利益が頂けると言われています。』 


 塩船観音寺のHPでは柴燈護摩供の様子が画像で詳しく紹介されていて興味深かった。 宜しければご覧になってみて頂きたい。


         初護摩の火の子滅法とどまらず  殿村菟絲子


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 山伏装束についても調べてみた。 これについては宮城県伊具郡の駒場山 愛敬院のHPを参考にさせて頂いた。
 上の左画像にて二人目の山伏で説明してみる。

 頭に被っている黒い物は頭襟(ときん)。 
 大日如来の五智の宝冠をあらわし、十二のヒダがある。

 左肩に掛けているのは結袈裟(ゆいげさ)。 
 修験道専用のお袈裟で九条袈裟という袈裟を折りたたんだもの。六つのフサは六波羅蜜を表す。

 右肩の赤い房は螺緒(かいのお)。
 山岳修行において岩場を登る時や危難の時にこれを解いて用いる用具。

 白い衣装は鈴懸(すずかけ)。
 修験道の入峰修行の法衣。鈴の字は五鈷鈴を、懸は金胎の曼荼羅をかけて修行することを表す。

 腰右側に小さく最多角念珠(いらたかねんじゅ)が見える。
 そろばんの玉の形した百八の珠からなる念珠。念珠は煩悩を断じて仏果を生み出す法具。

 右の後姿の画像より。
 背中に垂らしているのは上記の結袈裟

 腰の皮は鹿皮にて引敷(ひっしき)。
 行者が獅子に乗ることによって法性に入ることを表し、実用には岩角等に座する用具。 兎の皮もあるそうだ。


73img_5212 左画像が法住院境内とかさもり稲荷である。 この2月27日に撮影したが、柴燈大護摩供の跡がまだ残っていた。
 白梅が境内の一角を華やかにしていたが、次回はこの法住院をご紹介したいと思う。
 法住院は寛政5(1793)年の松尾芭蕉百回忌に建てられた蘇鉄句碑でも有名だ。
    <全画像拡大可>

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