カテゴリー「c 伊勢市内名所・神社仏閣」の62件の記事

2007年3月21日 (水)

≪フォト俳句(277)≫3/21 ③ 芭蕉 蘇鉄塚 (かさもり稲荷 法住院)

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 前回、白梅の咲くかさもり稲荷 法住院をご紹介したが、今回も同寺の続きである。
 白梅の咲く反対側、稲荷神社の前方にあたる角では紅椿が鮮やかだ。


                 椿咲くこの道夜は怖からむ


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 そこには手水舎が建つが、その背後に古い句碑が苔むして幾つか並んでいる。


3img_0184 その中で一番有名なのが左画像の蘇鉄塚。 
 寛政5(1793)年の松尾芭蕉百年忌の折に門人達によって建立された芭蕉句碑である。 彫られた句は


   門に入れば蘇鉄に蘭のにほひかな  松尾芭蕉


 この句は「笈日記」に「守栄院」と前書きがあり元禄2(1689)年 芭蕉46歳の吟。
 芭蕉が岐阜の大垣で「奥の細道」の旅行を終えた後、伊勢神宮のご遷宮を見る為に伊勢に詣でた折に詠んだものだ。 守栄院については「句選年考」の頭注に『守栄院は伊勢山田棒の小路と云ふ所に有り、寺は浄土宗にて名高き蘇鉄あり』とある。

 守栄院は明治13(1880)年に廃寺となり、元々守栄院にあった蘇鉄塚が法住院に移されて現在に到っている。


 以上の事は中川竫梵氏著「伊勢の文学と歴史の散歩」を参考にさせて頂いたが、同著には守栄院から移されたその他の句碑として以下が挙げられている。

     蚊帳越しに朝顔見やるくもり哉  伊藤自然  寛政11(1799)年建立
     影もなき身をうつせとて清水哉  松貴二曲  文化 2(1805)年 〃
     松かぜに耳あらひけりほととぎす 野村野渡  天保10(1839)年 〃
     月のさす夜もあるものを冬ごもり  古森省吾  弘化 2(1845)年 〃

 立ち並ぶ碑を個々に写してみたが、下の中画像が伊藤自然、右が松貴二曲の句碑である事が判るくらいで、他は不明だった。


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 句碑だけでは寂しい感じなので、他に咲いていた花も載せてみる。
 水仙だが、花をアップしてみると見慣れない花の姿をしている。
 図鑑を見ても多種あるようだ。 


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 次は柊南天(ヒイラギナンテン)。 まだ蕾が少し膨らんだところだ。
 柊南天は目木(めぎ)科。 葉が柊に、実が南天に似ている事から付いた名にて、木犀科の柊とは科が違い 南天と同科である。


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 今日 近くの商店街の柊南天を見てみると花が開いていたので撮影した。 法住院の柊南天は2月27日に撮影したものだが、一ヶ月弱後の商店街では葉の色も紅葉が進んでいる。


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2007年3月10日 (土)

≪フォト俳句(276)≫3/10 ② 白梅 (かさもり稲荷 法住院)

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 前回記事で法住院の初護摩の始まりを告げる市中お練り供養の様子を取り上げたが、
 今回は白梅の咲く法住院をご紹介したい。

 前回記事の最後にも触れたが、下 左端画像の法住院境内には1月8日に挙行された柴燈大護摩供の跡が残っている。


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 法住院かさもり稲荷と普通呼ばれている。 近所の人に法住院の名で訊ねても判らないかも知れない。 かさもりさんと言われて あ~あのお寺と気がつく程だ。 斯く云う私もそうだった。


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 稲荷神社の堂の中を覗いてみると、祈願の絵馬が笠の形をしていて珍しい。
 かさもりの名に因んでの事かも知れないが由来は知らない。

 しかしかさもりは漢字で瘡守と書く。
 は「できもの・はれものなどの皮膚病」の意味。 できものや傷口の皮膜を云う瘡蓋(かさぶた)の瘡(かさ)だ。 決して「笠」を意味する字ではない。

 調べてみると瘡守稲荷の名は全国的に見られる。
 法住院のかさもりさんは商売繁盛・病気平癒をうたっているが、元々はできもの・はれもの除けの稲荷なのだろう。

 と思ってネットを検索していたら それを裏付ける民話を見つけた。
 民話「瘡守稲荷(かさもりいなり)」である。 興味のある方はご覧頂きたい。


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 狛犬は稲荷であるから 当然として狐だ。 狛狐なんて聞いた事がない。 いったい何と呼ぶのだろう。 一刀彫のような荒削りなので分かり難いが、左側の狐が巻物を 右側が宝玉を咥えている。 


                  白梅や稲荷狐の荒削り


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 法住院は寺号を花慶山法住院山安寺と言う。 天台宗山門派にて比叡山延暦寺の末寺。 
 885年頃に智証大師により建立されたとの歴史を誇り、本尊の不動明王立像は智証大師が42歳厄年の折の自作と言われる。

 また平清盛寄進の尼天像や伊勢国司であった北畠家の護持仏の十一面観音像などと文化財も多い。

              白梅や仏を入るゝ経の声   飴山實


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 稲荷の由来等については一昨年に
 ≪フォト俳句(108)≫≪フォト俳句(109)≫≪フォト俳句(110)≫等で取り上げた事もある。

 境内には蘇鉄句碑と呼ばれて知られている芭蕉の句碑やその他の句碑などが建つが、次回に譲りたいと思う。


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2007年3月 1日 (木)

≪フォト俳句(275)≫3/1 ① 初護摩 1/8 (かさもりいなり 法住院)

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 正月3日の旅行記を5回に亘って続けてきたので記事にするのが遅くなってしまったが、
 今回は1月8日の事である。

 上の画像は何度か取り上げた事のある近所の商店街だが、山伏の一行が法螺貝を吹きながら練っていった。  山伏独特の装束が興味深く、追い掛けて撮影してみた。


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Img_5522 この商店街からほど近い所に法住院が建つが、1月8日はこの法住院の初護摩である初かさもり大祭が開催され、その始まりを告げる市中お練供養の一行である。
 左の画像は我が家に頂いた法住院からの年賀状だが、毎年この初かさもり大祭の開催日を案内している。 画像を拡大すれば何とか文字も読んで頂けると思うが、行事内容部分を転記してみる。

 十二時   市中お練り供養
 十二時半  柴燈大護摩供執行
 一時半   火生三昧(火渡り)
 二時半   伊勢御師太鼓
 三時     開運餅まき
                      大福引・甘酒の無料接待 

 一度は参詣して盛大な護摩供の火を見たり火渡りを経験したいものだと思っているが、残念ながら休日ではないので機会を失っしている。 


              盛り場に初護摩告ぐる法螺の音


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 柴燈大護摩供や火生三昧などはよく判らない行事の名なので少し調べてみた。
 以下に青梅市にある塩船観音寺のHPから引用させて頂く。

 『護摩供とは、お堂の中で火を焚き、炎の中に御本尊を勧請し、その中に様々な供物を投じ、秘密の真言を唱え、諸願の成就を祈る真言宗の秘法の護摩法で、このお護摩を屋外で焚くのが柴燈護摩です。
 柴燈護摩の始まりは、真言宗をお開きになられた弘法大師・空海の孫弟子に当たり、京都市伏見区にある、総本山醍醐寺を開山した理源大師・聖宝が奈良県吉野の大峰山にて毒蛇の調伏の為にお護摩を焚いたのが始まりです。
それ以来、総本山・醍醐寺は真言宗の総本山であると同時に、山岳信仰の山伏の本山にもなりました。 醍醐寺を中心とする山伏達を当山派修験道とよび、塩船観音寺はその別格本山です。』


 『この柴燈大護摩供の残り火の中を素足で渡り歩くのを火生三昧といい、一般的には火渡りと呼ばれています。
 炎の中に勧請された、御本尊と一体と成るために、そしてその御本尊の功徳を受けて、災難消除、身上安全、家内安全、等の諸願の成就のご利益が頂けると言われています。』 


 塩船観音寺のHPでは柴燈護摩供の様子が画像で詳しく紹介されていて興味深かった。 宜しければご覧になってみて頂きたい。


         初護摩の火の子滅法とどまらず  殿村菟絲子


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 山伏装束についても調べてみた。 これについては宮城県伊具郡の駒場山 愛敬院のHPを参考にさせて頂いた。
 上の左画像にて二人目の山伏で説明してみる。

 頭に被っている黒い物は頭襟(ときん)。 
 大日如来の五智の宝冠をあらわし、十二のヒダがある。

 左肩に掛けているのは結袈裟(ゆいげさ)。 
 修験道専用のお袈裟で九条袈裟という袈裟を折りたたんだもの。六つのフサは六波羅蜜を表す。

 右肩の赤い房は螺緒(かいのお)。
 山岳修行において岩場を登る時や危難の時にこれを解いて用いる用具。

 白い衣装は鈴懸(すずかけ)。
 修験道の入峰修行の法衣。鈴の字は五鈷鈴を、懸は金胎の曼荼羅をかけて修行することを表す。

 腰右側に小さく最多角念珠(いらたかねんじゅ)が見える。
 そろばんの玉の形した百八の珠からなる念珠。念珠は煩悩を断じて仏果を生み出す法具。

 右の後姿の画像より。
 背中に垂らしているのは上記の結袈裟

 腰の皮は鹿皮にて引敷(ひっしき)。
 行者が獅子に乗ることによって法性に入ることを表し、実用には岩角等に座する用具。 兎の皮もあるそうだ。


73img_5212 左画像が法住院境内とかさもり稲荷である。 この2月27日に撮影したが、柴燈大護摩供の跡がまだ残っていた。
 白梅が境内の一角を華やかにしていたが、次回はこの法住院をご紹介したいと思う。
 法住院は寛政5(1793)年の松尾芭蕉百回忌に建てられた蘇鉄句碑でも有名だ。
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2006年12月17日 (日)

≪フォト俳句(267)≫12/17 ③銀杏・冬紅葉 (梅香寺)

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2img_1605 前回に梅香寺の紅葉を題材とした画像に写っていたが、梅香寺の象徴的な樹は高々と聳える銀杏である。 
 「日々身辺抄(12月4日)」 でも柿の木を取り上げた折にご紹介した事がある。

 そこで梅香寺の三回目記事はこの銀杏の黄葉振りの画像を並べて見たいと思う。

 左の画像もそうであるが、まだ青葉の残っている銀杏の画像は11月27日に撮影したものだ。 
 その他は12月3日と8日に撮った。


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 上の画像は一週間での黄葉の変化の様を、下の画像は紅葉との競演を撮ってみた。
 
 銀杏を詠んだ句で最も有名な句。


          銀杏散るまつたゞなかに法科あり  山口青邨


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                銀杏散る兄が駆ければ妹も  安住敦


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             とある日の銀杏もみぢの遠眺め  久保田万太郎


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7img_2715 12月15日にも梅香寺を訪れてみたら、銀杏は右の画像のようにすっかり散り果てゝ枯木となっていた。

 銀杏(イチョウ)の学名である Ginkgo biloba の Ginkgo は銀杏の日本語の音読み「ぎんきょう」 が元になって付いたものだ。 また biloba は二浅裂の意味。 
 しかし中国原産にて昔中国に留学した僧が持ち帰り寺院に植えた事から日本に広まった。

 公孫樹(イチョウ)とも書くが 「公」 は祖父の意味にて、祖父が種を蒔いても実が生るのは孫の代になる事からの名だ。

 また銀杏は精子を持つ雌雄異株の樹木にて 他には蘇鉄に見られるだけの特異な植物であるが、発見者は日本の平瀬作五郎。 生きた化石と言われ僧侶が寺院に植えていた為に現存している と図鑑に記載されていた。

 なお 銀杏の花と若葉については №231にて伊勢神宮外宮の駐車場の藤の花と共に取り上げた事がある。


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                                   .
 序でに 銀杏が枯木となっていた15日の紅葉も撮影したので載せてみた。
 紅葉もかなり散ってしまって梢も薄々としてきているが、極まりに近い紅葉の色はどこか淋しさを感じる。
 前回も載せた句だが句意が最も相応しいので再掲する。


       極まればものみな淋し冬紅葉

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2006年12月10日 (日)

≪フォト俳句(266)≫12/10 ② 紅葉 (梅香寺)

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 前回、百五銀行筋向橋支店横の梅香寺のまだ青葉の目立つ楓の紅葉をご紹介をした。
 11月27日撮影の画像であったが、その後も12月3日と8日に再訪した。 
 
 デジタルカメラはフィルムカメラのように枚数を心配する必要が無いので 短いながら時間の許す限り撮影したが、その中から三日共によく似たアングルで撮っていた画像を並べてみた。
 画像を拡大して紅葉の色の深みゆく様子をご覧頂ければと思う。 3日のみが日射しのある撮影だったが、紅葉そのものを撮影するのには薄曇りの時が一番綺麗に写るようだ。

 約5日毎の紅葉の変化を見るのは実に楽しかった。 さほど大きくもないたった一樹の紅葉がこんなにも境内を華やかに見せるのは驚きに近い。 
 紅葉 黄葉は伊勢の町中でも今年は例年になく美しい。  


               紅葉且つ散つてわが町美しき    


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                 紅葉且つ散つていよいよ色の濃き


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                   こんなにも空青くなる冬紅葉


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                  極まればものみな淋し冬紅葉


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               夕映に何の水輪や冬紅葉  渡辺水巴


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            冬紅葉冬のひかりをあつめけり  久保田万太郎


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             日おもてにあればはなやか冬紅葉  日野草城


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             一日づつ一日づつ冬紅葉かな  後藤比奈夫


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              朱よりもはげしき黄あり冬紅葉  井沢正江


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              紅葉かつ散る気に入らぬ服なりし  辻桃子


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              冬紅葉一葉一葉と散り惜しむ  細見綾子


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               紅葉明るし手紙よむによし  尾崎放哉


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             恋ともちがふ紅葉の岸をともにして  飯島晴子


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             この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉  三橋鷹女


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              大紅葉燃え上がらんとしつつあり  高浜虚子


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                夕紅葉色失ふを見つつあり  高浜虚子

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               敷石に紅葉散りけり門の内   寺田寅彦

      
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2006年12月 3日 (日)

≪フォト俳句(265)≫12/3 ① 紅葉 (梅香寺)

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 私の一番利用する百五銀行筋向橋支店の路地を隔てた隣に梅香寺が建つ。
 「日々身辺抄」の10月23日にて柿の木を取り上げた折 百五銀行との間のこの路地の画像を載せた事がある。

 伊勢神宮のお膝元の伊勢でも寺院はあるのかと県外の人に訊かれる事があるが、朝熊山の山頂には大寺院の金剛證寺があり観光名所にもなっている事は№237でご紹介した。 
 町寺だが伊勢市内にも寺院は多い。 我が家から歩いて10分以内にも 6寺位を数える程だ。
 伊勢市内でも神式より仏式で葬儀を行うほうが圧倒的に多いからである。 一般市民の8割前後が仏式だと思う。 伊勢地方であったとしても市内以外となると全てが仏式だろう。

 明治に祖霊社が建立され、そこで神式の葬儀を執り行うようになる迄は伊勢神宮の神職や職員でさえも葬儀は仏式にて行われた。 高級神職のみが伊勢神宮での神式葬儀だったのだ。 
 祖霊社と神式葬儀については№180 №181で少し詳しく触れた。 


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 11月27日の事。 銀行の駐車場から梅香寺の大銀杏が黄葉しだしているのが目に留まった。
 序でに寄ってみると、銀杏よりも 楓の例年になく鮮やかに紅葉しているのが目を惹いた。
 前々回にご紹介した花水木の紅葉もそうだったが、あまり美しく紅葉しない伊勢市内にも拘らず今年は特別に鮮やかだ。


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 もう初冬の時期にも拘らず青葉も残り部分的には初紅葉の雰囲気もある。 
 緑と紅の対比が鮮やかで美しい。 ぜひ画像一枚々々を拡大してご覧頂きたい。


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 梅香寺は瓦の葵の紋からも推察できるように歴史も由緒もある寺院である。
 小さな境内だが他の植物など撮り溜めてきた画像もあるので、今と今迄とを行きつ戻りつしながら 暫くは梅香寺を題材として進めていきたいと思う。


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           障子しめて四方の紅葉を感じをり  星野立子
         

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                 濃く淡く庭を深めて紅葉せり


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2006年10月 5日 (木)

≪フォト俳句(254)≫10/5 等観寺

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 伊勢神宮の神前町とは云え 伊勢市内には寺院も多数存在する。 我が家から歩いて10分以内の所にでも5つ6つを数える事が出来る程だ。 何処も小さな町寺にて観光の対象ではないけれど、それなりの古い歴史を持つ。

 9月10日の№249にて珊瑚樹を題材とした神社 坂社の隣にも寺院が仲良く並んで建っている。
 「等観寺」 である。  


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 「等観寺」 については№210で白梅を、古くは№55で百日紅、凌霄花を題材にして取り上げた事もある。

 10日程経つが等観寺前の歩道に咲いている鶏頭を撮影していて、門前の松の見事な緑に気が付いた。 緑豊かな老松とその枝振りを撮影してみたので、再度 等観寺を取り上げてご覧頂く事にした。


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 等観寺は1394年に後小松天皇の勅願により建立されたと云う古く立派な歴史を持つ。
 一時期は常住雲水30名を数えた曹洞禅宗の大寺院の威容を誇り、末寺36を擁した中本山であった。
 1706年に焼失し5年後再興されたが、それで規模が小さくなってしまったのだろうか。 そこのところは知らない。


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 等観寺の庭を囲む白塀と対比して坂社との境に茂る珊瑚樹の実の紅色が鮮やかだ。


                  珊瑚樹や寺と社と隣り合ひ          


 下の画像は3月に白梅を撮影した折の松だ。 今回撮影した松の画像と比べてみて その色の大きな違いに今更ながら気が付いて驚いた。


               雲流れたしかに秋の松の幹  桂信子


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2006年9月20日 (水)

≪フォト俳句(251)≫9/20 ② 岡崎行(近鉄特急車窓)

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 前回に触れた伊勢市駅はJRの駅舎にて近畿日本鉄道の特急も停車し、我が家からは近い事から近鉄に乗るのにも専ら伊勢市駅を利用するが、近鉄の伊勢市玄関口は冒頭画像の「宇治山田駅」である。 但しこの画像は正月に撮影したものだ。 大きな門松が写っている。

 「宇治山田」とは50年前まで伊勢市の旧市名であった事から今もそのまま駅名となっている。
 この近鉄「宇治山田駅」は昭和6年(1931年)建設の中々趣のある名建築の駅舎だ。
 国の登録有形文化財にも指定されていて一見の価値があるが、存命であれば97歳となる父が
20代の折に正装して新築早々の宇治山田駅舎の前で記念写真を撮っているのがアルバムに残っている。


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 今回からは岡崎句会に出掛ける折の近鉄の車窓風景を取り上げてみたいと思う。

 伊勢市駅を発車すると伊勢市町中はあっと云う間に過ぎて市内西を流れる宮川を渡る。
 宮川は日本有数の多雨地帯である奈良県境の大台山系を源流とし、三重県下最長の一級河川であるが何度も水質日本一に選ばれた清流だ。 上の画像左2枚がその宮川である。 
 右端の画像は伊勢市の隣の松阪市の手前を流れる櫛田川。 全長約85kmの一級河川だ。

 宮川を渡ると伊勢平野の田園地帯が広がる。 9月12日の景であるが 稲田は全て刈り取られていた。
 伊勢平野の稲田は例年8月の中頃に稲刈りを行うが、今年は梅雨が長引いた影響で9月初め迄ずれ込んでしまった。


                  稲刈つて畦の緑の幾何模様


 しかし刈田には早くも「ひつぢ」が見える。
 「ひつぢ」とは稲を刈ったあとの切り株から、青い芽が萌え出てくる事を言う。 秋の季語にて俳句に親しんでいる方ならご存知だろう。
 ‘櫓’の偏が‘禾偏’となる漢字が「ひつぢ」であるが、変換できないので平仮名で書いた。

 
             らんらんと落日もゆるひ