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2010年3月の4件の記事

2010年3月26日 (金)

山口誓子忌。 鼓ヶ浦(三重県鈴鹿市白子)。 旧居句碑(四日市市天ヶ須賀)

 深夜の今、PCデスクの温度計は10℃。 近所の桜も咲き出したと云うのに真冬なみの寒い日が続きます。 でも昨年の同時期に書いた本ブログの記事を読み返してみると、やはり同じような事を書いていました。 3月末と言えどもこの寒さは例年のことのようです。 
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 今日 3月26日は山口誓子の忌日です。 『天狼』主宰。 平成6(1994)年 92歳にて逝去。
 俳句に親しんでいる方なら誰でもが知っている偉大な俳人ですね。

 山口誓子は肋膜炎の療養の為に昭和16年から28年迄の12年間、三重県の四日市市富田、天ヶ須賀海岸、そして鈴鹿市白子の鼓ヶ浦に居住していました。

 冒頭及び下の画像が鈴鹿市白子の鼓ヶ浦。 
 山口誓子が三重県を離れる前の5年間居住していたところです。
 
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        海に出て木枯帰るところなし  山口誓子

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               炎天の遠き帆やわが心の帆  山口誓子

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                     波に乗り波に乗り鵜のさみしさは  山口誓子


 四日市市富田も天ヶ須賀海岸も、鈴鹿市白子の鼓ヶ浦とそう遠くではありません。 
 多くの名句がこの伊勢湾の海を眺めながら詠まれました。

 三重県在住の間の句を収めたものとして、
 『七曜』(1942)、『激浪』(1946)、『遠星』(1947)、『晩刻』(1948)、『青女』(1951)、『和服』(1955)の6句集があります。 また昭和23年に主宰誌『天狼』 を創刊したのも鼓ヶ浦へ転居した年でした。

     伊勢の海に見ゆる帆のなき誓子の忌  暢一


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 現在 四日市市天ヶ須賀の山口誓子旧居の角には句碑が建っています。

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                   かの雪嶺信濃の國の遠さ以て  山口誓子


      。・゜゜・。。・゜゜・゜・。。・゜゜・。。・゜゜・。゜・。。・゜゜・。。・゜゜・。。・゜゜・゜・。。・゜゜・。


 3年前になりますが、「俳句俳話ノート」にて山口誓子について少し詳しく記事に致しました。
 宜しければ下記タイトルをクリックの上ご覧下さい。

        ↓

  「俳句俳話ノート」 ★ 誓子忌

                                                  (№329)

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2010年3月15日 (月)

初桜(神宮高倉山幼稚園)、桜の芽(伊勢神宮外宮 北御門前)

 寒い先週から一転して今週は昨日今日共に暖かい。 今日は深夜の今でも室温計は17℃を指しています。 先々週も春のような陽気が続きましたから、週毎に寒暖が極端に入れ替わる気候は何か変ですね。 
 寒波時の各地の降雪は記録的な所が多く、気象庁も今年の冬は30年に一度の異常気象と見解を述べていました。
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 昨日(3月14日)は春らしき実に麗らかな日和の日曜日でしたので、昼からゆっくりと伊勢神宮外宮まで散歩。 その道中に咲き出していたです。
 伊勢市内でも染井吉野はまだ蕾ですから、早々と初花を見せるこの桜は種類が違うのでしょうね。 花の色も染井吉野よりも少し濃いようです。

 場所は神宮 高倉山幼稚園。  伊勢神宮司庁が運営する幼稚園にて、伊勢神宮外宮の工作所に隣接しています。 
 因みに私の次男もここの卒園者です。

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       初花も落葉松の芽もきのふけふ  富安風生

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            初ざくら誰へともなき夜の言葉  岡本眸            

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                 初花の水にうつらふほどもなき  日野草城

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 伊勢神宮外宮の裏参道口である北御門前の桜の樹。 

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 染井吉野ですから やはりまだ蕾でしたが、ふっくらとした感じが可愛い。

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            家内より外の暖かし桜の芽   暢一


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                 さし交はし舞楽のごとし桜の芽  岡本眸

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2010年3月 8日 (月)

父月命日の墓参 (伊勢市内 一誉坊墓地)。

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 二日雨が続きましたが、今日の伊勢はすかっと晴れ上がった朝を迎えました。
 昨日が父の月命日。 雨だったので墓参を中止。 高齢の母と一緒ですので、風邪でも引いたら大変ですから。
 今朝の仕事前に行ってきました。 少し冷え込んだ今日ですが無風快晴、墓前の日向は心地好い暖かさでした。
  
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               春日向父の墓前に長居して   暢一


 我が家の墓は伊勢市内の一誉坊墓地にあります。 
 「一誉坊」を我々は「いっちょぼ」と呼んでいますが、恐らく「いちよぼう」をいつしかはしょって言うようになったのでしょう。
 お寺等に付随する墓地ではなく墓苑だけですが、年に一度 「一誉坊管理組合」に管理費を納めています。
 1690年没の出口延佳(伊勢神宮外宮権禰宜・国文学者)の墓が現存したりしていますから随分と古い墓地ですが、故事来歴を知りたいものと思っています。


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 またこの墓地には名投手沢村栄治のお墓もあります。
 説明の必要もないでしょうけれど、沢村栄治は戦前のプロ野球黎明期において名を馳せた巨人軍の豪速球投手。
 沢村投手の戦死後、巨人は彼の功績をたたえて背番号14番を日本プロ野球史上初の永久欠番に指定、現在も沢村栄治賞にその名を留めていますね。

 沢村栄治は伊勢市の出身。 私の父の少し下の幼馴染にて共に野球で遊んだとか。 
 栄治に野球を教えたのは俺だ、と父は自慢していましたが、ま~眉唾ものでしょうね。 
 でも野球の得意な父でした。
 昔、沢村栄治の命日に巨人の監督とナインが揃って墓参に訪れていた時期もありました。

 この事は昨年も記事にした事があります。 お読みになっている方には重複しましたがご容赦下さい。

                                                  (№327)

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2010年3月 3日 (水)

雛祭 (桃の節句)

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 先週ほどではありませんが、まだゝゞ寒いはずのこの時期としては気温の高い日が続きます。
 桃の節句の今日、正午頃のPCデスクに置く室温計は15℃。 最高気温の予報は14℃。 
 風吹く薄曇りのために、ここ10日ほどの暖かさに慣れた身には少し寒く感じます。

 昨年の3月3日も同じく雛祭で投稿していたので読み返してみると、
 『伊勢は薄々とした感じの曇天。 正午前の三重県中部の気温は6.5℃。 我が家の室温計は9.5℃と冷え込みました。 中部・関東地方に降雪の予報が出ています』 と記していました。
 昨年の今日は中部地方でも雪降る厳寒の日だったのですね。

 興味が湧いたので気象庁のHPから伊勢市の過去のデーターをちょっと調べてみました。
 伊勢市小俣町の観測所による2・3月の日々の最高気温平均値です。

   1979~2000年 (2月)  9.1℃。 (3月) 12.4℃。
   2001~2009年 (2月) 10.1℃。 (3月) 13.5℃。
         2010年 (2月) 11.4℃。 (3月) 14.9℃(3/1~3/3)。

 顕著に温暖化の傾向が見られます。 生態系に影響を与えうる気温上昇ぶりですね。


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 三重県四日市のある料亭に飾っていた雛人形。
 「本仕立十二単衣  京雛  雛師 平安水宝作」 の銘が添えてありました。

 雛人形には京雛と関東雛がありますが、上の画像のように男雛が向かって右側に座っているのが「京雛」、左側に座っているのが「関東雛」。


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 この雛人形は男雛が左側ですから関東雛ですね。 伊勢郊外のある寿司店で昨年写したものです。


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 伊勢神宮内宮前のおはらい町にある土産物店々頭の雛飾り。 一昨年の撮影です。
 これも関東雛の並び方です。 今は伊勢地方でも全国的にもこの並び方が主流のようです。
 私が娘の為に雛段を飾り始めたのは神戸在住の頃にて京雛の飾り方でしたから、関東風には今でも馴染めません。

           雛壇に部屋を譲りし吾子と寝る   暢一

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 京雛と関東雛で男雛女雛の並び方が違う由来について「大進の雛人形」のHPで説明していました。 興味深いので以下にご紹介してみます。

 お内裏さまの位置が、京雛は向かって右、関東雛は向かって左になっています。
 日本古来から、左は右より格が高いとされ、お内裏さまはお雛さまの左、つまり向かって右にお座りになります。
 よって京雛は、古来の慣わしに従ってお内裏さまが向かって右側にお座りになっています。
 現在一般的な関東雛は、向かって左にお内裏さまがお座りになっていますが、なぜ関東雛はお内裏さまが左側になったのでしょうか。
 それには大正天皇が関係しているとされています。 明治時代、西洋の流れを受けて国際儀礼である「右が上位」の考え方が取り入れられるようになりました。
 大正天皇が即位の礼で、洋装の天皇陛下が西洋のスタイルで皇后陛下の右に立たれた事からこの風習が広まったとされています。
 明治天皇の時代から皇居は東京に移っておりましたから関東を中心にこのご即位時のスタイルが定番となっていきました。 全国的にも今はこのスタイルが主流となっています。

 また好まれる顔も関東関西に違いがあります。
 関東は目が大きめで口元がかすかにほころびふっくらした可愛らしいお顔が人気ですが、関西では切れ長の目に鼻筋の通った高貴なお顔, 細面のいわゆる京美人が好まれるそうです。
 実際のところ、なかなか顔立ちから関東雛と京雛判断するほど明確な顔の特徴ははっきりしていませんが、雛人形の商品ごとに、そのお顔は随分と違うことは比べてみると良くわかるものです。

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 ◇ また今日は高浜虚子の次女、俳人「星野立子」の忌日です。 「雛忌」とも呼びます。 3年前ですが「俳句俳話ノート」にて取り上げました。
 宜しければ下記タイトルをクリックの上 ご覧下さい。
        ↓
    ★ 立子忌 (雛忌)

                                                  (№326)

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