カテゴリー「銘菓・土産・飲食関係」の15件の記事

2007年6月 5日 (火)

≪フォト俳句(283)≫6/5 諸戸氏庭園 (桑名市) & お香

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 数日前に桑名へ行った序でに諸戸邸の庭園を訪れた。
 ≪フォト俳句(274)≫2/18 ⑤西諸戸邸 (桑名市) にて記事にした諸戸家の庭園である。

 4月15日から6月30日の間 一般公開されていると聞いていたのでちょうど良い機会だった。
 生憎とデジカメを持ち合わせていなかったので、以下の庭園画像は携帯によるが、冒頭の諸戸邸の外観画像は№274で記事にした折のデジカメ撮影である。


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 諸戸邸の庭園の地は、室町時代に「江の奥殿」と呼ばれ、既に邸宅・庭園の設けもあったと言われている。
 1686(貞享3)年、江戸時代の豪商 山田彦左衛門が隠居所として買い求め沼築庭を造園したが、当時の様子は魯縞庵義道の 『久波奈名所絵図 』 に詳しく描かれており、書院や推敲亭がその頃からあった事が窺える。

 その後 明治に初代諸戸清六がこれを買取り、新たに庭園を増築し現在に至っている。
 諸戸家については前述の№274の記事を参照して頂きたい。


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 今 庭園の目玉は花菖蒲。 ある程度咲いてはいたが 少し時期が早かった。 あと一週間程すれば満開の様が見られるだろう。 他に躑躅の紅が庭園に彩りを添えていた。


                 花菖蒲見るとき吾の古風なる  山田弘子


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 受付の所で揃いになったお香とお香立てを販売していたので、同行の方が帰り際に買ってプレゼントしてくれた。 私は未だ楽しんだ事がなかったので嬉しかった。 
 お香の包み紙の銘は 「 ‘ 夢の夢 ’ 涼風の香 」 。


                 菖蒲園夢てふ  暢一

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 今のお香はお香立て共々とても手軽に楽しめるようになった。 伊勢神宮前のおはらい町にも最近お香の専門店が出来てとても賑わっている。
 覗いてみるとまるでファンシーやキャラクターのグッズを商うショップのようにカラフルで可愛く手軽なお香立てが所狭しと売られている。


 帰宅後早速に頂いたお香を点てゝみた。 
 点けたまゝにしておくのではなく、香りが十分に漂ったら消した方が良いと教えられていたので、数分してからどうして消したらよいのだろうと暫し考えた。
 思いつきでお香を逆さまにして火の点いた方を穴に差し込んでみたら、直ぐに消えた。
 受付係の女性はうっかり消し忘れても無駄が出ないから、3,4本に折り短くして使うと良いですよと仰っていた。 


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 お香には黒い釦のような物が添えられている。

 簡易なお香立てのようだが、こんな小さな物にお香を立てたら倒れ易くて危険だろうにと思いつゝ右画像のように立てゝみた。
 ところが中々どうして上手い具合になっていて、わざと大きく傾けてみても起き上り小法師のように元に戻るのである。 これを使えばどんな器・置物や小物グッズでも火の移りやすい材質で無い限りお香立てにする事が出来ると思った。
 ご存知の方々にはどれも笑止な事であろうけれど、初体験の私としては変に感心してしまった。
 

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2007年4月19日 (木)

≪フォト俳句(279)≫4/19 ① なばなの里 (桑名市長島町)  

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 先日 なばなの里を訪れた。
 東海地区の方なら誰でもがご存知の近年人気のある植物園である。 伊勢からも訪れる人が多く、私の知人は皆訪れていて、中には一年に何度も訪れ四季折々の花々を楽しんでいる人もいる程の人気振りだ。 
 経験の無いのは私だけだったが、桑名の知人が案内してくれる事になりやっと訪れる事が叶った。 車椅子を無料で借りる事が出来るとその知人が教えてくれたので、米寿を過ぎた母も同道出来た事が嬉しかった。

2img_6161 なばなの里の所在地は三重県桑名市長島町。 愛知県との県境近くの長良川畔に位置する。 
 一時は社会問題にもなった悪名高い長良川河口堰の道一つ隔てた向かい側に広がり、23万㎡もの広大な敷地を誇る。 その道を更に長良川河口まで行くと長島観光開発(株)が経営するプールや遊園地のナガシマスパーランドと長島温泉に出るが、なばなの里も同社の運営施設である。

 一人1500円の入園料を払って園内に入る。 花のシーズンとは言え月曜日だったので駐車もスムーズにて園内も比較的静かだ。 と言っても駐車場も園も広大なのでかなりの人数が来園しているであろうとは思われた。 土日曜日はその広大な駐車場に長蛇の列が出来るそうだ。


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 画像の上2枚は花桃。 一枝に赤と紅白まだらの花が咲いているのが美しい。 比較的大振りの花だ。
 下2枚は水仙の一種だったと思うが、同行者がいるので名札に書かれている名を記録する余裕がなかった為に不明である。


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 上左1枚目の黄色い花は菜の花
 1枚目と2枚目の白い花木は利久梅。 薔薇科。 中国原産にて明治末期に渡来。
 下右端は水仙の園。


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6img_6199 上三枚は三椏(ミツマタ)。 三叉とも書く。 沈丁花科。 これも中国原産。 
 江戸時代初期に渡来し、樹皮には強い繊維があり皺になり難く虫害にも強いので和紙の原料として、現代でも一万円札等の紙幣や重要な書類用に使われている。
 
 と云った事はある程度知っていたが、三椏の花を見るのは私も初めてだったので、黄と赤と咲き分けている花の姿には少し驚いた。

 右画像は園の中央にある池。 一息つける憩いの場を与えている。 


             春の園会話弾めば歩の緩く  暢一


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 左端の画像は数種の花桃。 右から二枚の紫の花も名札を読んだが忘れた。
 (<追記> 4/22に菊子さんよりこの紫の花の名を教えて頂いた。 
  姫金魚草。 別名 リナリア。 胡麻の葉草科。 ピンク色の花もあるそうだが、ピンク色ならば花の形からも姫金魚草の名の付いた事が頷ける)


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 この黄色い花には名札が無かったが、枝垂れているところから雲南黄梅だと思う。 木犀科。 普通の黄梅よりも遥かに花が大きい。


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 園内にはイタリア・中国料理その他のレストランが8ヶ所点在しているが、その内の一つの日本料理店で昼食を取った。 雲南黄梅の画像にその日本料理店の一部が写っている。
 右端画像の展望台は料理店の席から窓越しに撮ったものだが、回転しながら上下して地上45mまで360度の上空散歩を7分間楽しめるそうだ。 乗る暇は無かった。

 メニューは2500円程からとちょっと高い。 画像は食した旬の筍膳。 やはり2500円程だったが、まず高目に見ても1500円までの料理だろう が実感だった。 但し入園料1500円の内、1000円がクーポン券として使えるので、支払いは1500円で済んだ。 何か得をしたような気分がしたが、実際には2500円払っている事に変わりがない訳で、園内での消費を即し 且つ割高感を和らげる巧妙なシステムだ。 下世話な話になってしまったが、料理は美味しかった。


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 なばなの里には薔薇園やベゴニアガーデンその他のテーマ園があるが、メインは花ひろばである。 ここは四季折々にテーマを変えて楽しませてくれる一番の目玉広場である。
 今はチューリップ。 13000坪(約43000㎡)一面に120万本のチューリップが色とりどりにデザインされて咲き誇り、誠に見事な景だ。 
 チューリップだけでは隙間が目立つので、そこをビオラその他の小さな花で埋めている。 その花々の色も工夫されていてチューリップがより鮮やかにデザインされる事になる。


          チュ-リップ喜びだけを持つている  細見綾子


 下の左画像のパンダもチューリップだけでは不可能なデザインだ。
 白も黄色の花も共にチューリップだそうな。

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2007年1月 8日 (月)

≪フォト俳句(270)≫1/8 ① ななくりの湯 (榊原温泉)

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 この正月は家族で温泉を楽しんだ。 
 と言っても遠くまで出掛けた訳ではなく、三重県内の榊原温泉である。 伊勢からは高速の伊勢道の久居インターを降りてそれ程遠くない距離だ。 所要時間は1時間半程だろう。
 鉄道を利用するなら、近鉄大阪線の「榊原温泉口」で下車する。 
 名張の少し手前に位置する駅だ。

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 正月らしき料理を楽しんだ。 
 黒豆には金粉が塗してある。 一様は伊勢海老・鮑・牛肉と三重県の幸を揃えた持て成しだ。 
 正月料金としての2万円は中々お得である。

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 榊原温泉は関西や中部地方では名が通っている温泉だが、平安の時代から屈指の名湯として名高い温泉地なのである。

 清少納言の「枕草子」117段に、『湯はななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯』と謳われてるが、この筆頭に挙げられたななくりの湯こそ榊原温泉だ。 京の都では温泉の代名詞にたとえられていた程の名湯である。

 泉質はアルカリ単純泉で、特に皮膚病・神経痛・リューマチ・婦人病などに効果 があるそうだ。
 実際に入浴してみて湯のツルツルとした肌ざわりは驚くほど。 美肌効果 も高いことから美人の湯としても知られている。

 下の画像は夜の露天風呂。

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            朝寒く夜寒く人に温泉あり  松本たかし


 掲句の温泉いでゆと読む。 
 俳句では他にと読ませる場合もあるが、音数で読み方を判断するしかない。


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 三日の日の出である。
 普段は朝寝坊の私も湯宿の朝は目覚めが早い。 と云っても7時頃の事だ。
 山々の向こうは伊賀地方である。 

 山肌の枯木が朝日に赤く染まって、まるで紅葉のように見える。

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 朝の露天風呂である。
 夜は夜なりの雰囲気が楽しい露天風呂だが、朝焼けの自然に包まれて入る湯はまた格別だ。

 榊原の温泉街は山懐に広がるが、私達の宿泊した宿は山上に建ち その展望が売りだから露天風呂からの景も素晴らしい。 
 まだ色を残した散紅葉にも露天の風情を感じる。

 下の右端画像は男性の湯殿だが、全面のガラス張りが大景を楽しませてくれた。


           山肌の日の出に染まりゆく初湯  暢一


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 朝食を頂いた食堂からの景色である。 
 一番遠い山並みは青山高原。 尾根伝いにスカイラインが走っていて名高い観光地である。


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93img_3729 近年 この青山高原の山頂には風車が多く建設されていると聞いていたが、遠くからでも林立している風車が見えたのには驚いた。
 画像からも風車の巨大さを想像して頂けると思う。
 コンパクトヂジカメなので不鮮明だが、精一杯の拡大をして撮ってみた。

    <全画像拡大可>

 朝食をとりながら あの風車を観に行こうと云う話になった。
 と云う訳で、次回は青山高原の風車をご紹介する。 

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2006年10月26日 (木)

≪フォト俳句(258)≫10/25 ⑦ 岡崎行(JR岡崎駅前・居酒屋)

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 月に一度、我が結社の東海支部句会出席の為に伊勢から近鉄特急にて名古屋まで、JR東海道線の快速に乗り換えて岡崎まで出掛ける道中記に6回に亘ってお付合い頂いてきたが、今回が最終回である。

 前回、句会場へ向うJR岡崎駅西口の閑静なたたずまいをご紹介したが、東口の側は打って変わって古くごたゞゝとした下町の風情があり乗降客の数も圧倒的に東口の方が多い。

 いつ頃からかは覚えていないが、随分以前より東側の駅前は再開発による区画整理が順次進められてきていた。 しかし今年に入って駅前通りの店々もばたゞゝと立ち退いて一気に更地になってしまったので、月に一度しか訪れる事のない私には驚きの景の変貌振りだった。


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 上左端の画像はまだかろうじて残っている駅前通りの店舗だ。 すぐ隣まで更地が迫っている。 来月訪れる時には恐らく消えてしまっているだろう。
 
 JR岡崎駅は東海道本線の主要駅にも拘らず岡崎市中央部からはかなり西南に位置していて 岡崎市の中心駅では無いようだ。 名鉄名古屋本線が岡崎市と名古屋間のアクセスの主らしい。
 とは言え、岡崎駅の東側は古くはかなり栄えた町並みであったようである。花柳界まで見られたそうだが今はその面影もなくなっていた。


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 句会を終えての帰路、岡崎駅を素通りして駅東側の路地奥にある居酒屋に夕食を兼ねて立ち寄る。 句友とご一緒の時もあれば一人の時もある。
 上画像4枚は9月の折に撮ったものだが、8月には建物のあった路地沿いが更地になってしまっていて岡崎駅が見える。

 あと3枚がいわゆる飲み屋マーケット。 どれだけの歴史があるのか知らないが、実に古い。 訪れる時間が夕方5時頃にて まだ明るいから猥雑さが余計に目立つ。
 11月にはここも取り壊しが始まると聞いていたので、思い出の為にと撮影し今回の題材とした次第である。

 上右の画像2枚が馴染みの居酒屋だ。 私が伊勢から訪れると云う事で何時もより早く5時頃には開店して待っていてくれる。 もう十数年になるだろうか。


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 私がこの居酒屋に顔を出す頃はまだ女将も仕込みを始めたばかりだから、取り合えず酒と簡単なつまみだけを出してもらい、話を交わしながら女将の仕込みやその他の準備を眺めている。

 上画像の右から2番目は夕焼けに染まる入り口。 
 同じく上画像の右端に写っているのは 「芋茎」 (ずいき)らしい。 里芋の茎であるが、こんな太い物なのかしらと初めて見る私には驚きだった。


            酒好きに酒の佳句なしどぜう鍋  秋元不死男         


 (泥鰌鍋は夏の季語で季節外れの句だが、面白く納得の句意なので掲句とした。)


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 先々月はこの居酒屋がまだ開いていなかった。 暫く待っても女将が出勤してこないので、横の路地奥にある別の居酒屋へ寄ってみた。 上の画像がその居酒屋だ。 馴染みの店よりも少し広い。 前にも3度程飲んだ事もある店である。

 女将は70歳代だろうか。 30歳代にこの居酒屋を始めて今年で40周年だそうだが、取り壊しの為に来月で店を閉じる。 もう十分働いたから丁度潮時ですと女将は笑っていた。 居合わせた常連客はこの店に通って私も40年近くですと随分と淋しそうだった。 女将にも常連客にも半生の半分以上の思い出が詰まった居酒屋だ。 感慨深いものがあるだろう。


             女将老い客も老いたる濁酒  暢一


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2006年7月 5日 (水)

≪フォト俳句(236)≫7/5 ④ てこね寿司 (内宮前 おはらい町)

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 引き続き伊勢志摩吟行会記の4回目である。 
 外宮参拝と勾玉池の花菖蒲を楽しんだ後、昼食の為に内宮前の「おはらい町」に行く。 
 「おはらい町」は参宮街道の終着点であり昔から土産物店や食事処が立ち並ぶ。
 近年 国の再開発事業の補助も得て江戸時代の佇まいをより強調したモールとしてとても賑わっている。
 おはらい町で一番有名なのは赤福本店だが、上の写真はその赤福本店横より五十鈴川に掛かる橋をおはらい町の裏手、五十鈴川の向こう岸から撮ったものだ。

            このたびは伊勢詣とて又も留守    高濱虚子

 「伊勢参」「伊勢参宮」等が春の季語となっているが、掲句の「伊勢詣」も恐らく同じ意味で春の季語として虚子は使用しているのであろう。 初詣の事ではない。

3img_4507 2img_4499 赤福本店より数軒内宮よりに「てこね寿司」で有名な「すし久」がある。 
 別に宣伝する意図は無いが、伊勢志摩吟行会初日の昼食は皆の要望でここと決めいる。
 
 「てこね寿司」は醤油で辛めに味付けした鰹の刺身と寿司飯を混ぜ合わせたものにて、もともと志摩の漁師達が船の上で捕れたての魚を捌いて寿司飯に混ぜ 手でこねた事に始まる。手でこねるから「てこね寿司」と云う訳である。
 地元では昔から馴染みの食べ方であるが、最近は観光客向けに伊勢志摩の随所で見られるようになった。

4img_4502 5img_4498 「すし久」の今の店舗は再開発事業の折に建てられた物であろうから 旧くはないと思うが、昔を偲ばせる中々趣のある建物の内外だ。 
 右画像で入り口土間の照明の上に燕が留まっているが、土間の鴨居等に燕が巣を幾つも作っている事でもこの店は知られている。

 お昼時は混むので13時半頃と予定を組んでいたので待つ事なく2階へ上がる事が出来た。
 艶々と拭き込まれた簟が涼しげだ。 窓からは裏手を流れる五十鈴川が一望出来る。 今の時期は川風を招き入れてクーラーはまだ必要でない。
 下画像の右から二枚目がてこね寿司セット。 千五百円也。 味噌汁もこの地方独特の濃い色をしている。
 足の不自由な会員の為に座椅子を用意してもらったところ、食べ易いようにと脚付きの膳台も用意してくれた。


             夏料理窓開けて呼ぶ川の風  暢一


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 食事を終えて五十鈴川を眺めつゝ橋を渡り駐車場へ戻る。 下画像左端の五十鈴川の奥が伊勢神宮の内宮。 写真に見える山は神路山である。
 五十鈴川は御裳濯川(みもすそがわ)とも呼ばれ、日本武尊の姉である倭姫命が裳裾を濯いだ故事からとも、昔々は内宮へは宇治橋が無く裳裾を濡らしながら五十鈴川を渡って参拝した事からとも言われている。

 また神路山は多くの歌人にも詠まれていて歴史的に有名な山だ。
 例えば

 西行法師
   神路山月さやかなる誓ひありて天が下をば照らすなりけり
   深く入りて神路のおくを尋ぬればまた上もなき峰の松風
   神路山岩ねのつつじ咲きにけり子らが真袖の色に触りつつ

 藤原定家
   照らすらん神路の山の朝日かげあまつ雲居をのどかなれとは

 後鳥羽院
   ながめばや神路の山に雲消えて夕べの空を出でむ月かげ

 本居宣長
   物いはば神路の山の神杉に過ぎし神代のことぞ問はまし
   神路山すぎぬるほどのしをりあればこれより奥は明日もふみ見ん
   深くとも奥も踏みみむ神路山杉のしづ枝をしをりにはして
   かみぢ山おく深くとも杉が枝のしをりしあらば踏みはまよはじ

 駐車場まで五十鈴川東岸を歩いていると、一人が桑の実を見つけた。 私は初めて見たので食べてみたが何か懐かしさを思わせるほろ苦い甘さだった。
 この事は三枚の画像で「日々身辺抄(6月29日)」で記事にした。
 また堤には金糸梅も咲いていたが、この花についてもやはり「日々身辺抄(6月25日)」で詳しく触れた。
 
 この後、内宮は広大なので参拝すると時間が掛かり過ぎる為に素通りして、車を伊勢志摩スカイラインに乗り入れ金剛證寺に向ったが、次回に譲りたいと思う。

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2006年4月21日 (金)

≪フォト俳句(218)≫4/22 ①高速船(津~中部国際空港)

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 20日更新予定が身辺多忙から今日になってしまった。 20日に更新しているだろうとご訪問頂いた方々には申し訳なくお詫び申し上げる。
 
 暫く我が家に滞在していた海外在住の人を中部国際空港迄送っていった。 21日早暁に我が家から津市まで車にて出立したが、久し振りに夜明けと日の出の光景を楽しむ事も出来て思わぬ余禄であった。
 中部国際空港は愛称をセントレアと言い、昨年の2005年2月に開港したばかりの人工島の新空港であるが、一年目から黒字を計上出来たと最近報じられていた。 トヨタから空港首脳を迎え入れた成果であるが、関西空港の経営の惨状からも判断出来るように地方空港としては稀有な業績ぶりだ。

 伊勢から見ると中部国際空港は伊勢湾の反対側に位置する事から、陸路で行くのには車であれば2時間半、鉄道であれば乗り継いで3時間は掛かる。 見出し画像の通りに津市のなぎさ町から空港島迄アクセスしている高速船を利用するのが一番便利なのだ。 交通費も1、890円と格安で済む。 但し高速船は小型なので乗船人員に限りがあり予約が必要だ。今回も電話で2名の予約を入れたが、既に3席しか残っておらず危ないところだった。

 高速船で空港島までの伊勢湾は結構波があり荒れていたが定刻通りに40分で着いた。
 搭乗手続きを済ませ空港4階の喫茶店で朝食を摂った。 メニューに朝粥があったので注文してみたが、写真下中のように普通の日本風の粥にラー油とお酢が添えられている。 ウエートレスに訊ねると、中国の人はラー油を、東南アジアのある国の人は酢を粥に入れて食するのでそれぞれを添えてあるとの事だった。 辛いのが好きな私はラー油を入れて食べてみたが美味しかった。 

          空港に居りて永き日終りけり   宮津昭彦

 スカイデッキから飛行機が飛び去る迄を見送ったが、20分出発時刻ながら遠霞に機影が消えていったのは既に40分を過ぎていた。 風の強いデッキはとても寒かった。 

          吾妹乗る飛機もう見えぬ霞かな  暢一
           
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2006年1月31日 (火)

≪フォト俳句(201)≫1/31 ⑦道の駅「茶倉」(飯南町)

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 前回よりの続きであるが、紀伊半島も奥に辿る美杉村迄の山深き国道368号線の道々の景は実に楽しい。
 伊勢市在住の私は車で十数分も宮川沿いを遡れば山里に出るが、しかし遥か遠くに高山の嶺々を幾重にも望むものゝそこはまだ伊勢平野の端の山並み低き穏やかな景である。
 その山々嶺々を越えて奥伊勢の美杉村へ走る国道368号線の途中にも「道の駅」が設けられており、一つに「茶倉駅」がある。
 飯南郡飯南町に位置するが、飯南は茶所として知られている土地である。
 昨年10/5の(№175)記事にても述べたように、三重県は全国屈指の茶生産地でもあるのだ。

 その道の駅「茶倉」に立ち寄った。山深き中に広がる小盆地を高みから望む景色はどこかしら郷愁を誘い心癒されるものがあった。

       山里は万歳遅し梅の花   松尾芭蕉   

 正月3日とてここにも門松の立つ入り口を入ると正面に掲げられた額縁が目に付いた。
 道の駅の登録証である。
 『登録証…茶倉駅…登録第24008号…上は平成5年2月23日付け道路局長通達による「道の駅」の登録を受けたことを証する…建設省道路局長 佐藤信彦<印>…平成10年4月17日』とある。
 国の音頭とりで全国の国道に生まれた「道の駅」を設けるのには、恐らく建設省(現在は国土交通省)から多額の補助金が支出されているのであろう。

       山里の小川光れる今朝の春  暢一


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2005年11月10日 (木)

≪フォト俳句(181)≫11/10 ②祖霊社(伊勢市内)

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 諸事多忙の故、11/5の記事を掲載出来なかった事をお詫び申し上げる。
 偖、前回の「祖霊社及び神葬祭」に関する話題の続きである。
 
 神葬は東京でも行われている事を著名人の葬儀等にて時折知る事が出来るから、伊勢独特のものではない。 私は富安風生先生の孫弟子であるが、先生のご葬儀も神葬であった。

 神葬に於ける作法は神前結婚式の折と基本的には同じと思っておけばよい。
 幣の付いた小さな榊を献じた上で2回深々と拝礼をした後、ゆっくり2回拍手、最後に一回拝礼をする。
 これを「二拝二拍手一拝」と云う。
 面白いと言っては不謹慎だが、通夜での拍手では空拍手と云って音を立てずに、拍手の動作だけする。
 本葬でも一般の参列する「斎殿」での「葬祭」ではまだ空拍手だ。
 葬祭の後「祖霊殿」に移り、故人と親交の厚かった人達と親族だけで「告別式」をまた空拍手で行う。
 引き続き「初祭」と云って御霊代を御本殿に鎮める祭を行うが、この時に初めて音を立てて拍手するのである。

 葬儀は神官の のりとの唱和と雅楽の演奏の元に進行する。
 写真に太鼓が見えるが、雅楽は笙(しょう) 篳篥(ひちりき) 太鼓によって演奏される。

       黄落や寮歌でおくる葬あり  大森藍 
 
 上掲載句の「葬」は「はふり」と読む。勿論葬儀の事である。俳句ではよく使われるが「葬り」と表記する俳人もいる。
 五十日祭参列の事から神葬祭の話題になったが、五十日祭のあと料亭に移動して参列親族達に秋の趣深い懐石料理が振舞われた。

      葬祭のあとを集へる栗ごはん  暢一

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     斎殿                 斎殿内
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     祖霊殿               祖霊殿内
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                  秋の懐石

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2005年3月 5日 (土)

≪フォト俳句(115)≫3/5 雛祭

 一昨日3月3日は桃の節句。 この時期に桃の花とはと感じるが、今年で云えば4月11日が旧暦の3月3日に当る事を考えると頷ける。地方ではまだ旧暦で行なう所もあるようだ。
 中国に於いて五節句の内の一つ3月3日に曲水の宴を催し桃の酒を飲む風習があった。それが伝わった日本では曲水宴からの行事として人形(ひとがた)で身体を撫で、けがれを移して川や海に流すようになった。
 始めは紙で人を模った物から、美しく着飾って雛遊びをする風習が起こり、室町時代に人形技術が発達した事で今の雛人形のスタイルが確立したようである。
 もっとも庶民の間でも雛を飾るようになったのは江戸時代に入ってからである。

 各地で雛流しの行事が行なわれているが、雛流しは雛祭から起こったのではなく、雛流しから雛祭が起こったと云う事になる。

          終夜潮騒雛は流され続けゐむ  松本明

 諸国で流した古雛は和歌山加太の淡島神社に参集するとの伝承がある。


          母と妹なに語りあふ雛の前  暢一


          20050303_ 20050213_1225_000 

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2005年2月15日 (火)

≪フォト俳句(111)≫2/15(№5)豊川稲荷・愛知県豊川市

 前回の豊川稲荷の続きである。
 稲荷と云えば 朱の鳥居社殿・狐の他に稲荷寿司を誰でもが思いうかべるであろう。
 稲荷寿司の由来は この豊川稲荷の門前町の店が、稲荷の狐に因んで油揚に寿司飯を詰め稲荷寿司と名付けて売り出したのが始まりと言われている。
 豊川稲荷が稲荷寿司発祥の地でもあるのである。
 今でも豊川稲荷門前の通りに創業100年を越す老舗「山彦」が元祖を名乗って「元祖いなほ稲荷寿司」を定番メニューとしている。

 稲荷寿司には狐の耳に見立てて三角形に仕上げた物と、米俵に模して仕上げた物がある。
 関西は三角形、関東は米俵形が主流のようであるが、元祖の稲荷寿司は耳がとがっていた。

        大阪はしぐれてゐたり稲荷ずし  北野平八

 東海道線にて名古屋駅から新快速で約50分の豊橋駅で飯田線に乗り換えて13分にて豊川稲荷駅に着く。
 豊橋駅は飯田線の始発駅である。
 豊橋と長野県辰野町を結ぶ全長約200kmの飯田線は単線にて、豊川 茶臼山 湯谷温泉 天竜峡 飯田 元善光寺 駒ヶ根 伊那 と魅力的な地を経由していく。
 一度はそれぞれを立ち寄りながら全線乗ってみたいものである。
 
 
         雪国へ行く単線の始発駅  暢一     
 

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