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2006.01.26

霞む日  (鑑賞) 

          霞む日や人の面に波しぶき  岡本眸


 遠霞の海を見やりながら佇んでいると急に海辺の方に波しぶきが上がりそこに遊ぶ人の面にかかってしまった。
 水温む海辺の微笑ましい一風景を描いた掲句ではあるが、「霞む日」の物憂い感じ、「人の面に波しぶき」と少し突き放したような表現。そこにはあらあらと驚き見ながらもそれを独り傍観している姿がある。
 眼前の景の静と動を確実に写生しながら対象との心理的な距離をさりげ無く言い止めておられる。
 
 それでは心理的な距離はどこから来るのか。孤独感からと単純に言えるものでもない。それは先生の心の内のものだ。
 先生の句に深読みは似合わない。その雰囲気に感応出来ればよいのだ。
 眸先生の句が人を惹きつけてやまぬのは風生先生に特異の詩神経の持主と言わせながらも、その独自の高い詩性が実感と具象性に裏打ちされているからであると思う。
 
 まだ初学の頃、十周年吟行会で幸いにも入選し、眸先生から「実感ですね」とお声を掛けて頂き感激した事は大切な思い出であるが、不肖の弟子は未だに具象性を大切にと時々叱られている。
                                          (加藤暢一) 1996

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