芽吹山  (自句寸感)

          大寒の街透きとほる月明り   加藤暢一
          伊勢道の一歩一歩に春来る     暢一

 立春と言っても実際は大寒と変わらぬ寒さです。 それどころか最も厳寒の時期かもしれません。 しかし今日は立春と思う目で自然を見ると、そこここの草木に春の兆しを窺うことが出来て嬉しくなります。

 学生時代の大阪・京都、そして神戸と二十年近く在住のあと、家業を継ぐ為に伊勢に帰郷した私は、それだけに郷土への思い入れが強いのでしょうか。 伊勢という郷土色の強い句を愛着をもって多く詠んできたようです。


          神鶏の人に親しき花馬酔木  暢一

 伊勢神宮外宮での景。 伊勢神宮は観光客にお馴染みの内宮と、伊勢市街中心部に位置する外宮とからなります。
 外宮までは我が家から徒歩十五分ほど、神苑に勾玉を模った池も広がり早朝散歩のお気に入りのコースです。


          明るさに匂ひありけり芽吹山  暢一

 伊勢神宮外宮の神領区に隣接する雑木山。 
 麓には母校が建ち、山中に遺跡も見られ趣のある散策の場です。

 伊勢神宮も雑木山も多くの句を恵んでくれました。 郷土に感謝です。

                          (寒露集二【巻頭作品に寄せて】 加藤暢一)2009

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初仕事  (句評)

          反り返る暦を正し初仕事  加藤暢一


 この句は前出の大平芳江さんの 「真つ白な月日の怖し初暦」 の句と趣を異にして、暦そのものを詠み、句の中心は<初仕事>である。
 たしかお店をなさっている加藤さんは、巻き癖のついた店頭のカレンダーを正し、新年初めての仕事を心新たに始められた。
                                         (真保喜代子氏) 2009

 

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冬の海  (句評)

          冬の海喪服を提げて旅にあり  加藤暢一


 五月号寒露集二の巻頭を占めた五句の中の一句。
 作者は伊勢の人である。ご本人との話の中で、二見ヶ浦も近いと聞いたことがある。 
 この冬の海は伊勢湾の海であろうか、それとも志摩半島を越して広がる熊野灘でもあろうか。
 そんな詮索は無用の事と承知しながら、南紀、伊勢、志摩の地図を広げてしまったが、喪服を提げて喪から帰る作者の目に映った冬の海は、見慣れた地元の景であろうか、それとも初めて訪れた地の冬の海の景なのか、又しても思いあぐねるのだが、白浪の見える限りは喪心は去らないようだ。
                                         (青山丈氏) 2008

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大夕焼 (自句寸感)

          志摩半島大夕焼に突き出でぬ  加藤暢一


 私の所属している結社「朝」東海支部の伊勢志摩吟行会の準備の為に予定地を一日かけて巡った折に詠んだ句。 
 志摩から南島地方を一人旅した事になり 吟行会当日よりも楽しかったかも知れない。
 
 最期の予定地を訪れた頃には既に夕方7時頃。
 その時 朝から曇り空であった西方の雲が割れて沈もうとする太陽が顔を出した。 
 思わぬ大夕焼けの海の景となり、まさに息を呑む程の美しさであった。

                                       (加藤暢一)2006

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冬燈  (自句寸感)

          母が寝てしまへば孤り冬燈  加藤暢一


 以前に私の作品は母をよく詠んでいる事が特長の一つであり、以外にも時に母への思いを深く感じさせる句がある、との主旨のご鑑賞をある方より頂いた事があります。
 それまでは意識の外でしたが、掲句からもお察し頂けるように、母と二人暮しの私が日記のように俳句を綴っていれば当然なのかも知れません。


          思ひ切り燗酒熱くして独り  暢一

 公私にわたって多忙な上、まずまず平穏な日常です。
 母との二人暮しを決して淋しく思っている訳ではありません。 母の就寝後、夜更けて独り酒を酌んでいると、ふと孤独を感じる時はありますが、それを楽しんでいる私がいたりする事もあるのは俳句のお蔭でしょうか。


          冬の海喪服を提げて旅にあり  暢一

 伯父(母の長兄)の葬儀の為、金沢に出掛けました。 日常に不自由の無い元気な母ですが、老齢の身には少し無理があり、私一人の旅となりました。

 俳句は日記。 眸先生のお教えを座右の銘とさせて頂いてきたお蔭で、どの句にも思い出が詰まっています。

                          (寒露集二【巻頭作品に寄せて】 加藤暢一)2008

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暮早し  (句評)  

          暮早しまだ一仕事二タ仕事  加藤暢一


 短日の心急く頃、自分にはまだもう一つ今日中に片づけなければならない仕事がある。 
 いや、一つではない、二つあった、という心の動きがそのまま読み取れて面白い。
 言葉の持って行き方によって、心の動きが生き生きと表されている句だ。
 一仕事二タ仕事と、並べて数えているのではない。 
 働き盛りの年代の実感であろう。
                                         (西村和子氏) 2003

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河骨  (句評)    

          花咲いて河骨と知る通ひけり  加藤暢一


 スイレン科の多年草の河骨は、沼地や小川に長卵形の葉を密生させる。 盛夏になるとその葉の中から実に鮮やかな直径二センチほどの黄色の花を上向きに咲かせる。 
 ああこれが河骨の花か、と加藤暢一さんは感動する。 そして暇が出来ると見に行くことになる。  
 下五の (通ひけり) の転換が句を心地良くする。 河骨は男にとっては可憐な花である。
                                           (青山丈氏) 2007

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半旗  (自句寸感)    

          パンジーの花壇より立つ半旗かな  加藤暢一


 平成18年2月末に伊勢市長が急死した。私の知人にて高校の後輩でもあり、一ヶ月程前に話を交わしたばかりのところである。
 真相はよく分からないが、警察の調べで自殺と云う結論となり尚のことショックを受けた。
 亡くなった翌日から伊勢市役所の国旗や市旗は半旗になっていたが、3月7日の散策時に市役所の前を通りかゝった折にも半旗が重く垂れており思わず目頭が熱くなった。
 後に市長選挙が実施され 森下隆生氏が当選して新市政がスタートした市役所に寄っても、前市長の不幸は触れるのもタブーのような雰囲気が感じられて淋しい。
                                          (加藤暢一) 2006

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藤袴  (自句寸感)   

          藤袴咲いて莟の紅惜しや  加藤暢一


 植物の名に疎い私は聞くは一時の恥と割り切って遠慮なく尋ねる事にしている。
 東海支部例会の会場で目にとまったのが、ごく小さなマッチ棒を十数本束ね、それを上から眺めたような赤い可憐な花である。
 早速句友に名を教えて頂くとそれは藤袴。 但しこれは未だ莟、こちらが花と指されたのを見ると、白っぽい繊毛のようなのがもじゃもじゃとしたあまりぱっとしない花であった。


          母老いて撫子似合ふ誕生日  暢一

 弟から毎年母の誕生日に花を送ってくる。 今年は撫子。 
 嬉しそうに食卓に飾っている母を見ていての実感。 老いてこぢんまりとしてしまったが、母は結構美人である。


          桐一葉素足の暮らしここらまで  暢一

 淮南子は天下の秋を知ったが、素足で草履を履いていた私の場合は卑近である。 但し詩に昇華出来たと思っている。


          ゆふぐれに少年泣けり曼珠沙華  暢一

 所謂純文学を一番愛読していたのは中学高校時代であった。 泣いているのは多感な少年時代の私であり、そしてその時代の気分を未だに引き摺っている現在の私である。
     
                          (寒露集二【巻頭作品に寄せて】 加藤暢一) 2003 

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冬帽子  (句評)   

           北へ行く鞄の上の冬帽子  加藤暢一


 温暖の国に住む者なら誰しも寒冷の地に哀愁を覚える。
 それだけに言葉だけが先走ると、安価な歌謡曲の感傷に堕する。
 さすがに作者は、言葉の説明を排し全ての思いを鞄の上の冬帽子に託した。
 きちっと揃った両膝に乗る旅鞄。 その上に置かれた冬帽子。
 そこから浮かび上がる生真面目な人間像と状況は、冬帽子によって無理なく読みとれるのである。
                                         (見留貞夫氏) 1990

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伊賀  (句評)  

          麦を踏む人ゐて伊賀の山の里  加藤暢一


 なつかしいやさしさの漂う作品である。 明快であり音読して調べが良い。
 飛燕賞受賞後は、新しい領域への意欲に加えて花鳥諷詠を踏まえた作風の研究に打ち込んでいるようだ。
 伊賀上野の景である。 穏やかな日ののんびりした農村風景がバロック風に描かれている。
 しかしこの季節の伊賀の山里はまだ寒い。 枯れた林や、遠い雪嶺を背景に風の強い日もあり、そんな中での麦踏の厳しさが美しく穏やかな景の背景に詠みこまれ、作品の奥行を深めているのである。
                                        (高橋さえ子氏) 2003

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除夜の湯  (句評)  

         除夜の湯へ行くたれかれに会ひたくて  加藤暢一


 三重は伊勢市在住の作者。 俳句研究の 「岡本眸特集」 に感銘。 眸先生に魅せられて俳句を始められたという、商店街で経営されている作者。
 さてこの一句。 仕事納めはどうしても夜遅くまで続ける作者は、この夜だけは町内の銭湯に出かけると云う。
 一年中の垢を落とし合いながら、同じ商店街の仲間との話し合いが愉しい。
 数十年を苦楽をともにした男同士の裸の付き合いである。
 この一句の裏側にある庶民的な作者の顔が好ましい。
                                       (長沼三津夫氏) 2004

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不況  (自句寸感・句評)  

          メーデーや店主は不況かこつのみ  加藤暢一
 

 父が朝日新聞の三重県版に投句していても興味を感じなかった俳句でしたが、たまゝゝ手にした俳句研究の眸先生の特集に感銘を受けた事が俳句入門の切っ掛けです。
 いろはも知らぬまゝ俳句らしきものを作り、俳句研究読者俳句にて眸先生の御選を受けながら一年近く迷った末、思い切って「朝」に入会したのが昭和62年2月。 
 翌年父が亡くなったり一身上にもいろいゝゝあったりして、何度かのブランクを経ながら投句は欠かさず続け現在に至っています。
 入会して間もなく都筑典子さんを中心として東海支部が発足し、ご指導を頂けた事が幸いでした。
 身辺に句友のいない私にとって月に一度の岡崎での句座が唯一の励みであり楽しみです。
 しかしこの不況は地方の小さな商店にも深刻です。
 恋の悩みは句になりますが、商売の悩みはどうも…。        (加藤暢一)
 
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 吟行会のお世話役で大忙しの中でも、いつも、はっとする佳句を発表する暢一さん。
 商店の経営は気骨の折れるもの、その中での懸命な作句ぶりを拝見していると、漆器問屋だった主人のことを思い出します。 頑張って下さい。           (岡本眸先生) 2000

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鵜  (句評)  

          がうがうと鵜の鳴く小屋の暗さかな  加藤暢一


 古式豊かな鵜飼は鵜松明の光と闇が織りなす神秘の世界で風情がある。
 掲句は鵜達が小屋の中で群れている景であろう。
 鵜の鳴く声と、小屋の暗さも相まって、如何にも鵜飼の悲しい運命を象徴している句である。 
                                           (台迪子氏) 1995

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籐椅子  (句評) 

          籐椅子や読書音楽酒少し  加藤暢一


 やっと授かった余暇を、目一杯楽しんでいる様子が、面白く詠まれており、生活と俳句の同化のさまを見る思いがする。また十七音という枠の中で、如何に俳句を楽しむか。その見本のようなユニークな一句である。


          よく笑ふひと去つてまた寒き部屋  暢一

 推敲の手柄であろうか。十七音に、これ程の内容をよく納められたものだと、その技に感心。


          旅をして冬めくものに足の音  暢一

 旅を楽しんでいるつもりが、ふっと俳人としての眼が働く。働いてしまうと言うべきかも知れない。 もの静かな口調ながら、心理的に強く訴えるものがある。


          紅葉且つ散る六十にあと二歳  暢一

 還暦を目前にした作者の微妙な心情が、季語「紅葉且つ散る」に言い寄せられた、奥行のある作品。
 俳句の骨法を十分に呑み込んでおられ、自分なりの表現模索の時代にあると見受けられる。
 総じて、言葉の扱いの巧みさを強く印象した。

 作者は伊勢市に住まわれ、まわりに句友もいない事から、月一回の東海支部岡崎句会を唯一の勉強の場とされている。乗り継いで二時間半かかるそうであるが、とも角楽しみで、仕事を休んで毎月欠かさず出席されているとの事、熱意の程が分かる。又その句会は少人数ながら、とても意欲的なもので、各句について活発な討議がなされるそうで、氏の堅実な成長の拠は、ここにあったのだと思い至った次第である。

 また氏は郷土、伊勢を詠いつづけて倦まない。


          伊勢平野美しや五月雨五月晴  暢一
          妻入の家並も伊勢や片かげり  
          一塊の杜一塊の蝉時雨      


 今年も数々の秀句が生まれた。いずれも骨太の、見事な写生句である。
 新味を狙いつつ、次々と作句に励む。それは即ち自分への挑戦でもあろう。 

                        (飛燕賞受賞作品へのご寄稿 坪井洋子氏) 2003

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鳥雲に  (句評)  

          鳥雲に廻り道して旅ごころ   加藤暢一


 加藤氏はここ何年か「朝賞」候補にもなり成績も良い。


         コンビニへ寝酒を買ひに夜のつつじ  暢一
         教会に人の婚見る懐手     
         旅をして冬めくものに足の音
         通勤の朝な朝なの桜かな
         

など、氏に於いては旅と日常はかけ離れたものではなく、日々の自分を多少の哀感を交えて詠み魅力的である。
                                        (真保喜代子氏) 2003

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神無月  (句評)  

          寺を訪ひ教会を訪ひ神無月   加藤暢一


 初冬の多治見。東海支部長の都筑典子さんと作者のほか会員一同で計画した永保寺と修道院での吟行。
 永保寺を川沿いに少し歩くと男子修道院がある。
 敷地一帯が葡萄園になっていて聖堂の地下室には大きなワイン倉があったりする。
 掲出句は<教会>と<寺>というモノがそのまま並置され端的、率直な詠法で自由自在な詩となっている。
 素材の新旧は意識の外、感受した鮮度を目前の景として表現し得た、若々しい作品である。
                                        (高橋さえ子氏) 2002

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冬めく  (句評) 

          旅をして冬めくものに足の音   加藤暢一


 山中、あるいは木立の中をうつむき勝ちに歩いてゆく、一人の旅行者の姿が髣髴としてくる。
 「冬めく」は初冬の季。 木々に残った葉が時折、風で散ってくる。
 めっきりと日は詰まり、木の根元はすでに冥く、力無く残照は梢にとどまっている。
 流水はまだ涸れを見せず、秋から冬へ、冬へと激しく急いでいるように見える。
 水の音、風の音、時折の人声、その中でふと、作者は自らの足音に耳をとられた。
 一人歩む自分自身の足音、その微かな足音こそが、もっとも冬めくものである、と作者は感じとったのである。
 季節は自分のいのちの中にある。
 人生は旅、畢竟は一人旅…そんな思いが作者を捉えたのかも知れない。
 しみじみとした孤独感が胸をうつ。 それでいて、旅への憧れをかきたてもする。
 ふしぎな青春性を併せもつ注目作である。
                                         (岡本眸先生) 2002

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石蕗日和  (鑑賞)  

          海光の一輪をもて石蕗日和   岡本眸


 待ちに待った眸先生の第九句集「流速」を繰り返し拝読している時にこの原稿依頼を頂いた。
 平成七年から十年迄の四年間の師の作品にはそれぞれ私なりの感慨があり、またあとがきを拝見すれば尚更にしみじみと心に沁みるのである。
 特に師とご一緒させて頂いた折に詠まれた作品となれば一段と思いを深くする。

 掲句は平成八年十一月三十日、伊良子岬にお出で頂いた時の作。
 一輪の石蕗の花から初冬の海の輝き、空の明るさの大いなる景が描かれている。スケールの大きな写生句は眸俳句の魅力の一つである。


         冬麗の大河一微の涸れもなし  岡本眸


は平成九年に桑名及び木曾三川にご一緒させて頂いた時に詠まれた句。感嘆すると共に納得する。大きく詠みあげながら少しの誇張もない。                  
                                          (加藤暢一) 1999

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厚き手  (鑑賞)  

          露寒の握りて厚き手なりしよ   岸風三樓


 俳句は己の心の記録である、と思っている。だから、もし句集を編んだ折には自分が呼吸をしている今の世相が通読して背景に匂うような句集でありたい。
 個々の句を抽出した場合は兎も角として、極端な表現をするならば明治時代なのか今の時代に詠んだ作品なのか分からぬような句集では困るのである。
 
 さて掲出の風三樓先生の句は昭和41年の作。
 昭和30年前後より社会性俳句の論争が活発となり、戦前「京大俳句」にも加わり


          軍需工業夜天をこがし川涸れたり  風三樓


等の作品を残している風三樓先生にとっても無縁であったとは思われぬが、しかし先生は社会性を匂いとして感じさせながらも独自の人間性豊かな作風にて「生活派」と称される。

 例えば

          戦後長し汗の鞄を今も抱き  風三樓


は昭和33年作。深く感銘し共鳴する所以である。風三樓先生は私の大学の大先輩でもある。
                                           (加藤暢一) 1999

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運動会  (句評)  

          運動会見てゐて昔見てゐたる   加藤暢一


 徒競走でも、綱引でもよい。子供達の競技を見ているうちに、
 かってのご自分の姿が重なって、一着のテープを切っておられたのかもしれない。
 私はいつも、びりだったので、それなりの悲しみをもって、昔を見るのだ。 
                                         (鹿野佳子氏) 1999

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木の実  (句評) 

          木の実落つ四方街音の杜の中   加藤暢一


 街にかろうじて残っている神社の杜の様子が
 季語の「木の実落つ」に載って鮮明に表現されている。
 杜を筒抜けの街の音とは別の木の実の落ちる音の存在が印象深い。
                                         (仲村青彦氏) 1998

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紫陽花  (句評)  

          開店準備まづ紫陽花の鉢を外に   加藤暢一 


 手順のよい開店までの様が、すがすがしい朝の緊張感と花への愛着、
 お客さんを大事にするよいお店らしさが伝わる。
                                         (鹿野佳子氏) 1998

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梅雨に入る  (句評)  

          伊勢平野大きく梅雨に入りけり   加藤暢一


 伊勢湾の海岸沿い、伊勢平野は長く特に志摩半島は広がりを持つ。
 旅の車窓より見る田園風景は梅雨期に入ったのである。伊勢神宮に象徴されるこの景は、神々しく重厚な大気と豊潤な大地である。
 因みに日本一降雨量の多い尾鷲市も在り、半端でなく即ち大きく梅雨が到来するのである。
 これより一ヶ月余り、作者は勿論のこと、農漁業に携わる人々の骨折りや、住む人々の生活の覚悟もうかがえる。
 格調高く詠い上げ伊勢平野が揺るがない。               
                                        (小島みつ代氏) 1998

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春の雲  (句評)  

          春の雲ふはふは旅にゆきたけれ   加藤暢一


 天真爛漫と申し上げては失礼であろうか。
 いやいや、このように絶妙な言葉のあそびは、句作りの酸いも甘いも承知の達人でなければ出来るものではない。
 等々、暫くはこの句を前に行きつ戻りつした作品であった。
                                          (萩原記代氏) 1997

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小春日  (句評)  

          小春日や通勤電車海に沿ひ   加藤暢一


 気持ちのよい一句である。
 朝の海は眩しく輝き、夕べの海もまたすべてを抱擁するかのように凪いでいて、
 快速で走る通勤電車にそそぐ小春の光が見えるようである。
                                        (前田千枝子氏) 1997

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冬籠る  (句評)  

          旅終へてあと平凡に冬籠る   加藤暢一


 作者の年齢は存じ上げないが、たんたんと述べた表現におのずから一抹の寂しさも滲んで…。
 そんな日常から変化を求めて行動を起こし、旅に出た。
 少し刺激的で少し新鮮であった幾日だが所詮旅は旅である。
 中七以下のまことに素直な措辞の効果,中々どうして平凡ではない構成と、感服した。 
                                         (萩原記代氏) 1997

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落葉  (句評)  

          落葉掃く次の落葉のために掃く   加藤暢一


 課題句の中で‘落葉掃く’という内容は多かったが、
 この句は作者の一歩踏み込んだ切り口が目を引いた。
 新しい箒目の上に誘われる様に次の落葉が散ってゆく映像が鮮やかで美しい。
                                         (大平芳江氏) 1996

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蓑虫  (句評)  

          蓑虫や捨てきし夢の二つ三つ   加藤暢一


 伊勢在住で、東海支部の大切な世話役のお一人である。
 師選に入選した折のうれしそうな顔は、少年のようである。
 句座を何度か共にしているが、常に吟行なので掲出句のような作品には出会えない。 
 作品を書き出してみて改めてそれまで見え隠れしていた作者がある輪郭を持って見えて来た。
 しっかりとした写生句に魅かれていたのだが、巾のある作風に改めて期待した。
                                         (望月百代氏) 1995

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霞む日  (鑑賞) 

          霞む日や人の面に波しぶき  岡本眸


 遠霞の海を見やりながら佇んでいると急に海辺の方に波しぶきが上がりそこに遊ぶ人の面にかかってしまった。
 水温む海辺の微笑ましい一風景を描いた掲句ではあるが、「霞む日」の物憂い感じ、「人の面に波しぶき」と少し突き放したような表現。そこにはあらあらと驚き見ながらもそれを独り傍観している姿がある。
 眼前の景の静と動を確実に写生しながら対象との心理的な距離をさりげ無く言い止めておられる。
 
 それでは心理的な距離はどこから来るのか。孤独感からと単純に言えるものでもない。それは先生の心の内のものだ。
 先生の句に深読みは似合わない。その雰囲気に感応出来ればよいのだ。
 眸先生の句が人を惹きつけてやまぬのは風生先生に特異の詩神経の持主と言わせながらも、その独自の高い詩性が実感と具象性に裏打ちされているからであると思う。
 
 まだ初学の頃、十周年吟行会で幸いにも入選し、眸先生から「実感ですね」とお声を掛けて頂き感激した事は大切な思い出であるが、不肖の弟子は未だに具象性を大切にと時々叱られている。
                                          (加藤暢一) 1996

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姥子の宿  (鑑賞) 

          一もとの姥子の宿の遅桜   富安風生


 先日亡父の蔵書を整理中に実業之日本社発行(昭和四三年)の『俳句鑑賞三六五日』を見つけた。
 風生先生が四月の項を担当し三十句を鑑賞している。つい部屋中に本を散らかしたまゝ読み耽ってしまった。
 先生は鑑賞文の中で折に触れホトトギス時代を懐旧し、「初学時代いちばん勉強になったと思うのは『ほととぎす』の雑詠句評会という場であった」と述べておられる。
 折りしも先般稲畑汀子氏監修の『ホトトギス雑詠句評会抄』が発行され好評を博している事はご存知の通りである。
 
 掲句は今さら言うまでもない風生先生の代表句であるが、『ホトトギス雑詠句評会抄』では昭和五年七月の項にて取り上げられている。
 他の出席者が「大して取り柄はないが姥子の宿を持って来たところがいい」「一寸古風な味がある」等と評したのに対して、虚子は「決して古風ではない。今の人の鋭敏な感じでなければ斯くいう句は作れない。再三再四舌頭に載せて味わってみるがよい。必ず私の言葉の欺かぬことを覚るに至るであろう」と絶賛している。
                                          (加藤暢一) 1996

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春の山  (句評)  

          春の山海見えるまで登らうよ   加藤暢一


 男性の作品が、女性より繊細で優しいというのはまま有る事だが、この作者もその一人である。 母上などとよく家族を詠まれている。
 掲句も光眩ゆい「海」への憧れは、母上への思いが深くあるのだ。


          冬林檎美味しと妹の癒ゆるなり   暢一
          母麗しカーテン替へて薔薇活けて
          伊勢平野押すな押すなと夏の雲


 リズムカルで楽しい、自分に近い所で作っているのは好ましい。
 吟行会で見せる写生句も仲々で、硬軟相まって器用なのかも知れない。 
                                        (小林希世子氏) 1996

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伊勢平野  (句評)  

          伊勢平野押すな押すなと夏の雲   加藤暢一


 三重県の東部に当り、伊勢湾に面した広い、平坦な海岸平野で、農、工業など、県の産業の大部分を占めている。
 そうした活気に満ちた土地だけに、犇いて峰を作り出す夏雲の力感が壮快に伝わってくる。
 大景に気圧されず、堂々と詠み切ったところに、作者の進境が見える。  
                                         (岡本眸先生) 1995

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仔猫  (句評)  

          温もりと云ふ重さあり掌に仔猫   加藤暢一


 深い愛情を持って生まれたての仔猫に対している作者の心が、温もりを重さと感じたのだ。
 まことに繊細な感覚である。
 本来なら掌にのる仔猫は軽い筈であるが、一つの命を大事に緊張してみつめておれば、重く感じる事は十分納得出来る。
 命の尊さを上手に吐露していて味わい深い。              
                                        (小島みつ代氏) 1993

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風の盆  (鑑賞)  

          はるばると来てさみしさを踊るなり   岡本眸


 もう二十年にも昔の事になろうか。兵庫県神鍋山の民宿に逗留した折、宿の娘に村祭へ連れていってもらった事がある。
 戸数の少ない山村の事とて、暗くて狭い境内に数十人の村人が集まって笛を吹き太鼓を叩き小さな踊りの輪をつくっている。酒を振る舞われた迄は良かったが無理矢理踊りの輪の中に引っ張り込まれたのには閉口した思い出がある。
 
 師の掲句に出会った時、今まで思い出しもしなかったその事がまざまざと蘇ったものである。
 日本の唄や踊りはどうしてこうも哀調をおびているのだろう。神輿を担ぐ時の威勢のよい掛け声すらも聞きようによっては時にそう感じる。
 わび・さびを持ち出すまでもなく日本人はさみしさを楽しむ心情を一面として持っているのかもしれない。
 師もまたはるばると来てさみしさを楽しみながら踊っておられるようだ。     
                                          (加藤暢一) 1992

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蚊  (鑑賞)  

          すばらしい乳房だ蚊が居る   尾崎放哉


 自由律俳句は禁断の木の実である。
 定型の枠の中で格闘する事によって凡庸な自分でも能力以上の作品が生み出せると私は思っている。
 しかし定型を無視したり破る事によって成立する自由律俳句は天才にしか鑑賞に堪えうる秀句作品を生み出しえない世界であろう。だから尾崎放哉、種田山頭火等のごく限られた天才俳人を世に残したのみで自由律俳句は衰退していったのだ。
 それだけに逆に優れた自由律俳句に出逢うと実に新鮮で魅力的に思え、ついつい自分も定型を破ってみたくなる誘惑にかられる。
 まさに天才でも何でもない私にとっては禁断の木の実であり手を出してはいけないのだ。
 掲句は放哉が小豆島西光寺の寺男になってからの作品。山本健吉氏はタヒチ的風景と評したが、健康で豊かな乳房と一匹の蚊との取り合わせはまさしく昔の日本の漁村風景であったろう。
                                          (加藤暢一) 1992

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寒鴉  (句評)  

          われ死んで泣くは誰々寒鴉    加藤暢一


 例えば、会葬者として見た景からの発想としてもよい。
 泣くことが、悼む深さであるとばかりは言い切れないが、掲句の「泣く」は本当に悲しんで泣くの意味。
 つまりこの世で自分を必要とし、大事だ、いとおしいと思ってくれる者が、死ぬときにいるかどうかという厳しい自問の句。
 鳴呼という胸中の声は、寒鴉の声と重なって淋しい。
 誰にも避けられない老いと死。読者の自問へと擦り替わる。  
                                         (植松安子氏) 1992

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夏来る・雪の果  (句評)  

          街白くなりづかづかと夏来る   加藤暢一


            まぶしさを先立てて夏が大股にやってくる。
            ‘ づかづか’ に新しさはないが四季の、
            どの季節の到来よりも夏にふさわしいといえる。
                                 

          伊勢志摩の初雪にして雪の果   加藤暢一


            比較的温暖な伊勢志摩地方に珍しく雪が降った。
            が、それ一度きりで、あとは穏やかな日和のまま。
            寒もそろそろ明ける…。
                                         (岡本眸先生) 1987

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遅桜  (句評) 

          人柱祀る祠の遅桜    加藤暢一


 昔は橋を架けたり、城を築いたりする折人柱を神に捧げ土中に生き埋めにしたという。そんな民話が日本の至る所に語り伝えられている。 
 さてこの句に詠まれている人柱、村人の間に語り継がれその哀れさに死者の鎮魂にと小さな祠が建てられたものと思う。
 祠の廻りに植えられた桜の木も樹齢を経て美しい花を咲かせ、花季となると人柱の哀れさが村人の心の中に蘇ってくる。
 「遅桜」の季語も哀愁があり土俗的な手ざわりの暖かい一句である。 
                                         (野崎由美氏) 1987

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