籐椅子 (句評)
籐椅子や読書音楽酒少し 加藤暢一
やっと授かった余暇を、目一杯楽しんでいる様子が、面白く詠まれており、生活と俳句の同化のさまを見る思いがする。また十七音という枠の中で、如何に俳句を楽しむか。その見本のようなユニークな一句である。
よく笑ふひと去つてまた寒き部屋 暢一
推敲の手柄であろうか。十七音に、これ程の内容をよく納められたものだと、その技に感心。
旅をして冬めくものに足の音 暢一
旅を楽しんでいるつもりが、ふっと俳人としての眼が働く。働いてしまうと言うべきかも知れない。 もの静かな口調ながら、心理的に強く訴えるものがある。
紅葉且つ散る六十にあと二歳 暢一
還暦を目前にした作者の微妙な心情が、季語「紅葉且つ散る」に言い寄せられた、奥行のある作品。
俳句の骨法を十分に呑み込んでおられ、自分なりの表現模索の時代にあると見受けられる。
総じて、言葉の扱いの巧みさを強く印象した。
作者は伊勢市に住まわれ、まわりに句友もいない事から、月一回の東海支部岡崎句会を唯一の勉強の場とされている。乗り継いで二時間半かかるそうであるが、とも角楽しみで、仕事を休んで毎月欠かさず出席されているとの事、熱意の程が分かる。又その句会は少人数ながら、とても意欲的なもので、各句について活発な討議がなされるそうで、氏の堅実な成長の拠は、ここにあったのだと思い至った次第である。
また氏は郷土、伊勢を詠いつづけて倦まない。
伊勢平野美しや五月雨五月晴 暢一
妻入の家並も伊勢や片かげり
一塊の杜一塊の蝉時雨
今年も数々の秀句が生まれた。いずれも骨太の、見事な写生句である。
新味を狙いつつ、次々と作句に励む。それは即ち自分への挑戦でもあろう。
(「朝」飛燕賞受賞作品へのご寄稿 坪井洋子氏) 2003
« 鳥雲に (句評) | トップページ | 鵜 (句評) »