カテゴリー「g 志摩地方」の14件の記事

2006年8月31日 (木)

≪フォト俳句(247)≫8/31 ⑮ 阿曽浦漁港(南島)

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Bimg_3777 伊勢志摩吟行会記も15回目と長くなってしまったが、前回・前々回記事の南島大橋の景を堪能して更に先へ進み、小さな峠を越えると突然と云った感じで漁港に出た。
 最終目的地の 「阿曽浦漁港」 である。
 左画像がその峠からの出口だが、ここから急に下の数々の画像の景が広がる。 山と海が入り混じるリアス式海岸ならではであろう。

               石段を登り漁村の寺涼し   高浜虚子


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          3img_3763 4img_3755


4ximg_3769 阿曽浦漁港は下記の三つの港区からなる。
 ① 熊野灘の外洋に直接面して南西に開口する港区。
 ② 阿曽湾内にあって西北に開口する港区。
 ③ 狭い水路を通じて出入りする大池部の港区。

 地区人口は約1300人、漁船数は約600隻と以外に大きな規模だ。
 各種の魚類養殖が中核となっているが、中でも真珠養殖の経営規模が最も大きい。

 私達が峠を越えて出た漁港は②の阿曽湾内の港区である。 宜しければ前回記事の地図を参照して頂きたい。

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          7img_3770 8img_3773


Img_3779 上の左端画像のように、崖に張り付いた建物は海に突き出ていて珍しい光景だ。 対岸の建物も殆どが海に突き出ている。
 建物には小さな桟橋があり、直接漁船に乗り込めるようになっている。 中には人の住んでいそうな建物もあるが、殆どは作業小屋なのだろう。

 港の岸壁には釣竿を垂れている人達もいる。
 10年程前から解禁されていて、夏は石鯛の60cm級がよく釣れるそうだ。
 
 何時の間にか8月も末になってしまったが、訪れた時期は6月中旬である。 紫陽花がぽつんと咲いていた。

Haetorigusaimg_4826_1 Img_4828 その横の草叢にピンクの小さな花が咲き乱れている。
 句友に名を訊ねると蝿取り草と教えてくれた。
 確か食虫植物に同名のものがあったけれどと訝って帰宅後調べてみた。
 正確なこの画像の花の名は 「蝿取撫子」だった。 
 花の下の茎の一部が粘液を分泌し、小さな虫等が付着している事からの名と載っていた。 また食虫植物ではないとも。

 何時しか暮色の迫り出した漁港を後にして、山越えの奥伊勢を辿りつゝ一気に伊勢市内に戻り今回の伊勢志摩吟行会を楽しく無事終える事が出来た。


           山並の暮れても暮れぬ夏の海  暢一


                       <全画像拡大可>

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2006年8月25日 (金)

≪フォト俳句(246)≫8/25 ⑭ 阿曽浦大橋 (南島)

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 伊勢志摩吟行会の14回目である。
 前回記事で南島大橋の景観を楽しみ先に進んだ。 直ぐに少し短い次の橋が現れる。
 南島大橋は 「南島の親子橋」 とも呼ばれ長短二つの橋からなる。
 長い橋が前回記事の 「南島大橋」 。 
                 短い橋が 「阿曽浦大橋」 と名付けられている。
 
 
Aimg_3815 今回は短いほうの橋 「阿曽浦大橋」 の景観をご紹介したいと思う。
 阿曽浦大橋が短いと云う事は入り江の海峡の幅も狭いと云う事になる。
 右の画像を拡大してご覧頂きたい。 川と見紛うけれどこれでも海である。
 
 地図でもお判りのようにこの辺りは複雑に海岸線の入り込んだリアス式海岸である。
 リアス式海岸は沈降海岸とも言うが、志摩半島から南紀にかけての海岸は単純な沈降海岸でなく、隆起海食台と特に呼ばれて世界的にも珍しい複雑な地形と言われる。
 ある時は隆起して川が大地を削り、ある時は海面が上昇しておぼれ谷を造る。

 「リアス」はスペイン北西部のガルシア地方の入り江にその特徴が顕著である事から、スペイン語の入り江を意味する語を元に付けられたものだ。
 日本では他に三陸海岸、豊後水道、若狭湾、玄界灘などが知られている。

 このような陸地や海面の複雑な変化によって芸術的なこの地方独特の景観が造られたのであるが、この地形がまた真珠養殖や伊勢海老の成育に最適にて、志摩半島近辺の特産となっている所以なのだ。

              入海の更に入江の里の秋   松本たかし


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 阿曽浦大橋の下をやはり小さな漁船が午後にも拘らずひっきりなしに潜っていく。
 入り江内の阿曽浦漁港から漁船は目的場所によって南島大橋と阿曽浦大橋のどちらかの海峡を選んで航行していくようだ。


                海峡を夏鶯のこゑ渡る  暢一 


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2006年8月20日 (日)

≪フォト俳句(245)≫8/20 ⑬ 南島大橋

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Amapimage 伊勢志摩吟行会記の13回目である。
 「愛洲の里」 から国道260号線の海景色を楽しみながら快調に車を走らせて目的地の 「南島大橋」 に着いた。

 南島大橋までの今迄訪れた地を左の地図に印をしてみたが、近郊の人意外には馴染みの少ない土地が多かったと思う。
 有名とまではいかないが 「御座・浜島」 はまだ観光紹介されている。 しかし五ヶ所の 「愛洲の里」 や今回記事の 「南島大橋」 は観光とは全く無縁の感じにて、道中に観光客らしき姿や車は皆無だ。 勿論 観光バスなどは一台も見掛けなかった。
 

Bmk_map 朱も鮮やかな 「南島大橋」 は 「贄湾(ニエワン)」 内の複雑に入り込んだ入江を跨いで架かる。 
 左の地図を拡大の上 参照して頂きたい。 
 南島大橋を渡った先にある 「阿曽浦」 は海崖に面した立地から近年まで交通手段は船が主であった。 地図にも記されているように陸路はあったけれど険しい為に船の方がはるかに楽だったのだ。
 大橋が完成した事によって阿曽浦から国道260号線の通じる 「慥柄浦(タシカラウラ)」 へ車で10分も掛からずに出る事が可能になった。


 それにしても 「贄」 と云い 「慥柄」 と云い歴史を感じさせる難しい字の地名だ。
 それもそのはずにて、南島地方は伊勢神宮の古実を記した古書に登場し伊勢神宮創始に関わる土地なのだ。

 要約すると
 垂仁天皇の皇女である 「倭姫命」 が天照大御神の鎮座する神宮を創始する為の地を探索していた折にこれらの土地を通り、野見坂より山を越え渡会に出て その地の神主に霊域の示唆を受けた事により、伊勢は宇治の地に神宮を建立したのが伊勢神宮の創始である。
 
 西暦元年の頃の話であるから、南島大橋のこの近辺の地名は神話の世界に登場する事になる。

 くしくも我々吟行会一行がこの後 伊勢に戻ったルートは倭姫命が辿った道と同じであった。
 但し今、野見坂には立派な長短二つのトンネルが出来て伊勢までの交通の便が良くなったが、これも近年の事である。
 それまで南島地方の人々は倭姫命が越えたと同じ峻険な峠越えの道を通って伊勢まで出て来ていた。

 また「日本武尊」 が東国征伐の途中伊勢の伯母を訪ね草薙剣と火打石を授かりそのお蔭で東国で命拾いをしたと云う古事記で一番親しまれている話があるが、その伊勢の伯母とは倭姫命の事だ。


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 南島大橋のたもとに地蔵尊が安置されている。
 橋の建設の折に事故などで犠牲になった方々の慰霊なのだろうかと思ったが、地蔵尊自体はかなり古そうなので、橋の建設場所辺りに元々祀られていたものかもしれない。
 都合3度訪れたが何時も清々しく清掃されていた。


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 南島大橋を渡ったすぐの所に広い駐車スペースがあるが、そこに車を停め歩いて大橋を渡ってみる。
 橋から右側を見ると贄湾と外洋への口が望まれる。
 左側は阿曽浦の裏湾にてまた違った景観だ。 
 裏湾から一隻の小さな漁船が現れて橋を潜って贄湾に出て行った。


              夕凪や入江に舟の舫ひせる   田中冬二


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 漁船につられて贄湾の方を眺めていると、今度は贄湾からまた漁船が近づいて来る。


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5ximg_4818 何か四角い物を押しながら橋を潜って行ったので、何だろうと欄干から身を乗り出して覗いてみる。
 四角い物の中にはぎっしりと紅い魚が犇いていた。 赤鯛だろうか。
 養殖の生簀らしい。 このように移動が簡単な小さな生簀があるのだなと思って見ていたが、水揚げする為に阿曽浦漁港まで運ぶ為の物かもしれない。

 随所に見える筏は勿論 真珠の養殖筏である。


             夕凪の入江に真珠育ちけり  暢一


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2006年8月15日 (火)

≪フォト俳句(244)≫8/15 ⑫ 南勢・南島の海

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 伊勢志摩吟行会記も12回目と続いているがもう少しお付き合い頂きたい。
 南勢町五ヶ所の 「愛洲の里」 では東屋で昼食を摂り、野点ならぬ野句会を開いてゆっくりと時間を使った後、次の目的地に向った。

 次の目的地は南勢町から海沿いに更に西へ辿る隣の町、南島町にある 「南島大橋」 だ。
 複雑に入り組んだ 「贄湾」 内に掛かる朱色の南島大橋は大小二つあり、南島の親子橋とも呼ばれている。
 この二つの橋から望む景観はそれぞれ素晴らしい。

 今回は南島大橋に到る道沿いの海景色を下の画像でご紹介し、次回には南島大橋とそれを渡って行く阿曽浦漁港をご紹介したいと思う。


            万緑の端の迫り出す熊野灘  暢一


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 南島大橋への道は海を望む山道だ。 6月中旬らしく卯の花が咲いていた。
 足元を見ると、真っ赤な蛇苺も。


         押しあうて又卯の花の咲きこぼれ  正岡子規


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.
16img_3705 この南島大橋手前に咲いていた卯の花については 「日々身辺抄」 の 「6月10日(土曜日)」 でも記事にしたので宜しければご覧頂きたい。


            <全画像拡大可>

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2006年8月10日 (木)

≪フォト俳句(243)≫8/10 ⑪ 愛洲の里 2(南勢町五ヶ所)

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 伊勢志摩吟行会記が続いているが、今回も前回と同じく 「愛洲の里」 をもう少し取り上げてみる。
 愛洲の里は愛洲一族の居城であった五ヶ所城の小山を中心にして整備された公園だ。

 今回は城山にまで登る事は出来なかったが、
 蜜柑畑の道を登ると竹林と雑木に囲まれた城址に出る。
 北と西は五ヶ所川から急な崖となっており、南と東にはL字型に続く二重の堀と土塁に囲まれた堅固な山城であり、中世の城としては詰の丸と居館の跡が残っている貴重な遺跡。
 と 「三遠伊勢・地域資源ナビゲータ」 のサイトで説明されていた。

 五ヶ所は三重県でも有名な蜜柑の産地にて山の斜面のそここゝに蜜柑畑がみられる。


1img_3929 愛洲一族は南北朝時代以前からの豪族にて、南朝方としてそれなりの活躍をしたらしい。 
 15世紀に北畠家の守護職を得て伊勢神宮のお膝元の大湊や山田(現伊勢市の中心市街地)にも進出して伊勢守護となり広く南伊勢一帯を勢力圏とした事もあったが、戦国時代 織田家に乗っ取られた北畠家によって滅ぼされてしまった。

 また五ヶ所は伊勢神宮と熊野を結ぶ海の交通の要所でもあり、愛洲氏は強力な水軍を擁してここに関所を設け通行銭を徴収していた。
 愛洲水軍は熊野水軍である と書いているものが愛洲関係のサイトでは多かった。 
 しかし歴史上、熊野水軍は九鬼一族が代表する水軍として有名だ。 愛洲水軍は九鬼氏を相手に戦っていた と記述しているサイトもあったから、恐らく熊野水軍とは南紀一帯に数あった水軍の総称にて、水軍同士は常に争っていたのであろう。


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          6img_3951 7img_3954

 公園の奥へ水の澄んだ小川沿いに城山の麓を辿っていくと、突然水車小屋が現れた。
 意味も無く唐突な感じがしたが、覗いてみると実際に稼動していた水車を移築したものらしく珍しかった。

         崩れたる水車の跡や河鹿鳴く   寺田寅彦

11img_3974 10img_3970小さな祠があり脇に以下のような説明碑が建っている。

 『石切之祠。 
 往古前田の灌漑用水工事のとき、ここに到り大岩石に当り術を失い只菅神に祈りをささげた。 
 一夜明けて農民の願いは叶い、不思議にも岩は割れて通水することが出来ました。
 これを奇縁として祀られたのがこの水神さんと伝えられています』


9img_3969 その横には 「牛鬼」の像。
 この愛洲の牛鬼については
 面白い昔話のサイト 『むかしばなし牛鬼』 に詳しい。
 興味のある方はご覧頂きたい。

      牛鬼の像が牙剥く木下闇  暢一


 「牛鬼」 と云う怪獣の伝説は全国各地にある。
 特に宇和島の牛鬼は市を上げての 「牛鬼まつり」 として知られている。
 これについては 『牛鬼の歴史と仕組み【宇和島市観光協会】』のサイトが詳しい。

 面白い事に 牛鬼の実物と称して角が伝わっている寺もある。 
 四国霊場第八十二番、高松の根香寺だ。
 同じく昔より伝わる牛鬼の姿図と共に根香寺の 『牛鬼伝説』 サイトで角の写真を大きくご覧頂ける。

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2006年8月 5日 (土)

≪フォト俳句(242)≫8/5 ⑩ 愛洲の里 1(南勢町五ヶ所)

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 伊勢志摩吟行会記も10回目となった。
 浜島漁港から海沿いを走る事の多い国道を、英虞湾の西側に位置する五ヶ所湾へと辿る。

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 南勢町の中心である五ヶ所の町から川沿いに少し山手の方へ入ると 「愛洲の里」 がある。
 左画像は愛洲の里に入る短い橋から撮影したものだが、背景の山は 「五ヶ所富士」 と呼ばれていて、山頂に鳥居の建っているのが望める。
 離れた麓からでもはっきりと見えるのだから、随分と大きな鳥居に違いない。
 
  「愛洲の里」 は南北朝から戦国時代にかけて栄えた豪族 愛洲一族の居城であった五ケ所城跡を整備した公園だ。
 剣祖 「愛洲移香斎」 (あいすいこうさい)の生涯や町の伝統芸能などを紹介した「愛洲の館」 「五ケ所城跡」 「古井戸」 「牛鬼の像」 などがある。

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 下見で訪れた時には川沿いに調子よく車を走らせていて うっかりと通り過ぎってしまった。
 広々とした公園を想像していたからだが、意外にこじんまりとしている。
 駐車場に車を乗り入れると花菖蒲や紫陽花その他の花が我々を迎えてくれた。


             紫陽花や白よりいでし浅みどり  渡辺水巴  


 まず 「愛洲の館」 に入館してみる。
  
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          7img_4771 6img_3987

 煉瓦と白壁造りの建物は中々趣きがある。
 躑躅がとても印象的だった。
 入館料一人250円也を事務所の窓口で支払って上がると、正面に剣豪の像が睨んでいる。

 剣祖 「愛洲移香斎」だ。
 この五ヶ所城主であった愛洲一族の一人として生まれた愛洲移香斎は剣祖と呼ばれているが、
 
 『 移香斎の生きていた戦国時代、戦い方が騎馬戦から歩兵戦に変わろうとしていた時代、まだ力任せに刀を振り下ろす扱い方が主流であった時代に、剣士の心の動きをも重視して技と表裏一体のものとしてとらえ、体系化したことは画期的なことであったし、その後受け継がれた剣法の中で人を生かす剣として花咲いたことをみるとき、その歴史的意義は大きいと言わざるを得ない 』 
とあるサイトで解説している。
 
 修行の為に全国を巡り、初めて剣法を編み出した武士であったらしい。
 
 彼はその流儀を「影流」と称した。
 有名な「柳生新影流」は愛洲移香斎の「影流」が発展したものである事からも、彼が剣祖と崇められる所以は理解出来る。 

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          10img_4754 11img_4755

 上の右端の画像は御木本幸吉が真珠養殖の会社を興した折の建物に使用されていた鬼瓦との添え書きがしてある。
 真珠の「珠」 の字をデザインした特注品だ。
 
12img_4758  私達は展示館を見学した後、公園内を散策し、東屋でお弁当を頂き、その場で野外句会まで行なったから、かなり長時間に亘って愛洲の里に居た事になるが、その間 我々以外に誰も訪れる人は見掛けなかった。
 私が下見で訪れた折も同じであったから、入館料で維持費を賄うなんて事は不可能な施設だろう。

 但し 館には立派な剣道道場が併設されていて、大会が開かれたり地元剣士達の修行の場になっているようだ。


             短冊を押さへ句会や若葉風  暢一
 

                         <全画像拡大可> 

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2006年7月31日 (月)

≪フォト俳句(241)≫7/31 ⑨ 浜島漁港 (志摩市)

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 伊勢志摩吟行会記も9回目となったが、もう暫くお付合い頂きたい。
 今回の目的地は「浜島漁港」。

2mapimage 御座の潮仏を拝んだ後、旅館に戻り 御座の見所をご案内して頂いた旅館のご主人はじめ皆さんにお礼を申し上げて、次の目的地である 「浜島漁港」 に向った。

 浜島漁港は英虞湾南岸の西端に位置する御座から湾をぐるっと一周した反対側の北岸西端の岬に位置する。
 前回記事の潮仏の遠景に写っている山々が浜島辺りだ。


4img_4744 3img_4738 浜島町内に入ると所々に巨大な伊勢海老の看板やモニュメントが建っている。
 浜島漁港は伊勢海老水揚げの中心をなす漁港として有名なのだ。 この6月3日に 「伊勢えび祭」 が催されたばかりである。 
 
 漁港にある 「三重県水産技術センター」 では伊勢海老の研究が盛んに行われており、同センターは昭和63年に世界で初めて伊勢海老の人工孵化飼育に成功している。

5img_4742 6img_4741 また熊野灘にも面しており、かっては遠洋漁業の全国に名だたる水揚げ量を誇った時代もあったそうだが、今は衰退してしまった。

 浜島漁港は広い。 長い岬の堤防に沿って小さな漁船が延々と繋留されていた。 堤防に干し並べられた網は中々カラフルにて、漁村らしい光景を演出してくれている。

 堤防から海辺に下りてみると、そこには貝がびっしりと張り付いていた。
 牡蠣だ。 志摩地方は牡蠣の養殖でも全国屈指の規模だが、養殖から零れた牡蠣が繁殖しているのだろうか。 盛んに潮を噴き上げていた。


           岸壁の牡蠣が吐きをる夏の潮  暢一


 ここで皆には自由に行動してもらう事にした。 句帳片手に海を眺める人、漁船や引き揚げ用の機械を珍しそうに覗き込む人、網に触っている人、と思い思いに暫しの時間を楽しんだ。


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 漁港を後にして、岬の反対側の海沿いの道を次の目的地に向って走る。
 堤防にはやはり延々と網が干されていた。
 上の画像で英虞湾越しの遠景に見えるのは、出発地の御座だ。

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 少し突き出た小さな岬を過ぎた辺りに来ると熊野灘の外洋が広がる景となる。
 その岬に建つホテル(上画像の左)の見える場所で車を停める。
 会員の何人かが直ぐに気付いた。 17年前、我々の師と主要同人を東京よりお招きして吟行会を催した折に宿泊した思い出のホテルなのだ。

 尚、冒頭の夕焼けの写真は、下見で訪れた際に同じ場所から反対方向を撮影したものだ。

              岬で二分け夏の海夏の海   山口誓子


13img_2933 14img_2938 次は英虞湾とは半島を隔てた西側に位置する五箇所湾に出て、五箇所町の「愛洲の里」に行く予定である。 
 沿海が多いこの道は絶景を楽しみつゝ走る事が出来る。 一部の景観を左画像でご紹介して後は次回に譲る事にする。

15img_2942 16img_2944 
 道中の至る所に 「金鶏菊」(キンケイギク)が咲いていた。 
 国道際の崖一面に咲いているものも見掛けたが、種を撒いているのだろうか。

                      <全画像拡大可>

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2006年7月25日 (火)

≪フォト俳句(240)≫7/25 ⑧ 御座 潮仏 (志摩市)

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 伊勢志摩吟行会も8回目の記事となった。
 前回記事の爪切不動尊を後にして、旅館のご主人に 「御座漁港」 の近くにある 「潮仏」へと案内してもらった。

 英虞湾のリアス式の入り組んだ入江は最高の伊勢海老が育つと言われており、御座漁港では秋から春にかけて夕方から朝の間に伊勢海老漁が行われる。昼間は岩礁に潜み、夜になると動き出す習性があるからだとか。

3img_4678 2img_4681 御座漁港の片隅に歌碑が建っていた。
 木俣修 の潮仏を詠んだ歌だ。

     志摩の津に
      海女が悲願に生れまして
        潮のもなかにいますみほとけ

 碑の裏には
 「昭和二十八年夏この地に遊びたる木俣修、この潮のもなかのみほとけを潮佛と呼びてなしたる歌一首をここに刻む  昭和四十五年九月  形成三重支部 御座漁業共同組合」 と書かれていた。
 左画像のもう一つの白い石の歌碑は潮仏の所に建っていたが、はっきりとは全文を読み取れなかった。

 「木俣修」 の略伝を.思文閣美術人名辞典で調べてみた。
 歌人。 滋賀県生。 名は修二。 北原白秋の門。 戦後、雑誌 『八雲』 『短歌主潮』 を編集して戦後歌壇の新気運育成に努めた。 『形成』 を主宰。 昭和・実践女子大教授。 昭和58年(1983)歿、76才。
 彦根藩の城代家老の末裔だそうで、彦根城近くの市立図書館前庭にも歌碑がある。

      城の町かすかに鳰のこゑはしてゆきのひと夜の朝明けんとす


 御座漁港の隅から鳥居を潜り崖沿いの海岸を行くとすぐに潮仏がある。
 下の2枚の画像が潮仏だ。 
 一昨年に訪れた時がそうだったが、満潮になると海中に没する。
 
 昔、村人の夢枕に仏様が立たれ
 「腰から下の病気を皆に代わり洗い流すために海の中にいるので決して高いところに移すことのないように」 と言われたとの伝承のように、婦人病・子宝にご利益があると海女達の信仰厚い潮仏である。

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          6img_4668 7img_4671

 潮仏は俳人の間では全国的に有名だ。 多くの著名俳人も句に詠んでいる。

              水無月の青波かぶる潮仏  加藤三七子

 他にも少し挙げてみる。

        顔磨滅せし潮仏海女拝む  山口誓子
        船虫もここに集まる潮仏   右城暮石         
        漂泊や北風の波退く潮仏  石原八束

 折りしも老女が椅子に座って憩っておられた。 海女を引退された方にて
 右の仏像をご本尊と思うだろうが、そうではなく左端の岩がご本尊ですよと教えてくれた。


               緑蔭に老海女憩ふ潮仏  暢一


 今回は続いて 「浜島」 も取り上げようと思っていたが次回に譲りたいと思う。

                       <全画像拡大可>

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2006年7月20日 (木)

≪フォト俳句(239)≫7/20 ⑦ 爪切不動尊 (志摩市御座)

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 伊勢志摩吟行会記も7回目となったが、これから二日目に巡った土地を題材に もう少し進めていきたいと思う。 お付合い頂きたい。

 朝食の後、旅館のご主人が車で御座をご案内しましょうかと申し出てくれた。 
 まず連れて行って頂いたのが 「爪切不動尊」 。

Img_4690 ここは吟行会計画の折に目を付けていたのだが、地図で判断すると金比羅山の実に狭い道をくねくねと登って行かなくてはならないようなので諦めていた所だったから嬉しかった。
 実際に宿の車で連れっていって頂くと想像以上の狭さにて辿道のようだ。

 駐車場とも言えぬ空地に車を停めて、途中にぽつんぽつんと建っているお堂に寄りつゝ「爪切不動尊」 に向う。

Img_4687 Img_4696 道すがらに大きな 「梅雨茸」 が見られ、皆で取り囲む。 俳人はこんな物でも興味津々なのだ。
 「梅雨茸」 は梅雨の頃に生える様々な茸を総称して言うが、俳句以外ではあまり使用しない言葉かもしれない。

 サルスベリのようにつるゝゝとした木が珍しい。 近づいて見ると根元に樹皮が散乱している。 
 幹に 「バクチノキ」との札が添えてあり、樹皮が剥がれる様から 博打で身ぐるみ剥がされる事になぞらえたのかしらと皆で笑いあった。
 図鑑を調べると 「博打の木」 と書き、想像した通りだった。 
 暖地の主に沿海地に生える常緑高木。 葉からバクチ水というのが採取され,咳止め,鎮静剤として使われると載っていた。 

           梅雨きのこ大耳なして聞くは何  角川源義


Img_4692 Img_4694 「爪切不動尊」 の如何にも古びた大鳥居より急勾配の階段を下りると茶屋を兼ねた建物に入る。 御札その他も売っていた。 
 辺地の山中の不動尊だが想像を越える大きな規模の不動尊だった。
 それもそのはずで、日本三大不動尊の一つに数えられている。

 爪切不動尊は 延暦年間(782~806)の頃に弘法大師が自然石に不動明王像を爪で刻んで、爪切不動尊と称し建立したとされており、その不動尊は秘仏としてご開帳された事がないそうだ。


Img_4705 Img_4709 旅館のご主人に由緒や言い伝えなどを説明して頂く。 
 曰く、右画像の梵字石は室町時代のものと言われているが、一石一仏を表し二十五石ある。
 大師堂裏に 「撫で石」 があり地元民は誰もが年越し参りをして 「撫で石」 に触り祈願する事を慣わしとしている。 (実際に触ってみたが、実につるつると磨耗していた。 何百年いや、もしかしたら一千年以上の掌による磨耗なのかもしれないのだ)
 それから、弘法大師が法力で畑を荒らすモグラを封じ込めたので、今でも御座にモグラはいない…等々と面白かった。


Img_4710 Img_4712 また 涼しげに滴る岩場にもご案内頂く。
 この滴りの由来も説明して頂いたが、忘れてしまった。 
 兎に角 膝痛を治してくれるご利益があると言うので、早速 小さな柄杓に滴りを受けて膝を濡らしている会員もいたが、宿のご主人に 「先ず合掌をして居住地・氏名を名乗り 願い事を唱えてからお祈りしつゝ霊水を受けなさい」 と叱られていた。 
 私はこのような事をあまり好まないので見ているだけだったが、叱られて神妙にやり直している会員諸氏を見ていて笑いを堪えるのに苦労した。


             滴りに賽銭箱の置かれあり  暢一


  爪切不動尊はうっそうとした森の谷間に、本堂・大師堂・薬師堂・籠堂・霊符堂等々が配置され、荘厳な雰囲気が漂っている。
 朝にも拘らず薄暗い為に画像が少し不鮮明になってしまった。

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Img_4725 それぞれのお堂を巡り終え、左画像の階段を下りて茶屋前に少し広がる境内に戻る。 
 茶屋では足の少し不自由な会員がお茶を頂きながら待っている。 急な谷間に点在するお堂を巡るのは無理なのだ。

 私達もお茶を頂きながら一休みする。 灰皿のあるのが有り難い。 
 漁民信仰の厚い爪切不動尊らしく大漁祈願のお守りが各種並べられているので一つ買った。 ま~商売繁盛にも通じるだろうと…。

Img_4733 茶屋の柱の俳句が目に留まる。 地元の俳人だろうか。

     花の雨不動に暗き燭の揺れ  小川栄子


Img_4732 一服の後、旅館のご主人が次は 「御座の潮仏」 にご案内しますと仰る。
 「潮仏」 は俳人の間で全国的に有名なのだ。 
 この吟行会でも一昨年に一度訪れてはいるのだが、折角のご好意なので その事は言わずにご案内して頂く事にして急な階段を登り爪切不動尊を後にした。

 次回はこの 「御座の潮仏」 と 「浜島漁港」 へ話題を進めていきたいと思っている。

                      <全画像拡大可>

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2006年7月15日 (土)

≪フォト俳句(238)≫7/15 ⑥ 奥志摩

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 引き続き伊勢志摩吟行会記の6回目である。
 金剛證寺を拝観の後、朝熊山々頂の展望台で少しだけ車を停めて展望を楽しみ鳥羽方面へとスカイラインを下りた。
 くねくねと曲る山道は時に左に時に右に海が見えて楽しい。
 
 鳥羽から賢島の横を素通りして船越浜の景を楽しみ 和具の半島の先端に当たる御座岬に向った。

Bmapimage1 冒頭の画像は賢島からの英虞湾の景観だ。
 左の地図でもお分かりのように、この辺りは世界的にも珍しいリアス式海岸が複雑に入り組んだ独特の景観が見られる。
 
 下の4枚の画像は半島への入り口付近に当たる 「船越浜」。 
 10台程の駐車場もあり 「船越前浜小公園」 の標識が出ている。 岸壁に石段が設けられていて砂浜に下りる事も出来る。
 ここは賢島の複雑な内海の景から一転して、太平洋の大海原の景が楽しめる。 
 また海女舟が幾艘も見られる事でも知られているが、当日その姿は無く皆残念がっていた。 午前中でないと無理なようだ。

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          3img_4560 4img_4561

 
 船越浜から半島の先端まで走り 「御座」 へ行く。 
 御座にはその名の通り白砂の綺麗な 「白浜海岸」 があるが、その海岸前の旅館に宿泊する為である。
 この旅館と白浜海岸については 「日々身辺抄(6/15)」 でも触れたので宜しければご覧頂きたい。

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 翌朝 朝食前に白浜海岸に出てみる。 
 途中の空地に 「待宵草」 が咲いていた。 
 竹久夢二作詞の 「宵待草」
 ‘待てど暮らせど 来ぬ人を 宵待草の やるせなさ’
はこの 「待宵草」 の事を指す。 夢二が間違えたのか知っていて宵待草としたのかは不明。
 右の画像でも分かるように、朝になってしぼんだ花が赤っぽく変色するという特徴がある。

 白浜海岸は遠浅で東海地方随一の水質を誇り、日本の88選に選ばれた海水浴場でもある。
 シーズン前なのでまだ海水浴場としての準備は整っていないようだ。 浜に下りる階段は砂に埋もれていた。
 白浜海岸は私の若い頃 海水浴場の施設など無く 観光とも無縁の自然のみの海岸だったが、伊勢志摩地方では昔から海水も砂もとても綺麗な海岸として名は知られていた。
 名の通り実にさらゝゝとした綺麗な白い砂は貝殻によって出来た砂だからだ。


             梅天の海を覗けば深みどり  暢一


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 浜辺らしく 「浜昼顔」 が咲き、 「海桐」 (トベラ)が青い実を結びだしていた。
 「浜昼顔」 は 「昼顔」 の花とそっくりで見分けが付かないが、葉の細い昼顔と違い葉が丸いので判る。 名の通り海岸に生息する。

 「海桐」 も海岸に生える植物だ。 
 5月に白い花を咲かせた後に下の画像の様に実が生るが、秋になってこの青い実が黄色くなりそして弾けて中から真っ赤な実が現れる。 
 この 「海桐の実」 は俳人好みの題にて盛んに詠まれているが、秋の季語である。


                磯日和はじけて赤き海桐の実   渡辺和子            


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 尚、御座白浜海岸へは8月中旬に再訪する機会があり、海水浴の景や浜木綿の花など盛夏の様子を下記日付にて取り上げた。 宜しければご覧頂きたい。

      「日々身辺抄」 8月18日8月19日8月21日8月23日8月24日

                           <全画像拡大可>

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