カテゴリー「h 三重県内その他」の25件の記事

2008年4月 1日 (火)

≪フォト俳句(287)≫4/1 結城神社・梅 (三重県津市)

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 桜の開花情報がちらほらと聞こえ出した3月23日、遅まきながらの観梅に出掛けた。
 行き先は津市にある結城神社。 ここは300本の枝垂梅にて知られ、三重県内では最も有名な梅の名所である。

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 結城神社は南北朝時代の忠臣 結城宗広が祭神。
 以下 Wikipediaからその説明を引用してみる。

 『結城神社(ゆうきじんじゃ)は三重県津市にある神社。 白河結城氏の結城宗広を祀る。建武中興十五社の一社。
 宗広は後醍醐天皇の鎌倉幕府討幕運動に参加し、建武の新政以後の南北朝時代にも南朝方として北畠親房・北畠顕家親子に従い、親房らが伊勢国から義良親王(後村上天皇)を奉じて陸奥国へ航行途中に難破し、伊勢国で没している。 
 結城神社には後醍醐天皇の綸旨なども所蔵されている。 古くから結城の森と伝えられ結城塚や結城明神とよばれてあがめられている。  しだれ梅でも有名。』

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 上の三枚並べた画像の左画像に写る受付で拝観料を払って入園したが、時期的に遅いのでかなり散ってしまっています。 宜しいですか。 と念を押された。 

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 確かに以前訪れた折と比べると寂しい感じがしたが、それなりに楽しめた。

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               梅巡三歩つぎへ三歩  暢一


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                 二もとの梅に遅速を愛すかな   与謝蕪村
                 
                 静けさのどこか揺れゐて梅白し  鷲谷七菜子

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82img_9936 梅園を奥まで巡って行くと 椿の樹々の間から真っ赤な祠が垣間見えた。
 何を祀っているのだろうと訪れてみる。
 結城医王大明神社。 病気平癒祈願の祠だった。

 結城医王大明神社の入り口辺りに碑が建っている。
 碑には『結城の錦紅梅 結城神社最古木紅梅 樹齢推定約3百年』と彫られていた。
 近くには福松稲荷大明神が建つ。

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11img_9960 園内に大きな鳥居が建っていたので入ってみたが、そこは亀の上に墓碑が建つと云う珍しい墳墓だった。
 
 傍らに『御祭神 結城宗広公 御墓』と題した説明板が立っている。 
 同所には紅い祠も建っていた。 結城医王小祠 。 先ほど訪れた結城医王大明神社の元となる祠らしい。

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 梅園を堪能して境内に戻った。 境内には小さな池があり大きな錦鯉が泳いでいる。


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 参道前の狛犬が目を惹いた。 大きく立派な青銅製だ。
 それもそのはずで 狛犬の裏の説明板を読んでみると、『日本一の狛犬』と書いてあった。

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 梅園の外の境内にも梅が結構咲いていて楽しめる。

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2007年11月28日 (水)

≪フォト俳句(284)≫11/28 ① 奈良行 初瀬街道。

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 11月25日に奈良公園紅葉を見に出掛けた。
 紅葉の見頃、また三連休の日曜日である。 車だと渋滞が予想されたので近畿日本鉄道特急を利用した。

Xx 伊勢市駅から近鉄特急京都行に乗る。 
 中川(松阪市)から大阪線を西進し、そして八木(橿原市)から橿原・京都線を北進して 西大寺で奈良線に乗り換えれば すぐに近鉄奈良駅だ。 
 所用時間は約1時間50分。
 宜しければ左地図を拡大の上 参照して頂きたい。

 数回に分けて奈良行を記事にしていこうと思っているが、初回は上記の伊勢から奈良までの近鉄車窓風景を取り上げた (画像はそれぞれクリックすると拡大)。


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         ①                ②
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                   ③                 ④

 ① の画像が伊勢市駅に停車中の京都行近鉄特急
 ② に写る川は伊勢市駅を発って間もなく渡る宮川。 清流日本一に何度も選ばれている三重県最長の一級河川である。
 ③ は伊勢市と松阪市の間に広がる冬ざれの伊勢平野
 ④ も同じ。 何の野菜畑だろうか? 一面の枯葉が美しく印象的だった。


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         ⑤                 ⑥
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                   ⑦                 ⑧

 ⑤ は松阪市の南を流れる櫛田川。 古代 伊勢に神宮を定めた倭姫命が櫛を落とした地を櫛田と名付けた事が櫛田川の名の由来と言われている。
 ⑥ は近鉄中川駅(松阪市)。 近鉄名古屋線と大阪線の乗換駅である。 田園地帯にぽつんと建つ駅だったが 近年駅前が再開発されて見違えるようになった。
 ⑦ は中川駅で名古屋線と別れて大阪方面に向う近鉄大阪線。 桜井市辺りまで山また山を越えて行く急峻な山岳地帯の路線である。
 ⑧ がその大阪線に入ってから間もなくの風景。 車窓にずんずんと山が近づいてくる。

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 近鉄大阪線は中川駅を発って伊勢平野を西進し 山路にかかる辺りから歴史的に知られる初瀬街道に沿って大阪まで至る。

 画像はその車窓風景であるが、山里の景をそれぞれ撮影順に載せてみた。

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 山路にかかって間もなくトンネルを長々と走る。 全長5,652mにおよぶ大手私鉄最長の新青山トンネルだ。 1975(昭和50)年に完成した新青山トンネルだが、それ迄は1930(昭和5)年開通の旧青山トンネル(3,432m)だった。 
 旧青山トンネルは1971(昭和46)年に特急列車同士が衝突するという列車衝突事故にて25名の犠牲者を出した鉄道史上に残るトンネルだ。 
 当時私は神戸に在住していて 故郷の伊勢へ帰省の都度利用していた近鉄大阪線だった為に 今でもこの事故の事は記憶に生々しい。

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 近鉄大阪線の沿う初瀬街道は現在の国道165号線だ。
 初瀬街道の始まりは、2000年以上前、垂仁天皇の皇女倭姫による天照大御神の鎮座の地を探す旅からと言われる。 その旅によって伊勢の地が選ばれ神宮が定められる事になったのだ。 初瀬街道は伊勢神宮発祥の道と言える。 その事は日本書紀に詳しい。 以降 大阪・奈良と伊勢を結ぶ街道として繁栄した。
 初瀬街道は伊勢から長谷寺のある奈良県初瀬(桜井市)へと至る街道である事からの街道名にて、長谷寺・室生寺など道中に名所旧跡も多い。

 また松尾芭蕉が1684年の野ざらし紀行での大和への旅路や、1688年笈の小文の旅で国見山兼好塚を訪ねる際などに奈良・吉野方面への往来の折 初瀬街道を利用したと言われている。

               山装芭蕉辿りしゆけば  暢一


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         ①                 ②                ③

 秋色濃き山路の車窓風景に見惚れている内に、近鉄特急は八木駅(橿原市)で大阪線と別れて橿原・京都線を走る。 西大寺駅で下車して奈良線に乗り換えると次の駅が終点近鉄奈良駅だ。
 
 ① は奈良盆地の車窓。
 ② は近鉄奈良駅を下車して奈良公園に向う歩道の楓紅葉。 近鉄奈良駅から奈良公園へは直ぐの距離だ。
 ③ は②の右側。 国立博物館辺りだろう。


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         ④                 ⑤                 ⑥

Image2 ④ は氷室神社。 平城遷都に伴い春日野に氷池や氷室をつくり、稲作に重要な夏の天候を呪う祭紀を行ったのが始まりとされている神社。 枝垂桜の名所だそうだ。
 ⑤ 客待ちの光景だろうか。 人力車は所々で見掛けた。
 ⑥ は氷室神社向かい側歩道に立っていた標識。 標識をご覧頂いて判ると思うが、奈良の名所は奈良公園内の然程遠くない距離に点在しているので巡るに比較的楽であった。
 奈良公園の地図を左に添えてみたのでクリックで拡大の上 参考にして頂きたい。


 下の画像は大仏殿横の道から二月堂に至る石段を登りきった辺りの画像であるが、以降奈良公園の様子は次回に譲り記していきたいと思う。

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2007年6月 5日 (火)

≪フォト俳句(283)≫6/5 諸戸氏庭園 (桑名市) & お香

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 数日前に桑名へ行った序でに諸戸邸の庭園を訪れた。
 ≪フォト俳句(274)≫2/18 ⑤西諸戸邸 (桑名市) にて記事にした諸戸家の庭園である。

 4月15日から6月30日の間 一般公開されていると聞いていたのでちょうど良い機会だった。
 生憎とデジカメを持ち合わせていなかったので、以下の庭園画像は携帯によるが、冒頭の諸戸邸の外観画像は№274で記事にした折のデジカメ撮影である。


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 諸戸邸の庭園の地は、室町時代に「江の奥殿」と呼ばれ、既に邸宅・庭園の設けもあったと言われている。
 1686(貞享3)年、江戸時代の豪商 山田彦左衛門が隠居所として買い求め沼築庭を造園したが、当時の様子は魯縞庵義道の 『久波奈名所絵図 』 に詳しく描かれており、書院や推敲亭がその頃からあった事が窺える。

 その後 明治に初代諸戸清六がこれを買取り、新たに庭園を増築し現在に至っている。
 諸戸家については前述の№274の記事を参照して頂きたい。


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 今 庭園の目玉は花菖蒲。 ある程度咲いてはいたが 少し時期が早かった。 あと一週間程すれば満開の様が見られるだろう。 他に躑躅の紅が庭園に彩りを添えていた。


                 花菖蒲見るとき吾の古風なる  山田弘子


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 受付の所で揃いになったお香とお香立てを販売していたので、同行の方が帰り際に買ってプレゼントしてくれた。 私は未だ楽しんだ事がなかったので嬉しかった。 
 お香の包み紙の銘は 「 ‘ 夢の夢 ’ 涼風の香 」 。


                 菖蒲園夢てふ  暢一

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 今のお香はお香立て共々とても手軽に楽しめるようになった。 伊勢神宮前のおはらい町にも最近お香の専門店が出来てとても賑わっている。
 覗いてみるとまるでファンシーやキャラクターのグッズを商うショップのようにカラフルで可愛く手軽なお香立てが所狭しと売られている。


 帰宅後早速に頂いたお香を点てゝみた。 
 点けたまゝにしておくのではなく、香りが十分に漂ったら消した方が良いと教えられていたので、数分してからどうして消したらよいのだろうと暫し考えた。
 思いつきでお香を逆さまにして火の点いた方を穴に差し込んでみたら、直ぐに消えた。
 受付係の女性はうっかり消し忘れても無駄が出ないから、3,4本に折り短くして使うと良いですよと仰っていた。 


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 お香には黒い釦のような物が添えられている。

 簡易なお香立てのようだが、こんな小さな物にお香を立てたら倒れ易くて危険だろうにと思いつゝ右画像のように立てゝみた。
 ところが中々どうして上手い具合になっていて、わざと大きく傾けてみても起き上り小法師のように元に戻るのである。 これを使えばどんな器・置物や小物グッズでも火の移りやすい材質で無い限りお香立てにする事が出来ると思った。
 ご存知の方々にはどれも笑止な事であろうけれど、初体験の私としては変に感心してしまった。
 

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2007年4月23日 (月)

≪フォト俳句(280)≫4/23 ② 九華公園の桜 (桑名城址)  

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 前回は桑名市長島町にあるなばなの里に訪れた事を題材としたが、その後 桑名市内に戻って九華公園の桜を楽しんだ。 九華公園は三重県下でも知られた桜の名所である。

 また九華公園は桑名城跡の本丸及び二之丸跡を利用した公園にて72000㎡の広さがあり、揖斐川に面している。
 公式サイトには以下のような説明が載っていた。 
 「明治維新以後荒廃していたが、昭和3年(1928)松平定信(楽翁)没後百年祭記念のために公園として整備された。園内では4月に桜、5月につつじ、6月には花菖蒲まつりが行われる。園内には戊辰の役の犠牲者森陳明をたたえる「精忠苦節」碑(明治23年=1890建)や水谷一楓の歌碑(昭和51年建)や土生暁帝の句碑(昭和59年建)、葛山たけしの句碑(昭和59年建)がある。」 

2img_6318 戊辰の役の犠牲者の「精忠苦節」碑が建つのは、明治維新の戊辰の役の折に桑名藩は新政府軍と戦い敗れた事による。

 また徳川家康が天下を取った後、本多忠勝が城主となり城下の整備発展に大きく努めて桑名繁栄の基礎を築いたが、家康の孫娘の千姫と結婚したのは その忠勝の孫の忠刻である。 千姫は桑名城内に一年住んだ後、本多家が姫路に移封となった為 姫路城で暮らす事になった。
 千姫が姫路城に居た事はあまりにも有名で知っていたが、その前に三重県と深い縁があったのである。 本多家の後を松平家が城主となり明治維新まで続く事になる。


 満々と水を湛えた濠を渡ると屋台が数台並んでいて しきりに呼びかけてくるが無視して進むと碑の建つ広場の入り口に出た。   


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 藤棚らしき下にベンチがあり市民の憩いの場のような雰囲気だ。
 飾った葭舟が置かれていて、「ヨシは古代から利用されています」云々と説明札が前に立っていた。


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 広場に面して神社と稲荷の鳥居が建つ。 「園内には松平定綱(鎮国公)と松平定信(楽翁公・守国公)を祭る鎮国守国神社があります」とHPに載っていたから、鎮国守国神社なのだろう。 


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 桜を堪能しながら公園内をゆっくりと巡った。 
 濠とそれに架かる紅い橋が景観をさらに素晴らしいものにしている。


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              強風に川青ざめし遠桜  岡本眸


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              さまざまの事思ひだす桜かな  松尾芭蕉


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              ちるさくら海あをければ海へちる  高屋窓秋  


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 濠の水量は本当に豊かだ。 池の様に広がっている所もあり 亀が甲羅干しをしていた。
 右端画像の雀隠れほどの苗は花菖蒲だろうと思う。


             桜ちるひとひらひとひらひとひら  暢一

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2007年4月19日 (木)

≪フォト俳句(279)≫4/19 ① なばなの里 (桑名市長島町)  

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 先日 なばなの里を訪れた。
 東海地区の方なら誰でもがご存知の近年人気のある植物園である。 伊勢からも訪れる人が多く、私の知人は皆訪れていて、中には一年に何度も訪れ四季折々の花々を楽しんでいる人もいる程の人気振りだ。 
 経験の無いのは私だけだったが、桑名の知人が案内してくれる事になりやっと訪れる事が叶った。 車椅子を無料で借りる事が出来るとその知人が教えてくれたので、米寿を過ぎた母も同道出来た事が嬉しかった。

2img_6161 なばなの里の所在地は三重県桑名市長島町。 愛知県との県境近くの長良川畔に位置する。 
 一時は社会問題にもなった悪名高い長良川河口堰の道一つ隔てた向かい側に広がり、23万㎡もの広大な敷地を誇る。 その道を更に長良川河口まで行くと長島観光開発(株)が経営するプールや遊園地のナガシマスパーランドと長島温泉に出るが、なばなの里も同社の運営施設である。

 一人1500円の入園料を払って園内に入る。 花のシーズンとは言え月曜日だったので駐車もスムーズにて園内も比較的静かだ。 と言っても駐車場も園も広大なのでかなりの人数が来園しているであろうとは思われた。 土日曜日はその広大な駐車場に長蛇の列が出来るそうだ。


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 画像の上2枚は花桃。 一枝に赤と紅白まだらの花が咲いているのが美しい。 比較的大振りの花だ。
 下2枚は水仙の一種だったと思うが、同行者がいるので名札に書かれている名を記録する余裕がなかった為に不明である。


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 上左1枚目の黄色い花は菜の花
 1枚目と2枚目の白い花木は利久梅。 薔薇科。 中国原産にて明治末期に渡来。
 下右端は水仙の園。


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6img_6199 上三枚は三椏(ミツマタ)。 三叉とも書く。 沈丁花科。 これも中国原産。 
 江戸時代初期に渡来し、樹皮には強い繊維があり皺になり難く虫害にも強いので和紙の原料として、現代でも一万円札等の紙幣や重要な書類用に使われている。
 
 と云った事はある程度知っていたが、三椏の花を見るのは私も初めてだったので、黄と赤と咲き分けている花の姿には少し驚いた。

 右画像は園の中央にある池。 一息つける憩いの場を与えている。 


             春の園会話弾めば歩の緩く  暢一


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 左端の画像は数種の花桃。 右から二枚の紫の花も名札を読んだが忘れた。
 (<追記> 4/22に菊子さんよりこの紫の花の名を教えて頂いた。 
  姫金魚草。 別名 リナリア。 胡麻の葉草科。 ピンク色の花もあるそうだが、ピンク色ならば花の形からも姫金魚草の名の付いた事が頷ける)


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 この黄色い花には名札が無かったが、枝垂れているところから雲南黄梅だと思う。 木犀科。 普通の黄梅よりも遥かに花が大きい。


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 園内にはイタリア・中国料理その他のレストランが8ヶ所点在しているが、その内の一つの日本料理店で昼食を取った。 雲南黄梅の画像にその日本料理店の一部が写っている。
 右端画像の展望台は料理店の席から窓越しに撮ったものだが、回転しながら上下して地上45mまで360度の上空散歩を7分間楽しめるそうだ。 乗る暇は無かった。

 メニューは2500円程からとちょっと高い。 画像は食した旬の筍膳。 やはり2500円程だったが、まず高目に見ても1500円までの料理だろう が実感だった。 但し入園料1500円の内、1000円がクーポン券として使えるので、支払いは1500円で済んだ。 何か得をしたような気分がしたが、実際には2500円払っている事に変わりがない訳で、園内での消費を即し 且つ割高感を和らげる巧妙なシステムだ。 下世話な話になってしまったが、料理は美味しかった。


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 なばなの里には薔薇園やベゴニアガーデンその他のテーマ園があるが、メインは花ひろばである。 ここは四季折々にテーマを変えて楽しませてくれる一番の目玉広場である。
 今はチューリップ。 13000坪(約43000㎡)一面に120万本のチューリップが色とりどりにデザインされて咲き誇り、誠に見事な景だ。 
 チューリップだけでは隙間が目立つので、そこをビオラその他の小さな花で埋めている。 その花々の色も工夫されていてチューリップがより鮮やかにデザインされる事になる。


          チュ-リップ喜びだけを持つている  細見綾子


 下の左画像のパンダもチューリップだけでは不可能なデザインだ。
 白も黄色の花も共にチューリップだそうな。

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2007年2月18日 (日)

≪フォト俳句(274)≫2/18 ⑤西諸戸邸 (桑名市)

 前回記事の木曾三川公園の雄大な景観を楽しんだ後、千葉へ帰る妹一家を駅まで送る為に桑名市内に戻った。

 まだ少し時間が残っているので桑名随一の豪商であった諸戸家の旧邸を公開している六華苑に行ったが残念ながら休館日だった。
 六華苑は一昨年に訪れ ≪フォト俳句(186)≫ にて携帯画像であるがご紹介した事がある。


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 諸戸家は初代諸戸清六が明治維新のあと新政府高官の知己を得て頭角を現した豪商だが、明治39年に初代が没して四男が二代目清六を継ぎ材木で更に財をなした。 その二代目が建てた旧諸戸邸が六華苑である。

 その折に次男は家屋敷を相続して分家し西諸戸家と呼ばれ現在に到っている。
 その西諸戸邸が上の画像だ。 歴史ある立派な日本家屋と赤煉瓦の塀や蔵が印象的だが、国指定重要文化財である。
 西諸戸邸の煉瓦と調和するように護岸が赤煉瓦で修復され、公園のようになっていた。 最近の事らしい。
 この川は桑名城の元濠だが、伊勢湾河口に近い揖斐川から入ってすぐの荷を運ぶに都合の良い場所としてここに蔵を建てたのだろう。
 桑名はその昔 東海道と伊勢路の分岐点として重要な地にて港と共に大変栄えた町だ。


               川風に潮の香少し冬の蔵  暢一 


6img_3924 六華苑が閉まっていたので仕方なくこの辺りを暫し見学したが中々雰囲気の佳い所だった。
 右の画像は反対側を撮ったものだが、漁船だろうか小型船の係留地にもなっていた。


     綿虫や城濠いまは生活川  岡本眸


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2007年2月 2日 (金)

≪フォト俳句(272)≫2/2 ③ 治水神社(岐阜県海津市)

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2img_3833  前回記事では1月3日に風車の青山高原を観光した事を題材としたが、その後 車を桑名市まで一気に走らせた。
 冒頭の画像は桑名市内を流れる揖斐・長良川。 堤防一つ隔て並行して流れている。 橋は国道一号線だ。 この辺りは近鉄車窓の光景として何度も取り上げてきた。

 妹一家は夕方に名古屋から東京まで新幹線に乗って帰る予定なので、それなら名古屋に近い桑名近辺で遊んだ方が都合が良かろうと言う事になった。

 昼食の為に桑名城址近くの松坂肉の老舗である柿安へ寄ったところ、二十歳代の姪が友達に自慢出来ると大喜びをしている。 怪訝に思って訊ねると、東京で柿安はデパ地下やレストラン等に出店していて若い子達にとても人気があり、地元桑名の本店で食事をしたと言えば友人達はきっと羨ましがるだろうとの事だった。

 食後、国道一号線の橋の途中から揖斐川と長良川の間の堤防上を走る道に下りて北上した。 枯芦の広がる景が印象的だ。
 岐阜県境を越えて直ぐ、千本松原と呼ばれる松並木の辺りに神社が建つ。 治水神社と言う。


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             全景の芦暮れなづむ焚火かな  暢一


 治水神社の鳥居を潜り、御手洗で手を清めている間にも眼前の揖斐川の枯芦の景に目が奪われる。

          振つて消すマッチもろとも枯川原  岡本 眸


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 治水神社は一昨年も取り上げた事があるが、小さな携帯写真だったのでもう一度記事にした。

 治水神社の祭神は薩摩藩家老であった平田靭負である。
 遥に遠い薩摩藩の一家老を神として立派な神社を建立し、今の時代に亘っても大切に祀っているのには勿論理由がある。

 揖斐川・長良川は近くの木曽川より少し低地を流れている事もあって昔はすぐに氾濫をしてしまう川であった。
 そこで約250年前に薩摩藩が堤防・浚渫工事の命を幕府より受けたが、それは筆舌を尽し難い程の苛烈な工事であったらしい。
 工事中の洪水による再々々工事、幕府からの過酷な命令や侮辱等々。 犠牲者は記録に残っている薩摩藩士だけでも86名に上る。 内53名もが耐えかねての自決と云うのだ。
 10年の歳月を経て完工したが、総奉行であった家老 平田靭負は薩摩藩主に完工を報告のあと犠牲者への全責任を負って彼も自決した。 この時代に要職にある人が責任を負うと云う事は命を絶つと云う事なのだ。 以前記事にした円座の大庄屋も武士でないにも拘らず責任を負って自決している。

 下画像は左から、本殿、薩摩藩士像、全犠没者名碑である。


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 私は毎年伊勢神宮への初詣にて破魔矢を買う事を楽しみにしているが、今年は機会が無かったので治水神社で買った。
 左端の画像は昨年の伊勢神宮の破魔矢と治水神社の破魔矢を並べたものだが、身贔屓でなく伊勢神宮の方が立派だ。 どちらも1000円のお布施である。


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2007年1月25日 (木)

≪フォト俳句(271)≫1/25 ② 風車 (青山高原)

 正月明けの公私共の多忙の為に1月8日以降の更新が遅くなってしまいました。 ご訪問頂いていた方々にお詫び申し上げます。
 

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 前回記事にて次回は正月を榊原温泉の湯に楽しんだ折に旅館から望んだ青山高原の風車を題材にしたいと記した通り、榊原温泉宿泊の翌日に訪れた。

 榊原温泉から国道165号線を西に30分も走れば青山峠。 そこから青山高原の尾根伝いに走るスカイラインへの道に入る。  
 国道165号線は「伊勢北街道」と呼ばれ大阪や奈良南部より伊勢への歴史ある旧街道にて伊勢路の一つだ。 長谷寺のある初瀬を通るので「初瀬街道」とも呼ばれた。
 また荒木又右衛門の仇討ちで歴史に有名な伊賀上野の鍵屋の辻は奈良街道からこの伊勢北街道へ出る分岐点に当たる場所にて青山峠からも近い。


2img_3785  青山峠まで国道165号線も随分と上り坂が続いたが、そこからスカイラインへの山道もかなりの急坂をくねくねと登った。

 そろそろ尾根に出る頃だと思った辺りで突然風車が姿を表した。
 やはり眼前にすると巨大な風車である。


 下画像に伊賀市の標識が見えるが青山高原は伊賀市と津市に跨っている。
 伊勢の国と伊賀の国を分ける布引山地に属し、標高約800mに南北15Kmの大草原が広がる。
 西に伊賀の山々や盆地、東に伊勢平野 伊勢湾 その向こうの知多半島まで望める誠に風光明媚な所として昔からの名所だ。 室生赤目青山国定公園に指定されている。
 

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 青山高原に風車が建設されたのはいつ頃なのかは知らないが、風車を建設運営している(株)青山高原ウインドファームの設立が2001年12月26日となっているところを見ると、ここ5年程の事だ。 24機建ち、日本有数の発電規模らしい。 画像ではそれほど高く見えないが、タワーの高さは50mもある。


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               廻らぬは魂ぬけし風車   高浜虚子


 掲句の「風車」は春の季語であるが、勿論玩具の「風車(かざぐるま)」の事である。
 この度取り上げた発電用の風車を同じように春の季語として詠んでいる句を時に見掛ける事もあるが間違いだ。 「風車(ふうしゃ)」を季語と私は認められない。


             寒晴や風車寡黙に聳ち並び  暢一


6img_3831 自然歩道も整備されていて、昔であるが一家でリュックを背に何度もハイキングした事もある。 芒が揺れる展望地で遥か伊勢平野を望みながら食べた握り飯の味は良き思い出だ。

 昔と言えば悲惨な出来事があった。
 前述した国道165号線に沿うように近鉄大阪線が走っていて、青山高原の辺りはかなり長いトンネルだ。 この青山トンネルの中で昭和46年10月25日夕方、死者25名 負傷者255名を数える大事故が発生した。 近鉄最大の事故と鉄道史に刻まれている。
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 伊勢平野を見下ろす展望台に休憩所が建っていたが閉まっていた。 冬は訪れる人が少ないからだろう。 伊勢平野の展望も霞んでいて残念だった。 

                       <全画像拡大可>

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2007年1月 8日 (月)

≪フォト俳句(270)≫1/8 ① ななくりの湯 (榊原温泉)

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 この正月は家族で温泉を楽しんだ。 
 と言っても遠くまで出掛けた訳ではなく、三重県内の榊原温泉である。 伊勢からは高速の伊勢道の久居インターを降りてそれ程遠くない距離だ。 所要時間は1時間半程だろう。
 鉄道を利用するなら、近鉄大阪線の「榊原温泉口」で下車する。 
 名張の少し手前に位置する駅だ。

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 正月らしき料理を楽しんだ。 
 黒豆には金粉が塗してある。 一様は伊勢海老・鮑・牛肉と三重県の幸を揃えた持て成しだ。 
 正月料金としての2万円は中々お得である。

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 榊原温泉は関西や中部地方では名が通っている温泉だが、平安の時代から屈指の名湯として名高い温泉地なのである。

 清少納言の「枕草子」117段に、『湯はななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯』と謳われてるが、この筆頭に挙げられたななくりの湯こそ榊原温泉だ。 京の都では温泉の代名詞にたとえられていた程の名湯である。

 泉質はアルカリ単純泉で、特に皮膚病・神経痛・リューマチ・婦人病などに効果 があるそうだ。
 実際に入浴してみて湯のツルツルとした肌ざわりは驚くほど。 美肌効果 も高いことから美人の湯としても知られている。

 下の画像は夜の露天風呂。

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            朝寒く夜寒く人に温泉あり  松本たかし


 掲句の温泉いでゆと読む。 
 俳句では他にと読ませる場合もあるが、音数で読み方を判断するしかない。


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 三日の日の出である。
 普段は朝寝坊の私も湯宿の朝は目覚めが早い。 と云っても7時頃の事だ。
 山々の向こうは伊賀地方である。 

 山肌の枯木が朝日に赤く染まって、まるで紅葉のように見える。

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 朝の露天風呂である。
 夜は夜なりの雰囲気が楽しい露天風呂だが、朝焼けの自然に包まれて入る湯はまた格別だ。

 榊原の温泉街は山懐に広がるが、私達の宿泊した宿は山上に建ち その展望が売りだから露天風呂からの景も素晴らしい。 
 まだ色を残した散紅葉にも露天の風情を感じる。

 下の右端画像は男性の湯殿だが、全面のガラス張りが大景を楽しませてくれた。


           山肌の日の出に染まりゆく初湯  暢一


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 朝食を頂いた食堂からの景色である。 
 一番遠い山並みは青山高原。 尾根伝いにスカイラインが走っていて名高い観光地である。


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93img_3729 近年 この青山高原の山頂には風車が多く建設されていると聞いていたが、遠くからでも林立している風車が見えたのには驚いた。
 画像からも風車の巨大さを想像して頂けると思う。
 コンパクトヂジカメなので不鮮明だが、精一杯の拡大をして撮ってみた。

    <全画像拡大可>

 朝食をとりながら あの風車を観に行こうと云う話になった。
 と云う訳で、次回は青山高原の風車をご紹介する。 

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2006年11月15日 (水)

≪フォト俳句(262)≫11/15 ① 初冬の伊勢平野

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 ここのところ数回に亘って記事に取り上げてきたが、毎月第2火曜日は私の所属結社の東海支部句会が開かれるので愛知県岡崎市まで出掛ける。 

 11月は14日の昨日がその日に当たるので出掛けた。 伊勢平野の景の一ヶ月毎の変化を近鉄車窓から見るのは大きな楽しみの一つだ。

 9月12日の景を№251で、10月10日の景を前回の№261にて取り上げた。

 宜しければ今回の画像と見比べて頂きたい。 
 9月は稲刈りの済んだ後の切り株から穭 (ひつぢ)が萌え出した田、10月はその穭 が緑濃く成長している田。
 そして今月はその穭 に枯れ色が目立つ田へと変貌していた。

       伊勢平野穭田枯れて落ち着きぬ  暢一 
 

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         火を焚くや枯野の沖を誰か過ぐ   能村登四郎

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                      <全画像拡大可>

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