カテゴリー「e 伊勢近郊名所」の13件の記事

2009年4月 7日 (火)

≪フォト俳句(292)≫4/6 伊勢の桜巡り 

 ここ数日暖かい日が続きます。 今日と言っても零時を過ぎ日付が変ってしまいましたが、現在の室温計は17.1℃を指していて春本番もようやく定まった感じです。
 昨日の日曜日は各地共に満開の桜で賑わったようですね。

 私も伊勢のあちらこちらのを見てきました。
 名所として評判の桜、地元の人しか知らない無名の桜、と様々ですが巡った順番に9ヶ所のご紹介をしてみます。
 どうぞ画像クリックで拡大してご覧下さい。

 ① 中島小学校 (伊勢市内)

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                                           <全画像拡大可>

 伊勢市街の西方に位置する中島小学校
 校庭の二辺を桜が彩っています。
 古い歴史を持つ小学校ですので桜の樹齢も古そうです。
 曇り空だったので鮮やかな画像とまではいかなかったのが残念。

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 中島小学校近くのお宅に咲いていた桜。
 色の濃さから見て染井吉野ではありませんね。
 この辺りから桜の名所である宮川堤までは歩いて5分ほどの近くです。

        堤までゆく町中も桜さくら  暢一


 ② 日本たばこ産業(株)伊勢(営)

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 ≪‘のぶ`のフォト俳句≫~from伊勢 【 日々身辺抄 】のほうで3月30日にご紹介した日本たばこ産業(株)伊勢(営)の桜です。4日後ですが満開となっていました。
 宜しければ下記をクリックの上でご参照下さい。
            ↓
  ‘町中の桜 (伊勢市 日本たばこ産業㈱)’


 ③ 宮川堤 (伊勢市内)

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 伊勢市西方を流れる一級河川宮川の堤の桜。
 宮川堤日本桜100選の一つに挙げられている桜の名所です。
 昔は宮川に橋が無く、三ヶ所の渡しから舟で伊勢の町中へと渡り伊勢神宮へお参りしたのです。 その三ヶ所の渡しの一つがこの辺りにあり、桜の渡しと呼ばれていましたから桜の名所としての歴史の古さが偲ばれます。


 ④ 宮リバー (伊勢市郊外)

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 宮川の桜堤は伊勢市街西端に位置しますが、そこから宮川を上流へ車で15分ほど辿ると度会町営の公園 宮リバーがあります。
 プール、テニスコート、広場や遊園地、家庭菜園等々があり結構広い公園ですが、宮川に沿った桜並木の遊歩道が桜の名所として伊勢地方では知られるようになってきました。


 ⑤ 南中村公民館 (度会郡度会町)

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 宮リバーの少し上流より宮川の支流である一之瀬川沿いの道を20分ほど南下した所の南中村公民館に咲く桜。
 昔は一之瀬村と云いましたが、少し縁があって幼少の頃から時々訪れた所です。 最近はご無沙汰をしていましたが、この桜の古木を思い出し足をのばして寄ってみました。 

 この道は伊勢南島線と呼ばれて、伊勢神宮外宮から熊野灘に面する南島町までの道を言いますが、この南中村からは南島の海岸まで10分ほどの距離です。
 また古代に倭姫命が神宮を伊勢に創建するにあたって佳き地を探索する折に辿った歴史的な山間の古道でもあります。


 ⑥ やすらぎ公園 (伊勢市内)

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 伊勢神宮外宮の裏手に位置する小山の上にあるやすらぎ公園の桜。 
 プールもある公園ですが、伊勢市営の墓苑が主となっています。
 その為か素晴らしい桜の園であるにも拘らず また日曜日にも拘らず人気無くひっそりと静まり返っていました。
 昔はもっと桜見物の人出が見られたように思うのですが、今は穴場になってしまったようです。

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 ⑦ 五十鈴公園 (伊勢神宮内宮近辺)

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 伊勢神宮内宮の近くにある五十鈴公園。 
 三重県立陸上競技場もあり、様々な全国大会が開催されたりしますが、伊勢市民のよき憩いの場です。
 見るべき桜はありませんが それなりにそここゝに咲いて楽しませてくれます。


 ⑧ 五十鈴川 (伊勢神宮内宮)

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 五十鈴公園の帰路の橋から伊勢神宮内宮の方向に向かって撮影した五十鈴川
 右側が伊勢神宮鳥居前町として有名なおはらい町通り裏手の川畔です。
 赤信号の時に車の中から撮影しましたので見辛くなってしまいましたが…。


 ⑨ 宮町駅 (伊勢市内)

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 近畿日本鉄道宮町駅前に咲く桜。 
 宮町駅は伊勢市駅の一つ手前の駅にて各駅停車しか止まりません。
 かなりの古木です。 我が家から近い事もあって毎年咲くのを楽しみにしています。
 夕方近くでしたので、夕日に染まった桜の画像となりました。


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 食事をしての帰宅時の撮影です。
 桜見物の途中から徐々に晴れだした空は雲一つ無く晴れ渡って茜空の夕暮となりました。
 飛行雲が見えますが、伊勢市上空は中部国際空港(セントレア)への航路になっているようです。


 地図に訪れた場所の番号を記してみました。 宜しければ画像拡大の上 ご参照下さい。

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                      <全画像拡大可>

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2005年11月15日 (火)

≪フォト俳句(182)≫11/15 芒・米山新田(伊勢市郊外)

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 伊勢市郊外円座町の宮川東岸と山並みの間にさほど広くはないが田園地帯が広がる。
 ここは江戸時代に開墾され「米山新田」と呼ぶ。(№112)にて少し触れた事がある。
 
 米山新田の名は開墾に心血を注いだ当時の円座組大庄屋の米山家から付いたものである。
 この時代の円座町は(№155)で題材に採り上げた紀州藩の領地であったが、大庄屋米山家四世が高台の為に水利の悪い荒地であったこの一帯を紀州藩の援助を得つつも家財を投げ打って水路を開き開墾した。元禄2年(1689)から9年の事だ。

 それから140年を経ていつしか荒廃してしまった水路を、文政12年(1829)米山家九世の代に更に延長した上で再興し、現在に至っている。
 しかし米山家九世宗持はその事業による借金返済の責を負って天保10年(1840)に自刃すると言う悲劇もあった。
 米山家が借金を完済出来たのは明治期であったらしい。

 どのような土地にも興味深くまた地元民にとって掛け替えのない歴史があるものである。
 一本の桜の樹が立つ記念碑は何時も綺麗に清掃されている。
 
    日を伊勢にかたぶけにけり花芒    飴山實  

 10月に訪れた折の畦の曼珠沙華も姿を消し、主役交代の芒が風にそよいでいた。

       山里に無名の故事や花芒  暢一

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2005年7月28日 (木)

≪フォト俳句(159)≫7/28 ⑤ 田丸城址

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 古代蓮の咲く西光寺は田丸城の濠端に建つが、その濠は今も外濠内濠が残り満々と水を湛えて町中を流れ田丸を特徴付けている。
 田丸城址には昔の建築物がかろうじて二つ遺っている。
 一つが「富士見門」。田丸城は明治維新によって廃城となったが、当時城内には八つの門があった。その内の富士見門のみが遺っている。江戸中期のものにて当時の原型を留める現存する唯一の建造物だそうだ。
 もう一つは「奥書院」。田丸城の城内三の丸に建てられていた御殿の一部と言われる。

 田丸城の向かい側の小山には「田丸神社」がある。明治14年の神社合併令で様々な社が集められて出来た神社にて、境内の石灯篭や鳥居も色々な所から持ち寄られた。
 田丸城が築城される以前か以後かは分からないがここには「元神社」と云う社がもとゝゝあったらしい。「元神社」の名の神社は各地でも散見されるから由緒のある神社なのだろう。

 どの地にも郷土が誇る全国的に著名な名士が存在するものだが、田丸では「村山龍平」である。
 名はご存知ないかも知れないが朝日新聞の創設者である。
 田丸名誉町民第一号として立派な記念館が設立されている。

    山負へる城下の町の残暑かな   田中冬二

 古代蓮記事の流れにての鄙びた町の紹介であるが、伊勢神宮関係以外は余り歴史物語に登場しない伊勢地方の片隅にも歴史の本流に密接に係わってきた史実があった事を知って頂ければと思う。


      城垣に城なき樟の茂りかな  暢一


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   濠と西光寺        濠の蓮葉        濠と城山
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  濠と玉城町役場      田丸神社          〃
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    富士見門        奥書院       村山龍平記念館

         <横長の画像4点はクリックで拡大>

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2005年7月25日 (月)

≪フォト俳句(158)≫7/25 ④ 古代蓮、西光寺(田丸)

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 一昨日の早朝、再度田丸の西光寺を訪れた。
 古代蓮は一部咲き残っていたものの、殆どが花弁を落として茎に実を頂く姿になっていた。
 居合わせた地元の方に訊くと、昨年と違って今年はぽつりぽつりと咲き継ぐのみにて、遂に一斉に咲き揃う景は見られなかったようである。

 蓮の実はまるで蜂の巣のような姿をしている。
 「蓮」を「はちす」とも呼ぶのは、このような実の姿から「蜂巣」即ち「はちす」が由来である。
 周知の事だが、蓮の根は「蓮根」 。野菜の「れんこん」である。古代蓮の蓮根は一度食してみたいものだ。

 また私の知人に「台さん」と云う姓の方がいる。「台」は「うてな」と呼ぶ。字の意味は「蓮の萼」の事。またその意味から転じて「仏の座す蓮華台」をも指す。

   蓮の実のしらしらと旅ひとつ了ふ   山田みづえ
   蓮の実の飛びそこなうてしなびけり   寺田寅彦

 「蓮の実」は初秋の季語となっているが、季節の変わり目の季語は土地によって場所によって実際には早かったり遅かったりする。気にせずに見たまま詠めばよい。
 また「蓮の実飛ぶ」も季語としてある。熟し切ると実の穴から種が飛び出て水中に落ちるのだ。


     蓮の実の飛ばさんとして俯けり  暢一


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2005年7月22日 (金)

≪フォト俳句(157)≫7/22③ 古代蓮、西光寺(田丸)

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 前回記事の続きであるが、西光寺の古代蓮の名称は「大賀蓮」と云う。
 昭和26年であるから、54年前の事になるが千葉市・東京大学検見川農場にて、およそ二千年ほど前の地層から発見された蓮の種子を芽吹かせる事に成功した。
 その功労者である大賀博士の名に因んだものであるが、今は全国で栽培されて古代へのロマンを掻き立ててくれている。

   大賀蓮咲けりと書院開けらるる   赤間智子
   
 「縄文蓮」「弥生蓮」とも呼ばれているが、私は「古代蓮」の呼び方が好きだ。
 花期は六月下旬から八月上旬らしいから、再度訪れてみたいと思う。


     おほらかにおほきく古代蓮咲けり  暢一

    
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2005年7月19日 (火)

≪フォト俳句(156)≫7/19② 古代蓮、西光寺(田丸)

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 前回記事、田丸城の鬼門の方角の濠端に「西光寺」が建つ。
 田丸城主は北畠氏滅亡のあと、蒲生氏、稲葉氏、藤堂氏の代官と短い間に変遷していく。
 その内の稲葉氏が領地安泰を祈願する為に1608年に建立したのが西光寺である。浄土宗にて阿弥陀如来を本尊とする。
 今、この西光寺に「古代蓮」が大輪の花を咲かせていると聞いて一週間程前に訪れてみたが、カメラマン等で賑わっていた。

 揺らぎては刻あをあをと古代蓮   鍵和田釉子
     
 訪れた時はまだ疎らに咲いていると云った風情であったが、一斉に咲き揃った光景をぜひ見てみたいものである。


     蓮の風葉をうらがへしうらがへし  暢一 
 

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2005年7月16日 (土)

≪フォト俳句(155)≫7/16① 田丸城址

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 伊勢市内を流れる宮川の西方は田園地帯であるが、今の時期は青田が広がって目にも鮮やかだ。
 宮川辺りから車で15分程この青田原を走ると「田丸」と云う町がある。玉城町の中心にて役場庁舎が建つ。
 ここ田丸には1330年 南北朝動乱の折に南朝方として後醍醐天皇を吉野に迎えようと伊勢に下った北畠親房・顕信父子が築いた田丸城址がある。
 以降3世紀に亘って田丸城は北畠氏の居城となる。

 1569年に織田信長の次男 信雄が政略結婚により北畠氏の養子となり、田丸城に入った事は歴史の好きな方ならご存知の事であろう。
 信雄は田丸城を堅固な城に大改造して南伊勢一帯を統一した。
 関が原以降は藤堂高虎の支配下となり、暫くは藤堂家の代官が田丸地方を治めるが、1619年に徳川家康の十男 頼宣が紀伊和歌山藩主になると同時に紀州領となり、明治維新まで八代続く事になる。
 以上の様に田丸城は戦略的に重要な役割を担った時代もあり、かなりの威容を誇る城であったようだ。

      城址に立膝少年夏霞   中村草田男
   
 玉城町役場はこの田丸城域内に建つ。また中学校もあり多感な年齢時の学び舎として羨ましい環境である。
 昔の青春映画の舞台となりそうな光景だ。

        城跡の中学校舎蝉時雨  暢一


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2005年3月25日 (金)

≪フォト俳句(119)≫3/25(№2) 宮リバー度会パーク(伊勢近郊 度会町大野木)

 前々回 3/15(117)「宮リバー度会パーク」の記事の続きである。
 このパークは宮川の桜堤沿いにかなりの広さ(21,200㎡)にて芝生公園、子供広場、遊水プール、テニスコート、パターゴルフ場、ログハウス風の休憩所、家庭菜園、自然林散策道等々の様々な施設が点在している。
 子供広場のたった一木の白梅を堪能した後、少し公園内を散策した。
 小さな林には朝日が斜めに射し込んで木々が影模様を描いている。
 菜園には菜の花の黄が鮮やかである。

        菜の花がしあはせさうに黄色して  細見綾子

 桜の花芽も膨らみ 川面に朝日が煌いて春を実感する一時であった。

    
         散策の佇み跼み水温む  暢一


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2005年3月14日 (月)

≪フォト俳句(117)≫3/15(№1) 白梅・宮リバー度会パーク(伊勢近郊 度会町大野木)

 113回記事で触れたサニーロードが宮川を渡るとすぐに信号があり、その信号を左折して宮川を少し遡ると川沿に細長く広がった公園に出る。
 度会町々営の「宮リバー度会パーク」である。
 元々この場所は宮川沿いの桜が見事にて地元では土地の名から「大野木の桜」として隠れた名所になっていた。 道路が整備された事に伴い公園も建設されたようである。

 数日前 所用の序でに訪れたが、桜の赤い花芽がほころぶには未だ間がありそうだ。
 伊勢市内や神宮では早くもちらほらと初花が見られるようになってきたが、冷たい川風の影響にて堤の桜はやはり開花も遅い。
 少し下流の日本桜名所100選にも挙げられている伊勢市内の宮川堤桜と共に 4月初旬が例年の見頃である。

 代わりにと言ってはささやかであるが、子供広場に白梅が一木咲いていた。
 さほど大きくはない梅の木であるが 近づいて眺めてみると結構趣きがあり、楽しむ事が出来た。

          梅白し峡は片側より暮れて  有働 亨

 写真の1枚目は桜並木。満開の頃再訪したいものである。
 梅の木はこうして写真に撮ってみると小さいながら風格が覗える。

 
          風止みて一木の梅匂ひ立つ  暢一     


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2004年7月26日 (月)

≪フォト俳句(48)≫7/26斎宮(4)

 斎宮について3回にわたり述べてきたが、天武天皇の時代から8世紀もの間の皇女と伊勢神宮との関係は一般には知られていなかったと思う。
 古事記の編纂される前、壬申の乱の直後から丁度鎌倉幕府の滅ぶ年迄の事である。
 しかし伊勢物語等多くの古典文学に登場し斎宮は「竹の都」とも呼ばれていた。

 歴史博物館は古墳群の近くに、歴史体験館は斎宮寮趾に建ちその屋外には建物群の模型もあり往時を偲ばせてくれる。
 発掘現場から出土した土器等の遺物は歴史博物館で見る事が出来る。
 田園地帯に続く広々とした斎宮趾は心身共に洗われるような心地良さである。
 秋の季語であるが

    斎宮のもの掘られつつ秋耕す   阿波野青畝

 斎宮趾は地元の俳人が好んで訪れる斎野である。

         斎野の雲居隠に夏雲雀  暢一

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